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第5章:プレーヤーからサポーターへ(後半)―「力」と「技」の結集・痛恨の長野五輪

【日本語改訂版】
裏方として挑んだ長野五輪。私は若き室伏広治選手の規格外の身体能力に目をつけ、代表合宿へ招聘する。さらに日本の技術を結集した「国産ランナー」開発にも奔走。しかし、本番は目標に届かず幕を閉じる。チーム内の意識のズレとヘッドコーチとしての責任から痛恨を味わった。

第5章:プレーヤーからサポーターへ(後半)ー「力」と「技」の結集・痛恨の長野五輪

怪物・室伏広治への打診-常識を超えた「17m94」

長野オリンピックに向けては、スタートタイムを上げるために、新人発掘が大きな課題だった。
当時の陸上競技界では一人の規格外の選手が注目を集めていて、私も目をつけていた。
その選手の名は「室伏広治」。
父は「アジアの鉄人」と呼ばれたハンマー投げ選手・室伏重信氏。広治選手は後に2004年アテネオリンピックで金メダルを獲得することになるが、この時点ですでに国内では敵なしと言われる存在で、規格外の身体能力を備えていた。

1996年当時、室伏選手は中京大学4年生で、翌春には卒業し、スポーツ用品メーカーのミズノに就職して競技を続けることが決まっていた。私は、彼にボブスレーをやらせてみたいと考えた。
そこで思い浮かんだのが、やり投げとボブスレー選手としてグローバリーに所属していた中村だった。
中村は室伏選手の中京大学の先輩である。

「中村、室伏選手にボブスレーに興味があるか、聞いてみてくれないか」

中村は軽く引き受け、数日後に報告してきた。

「本人は、やってみたい気持ちはあるみたいです」

その言葉に期待が膨らんだ。しかし、物事には順序がある。室伏選手はハンマー投げ、ひいては日本の陸上競技界にとっての至宝である。本人の意思だけで話を進めれば、周囲との関係を損ねかねない。

私の考えは明確だった。冬場だけボブスレーに取り組み、それ以外の期間はこれまで通りハンマー投げに専念してもらう。その前提を、父の重信氏、日本陸上競技連盟、そして就職先であるミズノに理解してもらう必要があった。

私はそれぞれを訪ね、説明を重ねた。最終的には、「本人がやりたいと言うなら」という条件付きで、了承を得ることができた。

準備は整った。あとは室伏選手本人に、競技としての可能性を実感してもらうだけだった。
通常ならトライアウトで身体能力を測定するが、室伏選手は例外的な存在である。練習に支障のない日を選び、測定機材を持って中京大学を訪れた。

60メートル走やベンチプレスなど、いわゆるコントロールテストを行ったが、室伏選手の数値は、これまで測定してきた選手たちをすべて上回っていた。
中でも際立っていたのが「立ち5段跳び」だった。
助走なしで5歩分を跳ぶこのテストで、代表クラスでも15メートル台後半から16メートル台が一般的だが、室伏選手の記録は17メートル94センチ。
常識を超えた数値だった。

私はその場で、日本代表合宿への参加を打診した。

「この能力なら、ボブスレーでも世界と戦える。まずは合宿に参加して、実際に体験してから考えてほしい」

室伏は「分かりました」と応じてくれた。
その後、仙台大学で代表チームの合宿に参加し、ローラーボブスレーを押すことで競技を体感してもらった。さらに年末には長野のオリンピックコースで実際のボブスレーにも乗ってもらった。初体験で全力の滑走には至らなかったが、日本チームにとって大きな戦力になると確信した。

ただし、海外遠征への帯同は現実的ではなかった。そこで私は、限定的な参加を提案した。

「プレ五輪のワールドカップに4日間、そしてオリンピック本番は4人乗りの1週間だけ、長野で合流してほしい」

その場で返事はなかった。後日、正式に辞退の連絡が入った。
落胆はしたが、納得もできた。
世界の頂点を目指す過程で、片手間で別競技に取り組むべきではない。その潔い決断こそ、後に世界の頂点を極める一流選手の証だと、妙に納得させられた。

日本のものづくりを氷上へ・国産ランナー製作と科学的スタート解析

長野オリンピックに向けた強化は、選手発掘だけではなかった。
ボブスレーでは、選手の能力と同じくらい、用具が重要になる。
特にソリの下に取り付けられる「ランナー」と呼ばれる刃は、タイムを大きく左右する。
当時、日本チームはヨーロッパ製のランナーを購入するのが当たり前だった。

しかし、本当にそれしか選択肢はないのだろうか。
日本のものづくりの技術を生かせば、それ以上のものが作れるのではないか。そう考えた私は、すぐに行動に移した。

最初に連絡したのは、山形県の金属加工会社、白田製作所(現・プレファクト)の社長、白田良晴氏だった。彼とは、私が戸田漕艇場でカヌーに取り組んでいた頃からの知り合いで、半導体関連部品の精密加工を手がけていることを思い出した。

「それなら、適任の人がいる。山形に来なさい」

紹介されたのが、当時山形大学助教授だった堀切川一男氏である。私の話を聞くと、即座にこう答えてくれた。

「面白いですね。ぜひやりましょう」

さらに、スタート時のソリへ乗り込むタイミングを可視化する装置の開発も相談した。
選手が走り過ぎることで、乗り込み時にソリを減速させてしまう問題を数値で把握するためだ。
この研究には、当時助手だった西成活裕氏も加わり、研究助成事業として実現した。

その結果、選手は長野のオリンピックコース内の練習施設で、1本押すごとにデータを確認し、自分の動きを客観的に見直せるようになった。

室伏選手への打診も、国産ランナーの開発も、スタート動作の解析も、すべては「長野オリンピックで結果を残す」という一心から生まれた行動だった。

交わらなかった「結果」への執念・ヘッドコーチとしての敗北

しかし、結果は厳しかった。
長野オリンピックでの成績は、2人乗りが17位、4人乗りが15位。目標としていた入賞には届かなかった。

要因は複数あるが、はっきりしていることが一つある。
私が考えていたこの大会の位置づけと、選手たちが受け止めていた位置づけが一致していなかったということだ。

私は、この大会で結果を出せなければ、競技の将来が開けないと考えていた。しかし競技を終えた選手たちは、互いに健闘を称え合い、やり切ったという表情を浮かべていた。

もちろん、全力を出し切った達成感は理解できる。それでも、競技の未来を背負っているという自覚を、十分に共有できていなかった。そのことを伝えきれなかった責任は、ヘッドコーチである私にある。

そういう意味で、裏方として挑んだ長野オリンピックは、私にとって失敗に終わった。

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Power of Failure|RYOJI|note

本連載で綴っている「目標達成のプロセス」「失敗を糧にするレジリエンス」をテーマに、企業・団体・学校向けの講演や人材育成インストラクションを行っています。
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