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京都から南へ。妻の出産前後9日間の記録


出産前日:完璧な土曜日と、23時の破水連絡

完璧な土曜日だった。

金曜日の晩、スマホの置き場所を書斎に変えて、寝る前にストレッチをしてから布団に入った。翌朝の炊飯器のタイマーもセットしておく。その丁寧な暮らしが効いたのか、朝は7時にすっきり目が覚めた。

午前のうちに掃除と洗濯、猫のお世話、買い出しを片付けて、近所の理髪店で髪を切る。少し条件調整でもやもやしていたクライアントからのチャットにも、角の立たない返信を送り終えた。独立してからずっと頭の片隅にあった気がかりを、きれいに一区切りさせられた感覚があった。

時間を、自分の意志で100%コントロールできている。その実感が、たまらなく心地よかった。新しくできたコーヒースタンドで試飲までさせてもらって、いい気分で帰路について時計を見たら、まだ昼の12時を回ったところだった。

妻は出産のためにすでに遠方の実家へ里帰りしていて、僕は翌日の昼の新幹線で合流するという、完璧で無理のないスケジュールだった。

夜の11時、里帰り中の妻からLINEが入った。

「破水したかもしれない」

数日前にも同様の症状はあったが、その時は違った。「分かった」と返しつつ、なんとなく胸騒ぎがして、眠れずにそのまま起きて待つことにした。

その予感は当たって、1時間後にやはり破水だと確定。急遽そのまま入院になった。昨日までの完璧なコントロール感は、自然の営みの前にあっけなく崩れていった。

出産当日

夜通しの予習と、5時半京都発スクランブル

当初予約していた昼の新幹線では、たぶん立ち会いに間に合わない。少しでも早く着かなければと、朝5時半に予約システムが動くのを画面の前で待って、最速の切符を確保した。そのまま荷物を掴んで家を飛び出す。

実は、眠れなかった夜中、僕はYouTubeで「夫が立ち会い出産でやるべきこと/避けるべきこと10選」とか、実際の立ち会いレポ動画をひたすら漁っていた。気持ちだけは完全に戦闘モードだった。身体はひどく眠かったけれど、京都駅のスターバックスでソイラテを買って、なんとか頭を起こす。

妻は朝5時頃からすでに麻酔を打ち、陣痛促進剤を飲んで戦っているという。

新幹線の連結部分にて、Zoom越しの立会い

移動中、妻から「もう分娩室に移動した」と連絡が来た。

そこから一気に慌ただしくなった。様子は見守りたいし、一生に一度の記録も残したい。Zoomで録画を回すか、別の通話アプリにするか、音声はどう処理されるのか――一人で技術的なマルチタスクが頭の中をぐるぐる回って、最終的にZoomの録画でつなぐことに落ち着いた。

新神戸の手前で、画面の向こうで本格的な分娩が始まった。何時間にも及ぶ戦いになるんだろうと覚悟して画面を凝視していたら、それからわずか40分ほどで、子供がするりと生まれてきた。

「あ、生まれた」

周りの乗客に配慮して、急いで連結部分に移動する。「すごい、すごい」と思わず声が漏れた。個室のトイレに入ってから、もう一度画面に向かって「先生ありがとうございます、お疲れ様です」と言った。電波のせいか、向こうにはあまり届いていないようだったけれど、そんなことはどうでもよかった。

直接その場に立ち会えなかったのは少し残念だ。でもそれ以上に、無事に生まれたこと、妻の身体の負担が想像より少なく済んだことへの安堵が、胸のほとんどを占めていた。Zoom越しに見ていても伝わってきたのは、助産師さんも先生もテキパキと、はつらつと動いていたことだ。「今こういうことをしてますよ」と画面の僕にまで声をかけてくれる。プロは本当に頼りになる、という圧倒的な安心感があった。

南の熱気と、Geminiに聞いたお見舞いリスト

駅のホームに降りると、京都とは明らかに違う、ムワッとした熱気を含んだ空気が身体を包んだ。遠くまで来たんだな、と実感する。

ホテルにスーツケースを置いて、病院へ向かう道すがら、地元のスーパーに立ち寄った。実は事前に、Geminiに「出産後のお見舞いで喜ばれるリスト」を相談していたのだ。それを参考に、妻の好きな果物やゼリーを少し奮発してカゴに入れた。

ただ、そのお見舞い品を見た妻の反応は極めて冷静なものだった。
「あーありがとう。ただ、食事は3食出るし、外から持ってきたものを食べて良いか一度病院に聞いてみないとね。」
今思えば、病院側の食事管理や差し入れのルールを先に確認してから買うべきだったかもしれない。DXだ効率化だと言っている割に、肝心なところで段取りが甘い。

しばらく歩くと、ピンク色の外観の、いかにも昔ながらの個人クリニックが見えてきた。どこか懐かしい安心感のある佇まいだった。

出産後:産院での付き添い入院

「人間だ。思ったよりでかっ」

生まれた子供を初めて見た瞬間、可愛いとかそういう感情の前に、脳をよぎったのは「思ったよりでかっ」「人間だ」だった。生まれたてでむくんでいたのもあると思うけれど、とにかく圧倒的な生命の質量がそこにあった。

それが少し変わったのは、初めてミルクをあげたときだ。小さな口でちゅぱちゅぱと一生懸命に吸っている姿を見て、その健気さに、僕は初めて「かわいい」と思った。

最強の病院食と、常時同室の洗礼

このクリニックは、付き添い入院の家族の分も料金を出せば食事を出してくれるのだが、これが毎回、驚くほど美味しかった。極限の寝不足のなかで、この食事はもはや最高の娯楽だった。人間は美味しい食事だけでここまで満たされるのか、というプリミティブな真理を痛感した。

だが、甘い時間は長くは続かなかった。

僕は勝手に、入院中は夜や手の空かない時間は新生児室が預かってくれるものだと思い込んでいた。実際は、健診と沐浴以外、24時間ずっと赤ん坊がベッドの横にいる。無痛分娩だったとはいえ、妻は歩くのもやっとの状態だ。

おむつ替えやミルク作りは予習していたから一応できる。問題はそこじゃなかった。あやしても泣き止まない。ミルクの途中で寝落ちする。ゲップが出ない。そうこうしているうちに1時間が溶けて、それが3時間おきに、終わりなく戻ってくる。ある夜は、ミルクもおむつも完璧に終えたはずなのに理由のわからないギャー泣きをされて、妻と二人、深夜の病室で完全に途方に暮れた。

解像度の粗さへの猛省と、Google KeepのPDCA

「これ、産後にワンオペでやるの絶対に無理じゃない?」

そう思った瞬間、戦前の自分が恥ずかしくてたまらなくなった。

里帰りが決まったとき、僕は頭の中でこう計算していた。入院中は24時間プロがいる。いちばん大変な時期は病院が見てくれるんだから、退院して実家に戻るタイミングで僕が合流したほうが、お互い効率的じゃないか、と。妻にも「病院にいる間は安心でしょ」と平然と口にしていた。

我ながら、いかにもコンサルらしい役割分担の設計だと思う。でもあれは、現場を一度も見たことのない人間が、机の上だけで引いた線だった。仕事でなら、現場を見ずに業務フローを描いた資料が出てきたら、僕は「まず現場を見ましたか」と突き返すはずだ。それを自分の家族のことで、いちばんやってはいけない形でやっていた。

とはいえ職業病は抜けないもので、僕はこのカオスをただ受け止めるだけじゃなく、気づいたことを全部Google Keepにメモしていった。ミルクの角度、ゲップが出やすい姿勢、おむつは古いほうを先に丸めるとうんちが広がらないこと。わからないことは健診のたびに助産師さんにぶつけて、その場で仮説検証する。

結果として、一緒に入院したからこそ、圧倒的なスピードで子育ての基礎スキルのPDCAを回せた。そこは本当に良かったと思う。ただ、役に立ったのはメモそのものじゃなくて、現場に身を置いたことだ。先に合流していたら、あのメモは一行も埋まらなかった。

「可愛くないな」の本音と、重なるマルチタスク

昼間は比較的寝てくれるのに、夜になると野生のスイッチが入るのか、活発になって泣き止まない。座って抱っこして歩き回ってもスクワットをしてもダメで、悲鳴のような「ギャー」を聞いた瞬間、脳の片隅に「ああ、無理かも」という文字がよぎった。妻と2人、京都の喫茶店で過ごしたあの静かな日常を一瞬思い出して、「可愛くないな」と思ってしまった本音もあった。

でもその直後に、妊娠中に二人で「とにかく健康で元気に生まれてきてくれるだけでいい」と願い合っていた、あの原点の記憶がフラッシュバックして我に返る。

入院最終日の前々日と前日は、僕が夜間対応をメインで引き受けた。その寝不足の脳に、案件のエラー対応や、急な仕様変更のチャットが重なる。
さらにスマホの画面には、実家の両親からのLINEがポップアップした。「これを機会に奥さんを戸籍には入れないの?」「違う苗字で本当にいいの?」。事実婚を選んだ僕たちに、悪気なく、でも執拗に「イエ制度」の価値観を押してくる言葉たち。普段はいい両親なのに、この話題のときだけ発動する対話不能の壁。

夜泣きと、エラー対応と、親からのLINEが、産院の狭い一室で同時に襲ってくる。誰にも愚痴をこぼせない、マルチタスクの孤独のなかにいた。

その張り詰めた空気を救ってくれたのは、ある夜、買い出しに行く名目でもらった1時間の中座だった。海沿いのロードサイドにあった広い喫茶店に逃げ込んで、ティラミスとブレンドを頼む。
イヤホンからお気に入りのラジオを流しながら、温かいコーヒーを胃に流し込んだ瞬間、1週間ガチガチに強張っていた心が、じわじわとほぐれていくのを感じた。当たり前に享受していたこういう時間が、どれだけ貴重だったか思い知った。

退院・実家宿泊

繭から、野生へ放たれる

退院の朝、それまでの狂騒が嘘のように、我が子はとても大人しかった。院長先生が自ら「おめでとうございます」と退院記念の写真を撮ってくれたとき、地方の個人産院ならではの、一人ひとりに寄り添う温かさに胸が熱くなった。

食事は最高に美味しくて、困ったら24時間プロが助けてくれる。そのベッドの上で妻は「もう、この守られた繭から出たくない」と呟いた。僕も心の底から同感だった。自動ドアを出た瞬間の感覚は、まるで保護ケージで過保護に育てられた動物が、ゲートを開けられて野生の大地に放たれるような緊張感だった。

実家での「潤滑油」という役割

そこから、妻の実家での生活が始まった。建て替えたばかりの家で、義両親が想像以上の準備をして待っていてくれて、インフラとしてはこれ以上ないほど快適だった。

ただ、ここでも新しい「バグ」が出た。実の親子だからこそ、義両親が昔の経験から良かれと思ってかける「大丈夫?」「こうした方がいいかもね」に対して、産後でいっぱいいっぱいの妻が、自分の育児を否定されたと感じて強く反発してしまう。

ここで僕が取るべき生存戦略は一つだった。妻の味方に100%なりつつ、お世話になっている義両親との潤滑油になること。

あえて普段より快活に振る舞って、「このご飯美味しいっすわ~!」「新しい家、快適すぎて帰りたくないっす」「あ、今のはちょっと言われるのが嫌みたいなんですよね〜(笑)」と、軽く笑いに変えてお互いのトーンを中和する役に徹した。

仕様変更と、夫婦ミーティングでのルール化

実家に移ると、産院という限定環境で培ったスキルが通用しない仕様変更が次々起きた。特に「ゲップが出ない→眠くなる→規定量を飲めない→1回の授乳に1時間以上かかって全員が疲弊する」という悪循環には頭を悩ませた。

子供が寝静まった隙を狙って、妻と僕は緊急の夫婦ミーティングの時間を取った。何が課題で、何に困っていて、今後どうするかを整理して、メモに残す。導き出した仕様は、「1回の授乳は飲める分だけ。何分まで、と時間で割り切る。残したら次にお腹が空いたとき都度あげる」というルール化だった。この割り切りをした瞬間、2人とも気持ちが少し楽になった。

子供の健康はもちろん大切だ。でもそれ以上に、「親の心身が万全でなければ、子育てという長期プロジェクトは続かない」という真理に、僕たちはたどり着いた気がする。

N=1の罠と、一次情報

不安になって育児YouTuberの動画や友達の事例を調べたりもした。でもそれは、見れば見るほど他人と比較して焦るだけの「N=1の罠」だった。

大事なのは、目の前の我が子の状態と、産院のプロから直接聞いた一次情報だけを信じることだ。一次情報という言葉を僕は仕事でよく使うけれど、よりによって自分の子どものことで、いちばん痛い形でその意味を思い知らされた。

京都帰還、静かな部屋で考えたこと

怒涛の9日間を終えて、とりあえず僕だけが京都の自宅に戻ってきた。鍵を開けると静まり返った部屋で、留守番をしてくれていた猫が、いつも通りの声で迎えてくれた。僕が留守の間は共同代表が通って世話をしてくれていた。ありがたい話だ。
猫を抱きしめて、その温もりに触れながら、激動の日々を振り返る。身体は寝不足でバキバキなのに、不思議と気持ちは落ち着いていた。

周りとの、ちょっとした価値観・家族観のズレ

極限状態で降ってきた戸籍の問題は、絶対に放置しない。我が子が物心つく前に、妻と事前に対策を打って両親に提示するつもりだ。僕たちの家族の形は、僕たちが決める。

ただ、こういう感覚が、自分の周りとなかなか噛み合わないのも感じている。事実婚にしても、自分たちのなかでは納得して選んだことだ。なのに周りは「家族とはこうあるべき」という昔ながらの価値観が当たり前で、放っておいてくれない。悩みの種は自分たちの選択じゃなくて、いつもそこに何か言ってくる外側の方にある。

その延長で、家族や育児のあり方を「そもそも、これって当たり前なんだっけ?」と一緒に問い直せる男友達が、近くにいないのは少し寂しい。居酒屋で「奥さん大変そうやわ~」と他人事のように話す輪には、もう戻れない気がしている。

ただ、救いもある。たとえば桃山商事さんのPodcastを聴いていると、こういう価値観を持って、ちゃんと言葉にしている人たちがいるんだと分かる。直接の友達ではないけれど、同じ感覚の人がどこかにいると知れるだけで、ずいぶん心強い。だったら、と思う。近くにいないなら、自分が発信することで、同じ感覚の人と少しずつつながっていけばいい。

事業への宿題

そしてビジネス。正直に言えば、事業モデルそのものはまだ変えられていない。今も自分の時間を切り売りする請負のままだ。ただ、この9日間に向けて、既存の案件だけは前倒しで進めて、自分がいない間も止まらないように、できる範囲で仕組み化を進めておいた。だから崩壊しなかった、というより、なんとか凌げた、というのが正直なところだと思う。もし何の準備もしていなかったら、事業も家族のメンタルも一緒に倒れていた気がする。

裏を返せば、毎回こんな綱渡りをするわけにはいかない、ということでもある。その場しのぎを当たり前にしないために、事業のかたちそのものを変えていかないといけない。たぶんそれが、これからの宿題なんだと思う。

とはいえ手探りで進むしかない

我が子の名前には、「周りの人に恵まれ、いろんな視点を持って歩いていけるように」という願いを込めた。

妻と子供は、もうしばらく実家に残る。僕は隔週では通うけれど、妻は、あの夜泣きと授乳の繰り返しを、ずっと回してくれている。一緒に入院して同じ夜を浴びたからこそ、それを毎日続けることのすごさが、前よりずっと生々しくわかる。

不安なことも、わからないことも、まだいくらでも残っているけど、家族のあり方は、これから2人で手探りで作っていくんだと思う。たぶんまた何度も解像度の粗さを突き付けられながら。

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