地の底に刻まれた戦争—ベトナム戦争の戦跡【クチトンネル】で考えたこと
ファングーラオ通りは、朝から騒がしかった。
2023年12月、私はホーチミンのバックパッカー街の中心にあるこの通りに滞在していた。ホテル、両替所、旅行代理店が肩を寄せ合うように並び、店先には似たようなツアーのチラシが所狭しと貼られている。クチトンネル、メコン川クルーズ、カオダイ教の総本山——どの店も大差ない。値段だけが交渉次第で変わる。
クチトンネルのツアーは、ある店では40万ドンだった。隣の店では35万ドンと言った。さらに歩くと30万ドン(当時約1800円)まで下げてくれるところがあり、私はそこで申し込んだ。翌朝8時、ホテルの前に迎えに来たのはシルバーのワゴン車だった。
そもそも、クチとはどんな場所だろうか。ホーチミン市の北西に広がるこの地区の地下には、全長250キロ以上に及ぶトンネルが張り巡らされている。1955年から1975年にかけて戦われたベトナム戦争で、北ベトナムの支援を受けたゲリラ組織・ベトコンは、圧倒的な火力を持つアメリカ軍に対し、地下に潜るという戦術で対抗した。住居、病院、会議室、武器工場——地表が爆撃で焼き払われていく中、人々は文字通り大地の中に生活の場を作り続けた。そのトンネルに、これから潜りに行く。
車はそこから市内のいくつかのポイントを回り、客を拾っていった。最終的に乗り込んできたのは10数名。ほぼ全員がヨーロッパ人で、体が大きく、声が大きかった。日本人は私だけだ。後ろの席には若い韓国人カップルが1組、身を寄せ合って乗っていた。ふと気になったのは、アメリカ人が1人もいないことだった。偶然だろうか。それとも、ベトナム戦争の戦跡をわざわざ観光するというのは、アメリカ人にとって少し立ち入りにくい話なのだろうか。韓国人カップルは——ベトナム戦争の韓国軍の忘れえない因縁を知って参加しているのか、あるいは若さゆえに何も考えていないだけなのか——そんな余計なことを、ホーチミン郊外の道を走りながら考えていた。
途中、地元の工芸品の展示即売所に立ち寄った。地雷の破片で作ったというアクセサリーや、戦争をモチーフにした木彫りが並んでいた。買う気にはなれず、ぼんやりと眺めるうちに出発の時間になった。ホーチミンから約1時間、車窓の景色が市街地から緑の多い郊外へと変わり始めた頃、バスはクチトンネルの入口に着いた。
ガイドは20代とおぼしき若いベトナム人男性で、流暢な英語で話した。入場手続きを終えると、まず屋内のシアターに案内された。100人ほどが集まる会場で、ベトナム戦争とクチトンネルについての記録映像を約20分見せられる。モノクロの映像の中で、ベトコンの女性兵士が銃を構えて笑っている。ナレーションは淡々としていて、しかしどこか誇らしげだった。アメリカ軍の爆撃が続く中、人々は地下に潜り、生活を続けた——そう語っていた。
映像が終わると、グループに戻るよう指示があった。一度に全員が動くと混雑するため、各グループは異なるスポットから回り始める仕組みになっている。
最初のスポットは、地面に点在する落とし穴だった。
フタを外すと、中には刃物と金属の棘が仕込まれていた。棘には返しがついており、一度刺さると抜けにくい構造になっている。「殺すためではなく、動けなくするための罠です」とガイドが言った。「1人が動けなくなると、最低2人がそれを支えなければなりません。これで兵力を3分の1に削れる」。その計算の冷静さに、少し息が詰まった。炎天下に立ちながら、足元の地面を改めて見下ろした。


近くには、大砲の砲弾を溶かして鋼を取り出し、武器を作る工場跡があった。タイヤのゴムを切り出してサンダルを作る作業台もあった。ゴムサンダルは今もベトナム中で売られているが、同じものが戦時中、地下に潜む人々の足を守っていたのだと気づくと、見方が変わってくる。物資のないところで人は知恵を絞る。そして、その知恵の多くは戦争の必要に迫られて生まれたものだ。
隠し穴も実際に入ることができた。地表からは気づかないような草の中に、人ひとりがやっと入れる小さな穴がある。グループ全員は入れないので、数人ずつ順番に試した。中は膝をついて前傾みにならないと進めないほど狭く、土のにおいと湿気がじわりと体にまとわりついてくる。ほんの数秒で十分だと感じた。

ツアーのクライマックスは、実際のトンネルに入る体験だ。入口は木の板で蓋をされており、外観はただの茂みにしか見えない。フタを開けると、縦に細長い穴が地下へと続いている。ガイドが「まず肩から」と示した通りに身体を滑り込ませ、中腰か四つん這いで前に進む。私の後ろで、体格のいいフランス人男性が入口を覗いて諦めた。暗い。湿気が高い。頭上は土、両側は土、前も後ろも土だ。懐中電灯の光が壁に反射し、数メートル先が見えるかどうか。数十メートルほどの距離だったと思うが、途中、出口への分岐が何か所かあった。最後まで進み切ったとき、地上の光が見えた瞬間の安堵を、今でも少し覚えている。
ツアーの最後に、当時ベトコンが食べていたという食事が出された。蒸したタロイモと、薄いお茶。木のトレーに乗ったそれは、素朴という言葉しか思い浮かばない味だった。隣のテーブルでヨーロッパ人たちが「Interesting」と言いながら食べていた。
施設の一角に、実弾射撃のオプションがあった。AK-47、M16、他にも何種類かの銃が並んでいる。1発300円程度から試せるという。私はツアーの申し込みをした時点から「どうしようか」と迷い続けていたが、現地で射撃場の音を聞いた瞬間、気持ちが決まった。
耳を塞ぎたくなるほどの音だった。
受付から射撃場は少し離れているにもかかわらず、空気が震えるのがわかる。映画やゲームで聞くそれとは根本的に違う、肉体に直接響く音だ。戦場の遺構をひと通り歩き、トンネルを這い、地雷の罠を見た後に、本物の銃を撃ちたいという気持ちになるのはどういう心理なのだろう。私には整理がつかなかった。だから、やめた。

帰りのワゴンは夕方前に出発した。車内はほとんど無言だった。
窓の外を流れる南国の緑を眺めながら、ぼんやりと考えた。1955年から1975年。アメリカと北ベトナム、南ベトナム政府軍とベトコン、韓国軍とライダイハン、枯葉剤、——知識として知っていた言葉が、土のにおいと射撃音の残響の中で、少しだけ違う重みを持って感じられた。
歴史は、土の中に埋まっている。それを掘り起こして保存し、観光地として開放する——その行為の背景に何があるかは、訪れる前に少し考えておいた方がいいかもしれない。
旅は、知ることと体で感じることの間にある距離を、少し縮めてくれる。クチトンネルは、その意味で、私にとって忘れがたい場所になった。
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