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『ダンダダン』と『幻肢痛日記』 「ある」と「ない」のあいまいさ 


『ダンダダン』をみてる


こちらをいまみてます。

霊媒師の家系に生まれた女子高生・モモ<綾瀬桃>と、同級生でオカルトマニアのオカルン<高倉健>。モモがクラスのいじめっ子からオカルンを助けたことをきっかけに話すようになった2人だったが、(中略)オカルティックバトル&青春物語、開幕!

説明より抜粋

展開がはやすぎ跳躍しすぎで先が読めない。

□い頭がとろけだす作品。


オープニングがいい。
新作アニメのオープニングって、最先端がギュギュッと詰めこまれてる感じがする。こちらも最初おおっ!となったし、毎回みても見飽きない。


最近だと『葬送のフリーレン』のエンディングがとても綺麗でよかった。
90秒の小作品。


さて、『ダンダダン』。

初回から宇宙人に捕らえられるわ、妖怪に取り憑かれるわ、想定外がフルスロットルで展開していく。

99.999%、ちょっとおバカで下品で思春期の頃の妄想をこれでもかーーーーーっ!!!!!!!って増し増しにした感じで非常に好きです。

が、登場する妖怪のエピソードの悲しい過去に涙してしまう。


ほぼ妄想青春ウルトラギャグ。
そして世知辛い世の憂いのコントラスト。
このギャップの魅力がよい。


フツーの学生があり得ない力を手に入れてしまう。
そして敵が強くてでも儚い。
そんなところが『寄生獣』にも重なります。



『幻肢痛日記』をよむ


日経新聞の土曜の読書コーナーでみつけた1冊。

切断したはずなのに、足のあった場所が痛む…。
世にも奇妙な現象〈幻肢痛〉とつきあいながら、視界の外に広がる世界を思索する4年間の記録。

作品説明より抜粋


病気で足を切断することになった著者の記録。



まず幻肢痛なるものがあるのか!と。

そしてふつう、自分のからだの一部を失うって相当の衝撃だと思うんだけど。それを楽しみにする感覚とか。

さらに、自分のない足が目の前に立つ女性にめりこむ感覚とか。

体験者にしかわからない心情と感覚の不思議について書かれている。


著者の上記の体験について、意識が研ぎ澄まされていて言葉が鋭い。


著者は足を失ったと同時期にタトゥーを入れている。

その際に、タトゥーアーティストから聞いた話で、病気などでからだの一部の失ったタイミングでタトゥーを入れる人が一定数いるらしい。

また、自分の性、ではなく肢体自体に違和感を覚える人もいるという。詳細は省かれているが、このへんの話はかなり際どい。


じぶんの「日常」とはかけはなれた感覚の話が盛りだくさんで、人の感覚のワンダーランドに迷い込んだ読後感があった。



ところで義足ってカッコいいと思う。

現代の義足は「無いものを補うもの」ではなく、「身体機能を拡張するもの」にみえる。

陸上競技選手がつける義足も、速く走ることに特化した無駄のないフォルムから造形美を感じる。

昨年末、シードがウェアラブル端末としてのコンタクトの開発のニュースがありました。


人とテクノロジーの融合。

こういうニュースをみると、子どもの頃の未来に現在、いるんだなあって実感します。



「ある」と「ない」が曖昧


じぶんの感覚ってかなり曖昧。

たとえばPCR検査のときレモンの絵をみて唾液を摂取って、あれもかなり感覚のいい加減さを感じる。

レモンの絵だぜ?食べてもないのに、なぜにすっぱー!ってなるんだ。


『ダンダダン』と『幻肢痛日記』。

フィクションとノンフィクションの違いはあるけど。

ないのにある。あるようでない。
曖昧でちょっと不思議な表現が盛りだくさん。

同じタイミングでみて読んで、頭の中がバグります。



ちなみにナウシカ原作。

王蟲の「(我々は)全として個、個として全の存在」みたいなセリフがあったと思う。

原作だと王蟲ってテレパシーで個々が繋がってるんですよね。集合意識的な存在。


王蟲も個としての存在が曖昧でした。


ちなみに原作はクシャナのエピソードが掘り下げられていて、個人的にクシャナ推し。



こちらはマイベストの1冊。
般若心経の世界観が垣間見れる気になる作品。

般若心経の世界観までくると、万物が無であり同時に有。色即是空そして空即是色となる。


あるのにない。
ないのにある。

こういう曖昧さに惹かれてしまう。




おまけ。

アニメをみるならフィットネスバイクのうえで楽しもう。

アニメの時間=脂肪燃焼タイムに。


たとえばフリーレンなら1話20分×28話。おおよそ10時間。
約3000kcal消費できるぞ!


これくらい自由に漕ぎたい。
続けていれば結果はついてくる。




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ryosukewexer うちの子ノエルにちゅ〜るをあげます。