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國語 第六学年 上 (1947)

 東京学芸大学の学生だろうか、強い癖毛の、髭面。国分寺で古本を漁っているその青年に、彼は教員になりたいのだという気がした。東京学芸大学といえば、社会人枠で教職大学院というクラスがあり、私もお話しさせていただいていた数年がある。その担当教官だった吉谷武志先生をこの青年は知っていたらいいなと、つい思う。東京大学、東京医科歯科大学(東京科学大学)、東京学芸大学、上智大学、……当時はゲスト講師としてあまりにも多くの大学で話したから一校一校の印象は曖昧だったりするのだが、教職大学院と吉谷先生のことはよく思い出す。ご自宅までお邪魔したこともあるし、そこでご家族をご紹介いただいたのだ。

 一種の人懐かしさが呼び起こされたのだろう。しかしふらり立ち寄っただけの初めての古本屋で、吉谷先生の学生かも分からない青年に話しかけるわけもなかった。ただその店で、奥付によれば昭和22年4月発行の、古い国語教科書を買った。日記はここで終わってもいいのだけれど、古い教科書が少し面白かったから、引用しつつ、その話も書こうか。


奥付

一 しずかな午前

ごらん、まだこのかれ木のままの、高いけやきのこずえの方を。
そのこずえの、細い、細い小枝のあみ目の先にも、
はやふっくらと、季節の命はわきあがって、まるで、息をこらしてしずかにしている、子どもたちのむれのように。
その、まだ目にもとまらぬ、小さな木のめのむれは、
おたがいにひじをつつきあって、ことばのないかれらのことばで、なにごとか、ささやきかわしているけはい。
春は、はや、しばふに落ちかかる木もれ日のしま目もようにもちらちらとして、あさい水には、あしのめがすくすくと、するどい角をのぞかせた。
長くかなしみにしずんだものにも、
春は、希望の帰ってくるとき。
新しい勇氣や空想をもって、
春は、また、楽しい船出のほぬのを、高くかかげる季節
ひばりやつばめも、やがて、遠い國からここに帰って来て、
私たちの頭上にとびかい、歌うだろう。
すみれ、たんぽぽ、わらびや、ふきや、たけのこや、
ちょうや、はち へびや、とかげや、青がえる。
やがて、かれらもせいぞろいして、かげろうのたいまつをたいて、おしよせて来る。
ああ、そのさかんな春のきざしは、よもにあらわれて、
目にみえぬかすみのようにたなびいている、のどかな午前。
どこともしれぬ方角の、遠い、はるかな空のおくで、鳴いているからすの声も、
ほんとうにのんびりとして、ゆめのように、眞利のように、白雲をかたにまとった小山をめぐって、聞こえてくる。
ああ、季節のこういうのどかなとき、
こういうしずかな午前にあって考える。
「人生よ、長くそこにあれ。」

一 しずかな午前

 文中の「来」は旧字体。
 教室に教員がいて、読み解いてくれること前提の文章だ。だって、割と難しく感じられないだろうか。子どもからすれば、少し背伸びしたような感覚ではないだろうか。文章でもない、書かれている事物でもない、感覚が「ちょっと大人」なのである。ところでこれは詩なのであろうか、詩ではなくこんな散文なのだろうか。文頭で一字下げないのが、詩である気もする。
 全体にそうなのだが、筆者が誰であるのか記されていない。
 続き「二 真理」として、次の文章が続く。


二 眞理

知識と迷信

 知識は、人から教えられたり、自分で本を読んだり、考えたり、調べたりして、しだいにましていく、一人まえの人として、自分のつとめをはたしていくために、知識をますことは、たいせつなことがらである。
 知識には、浅いものと深いものがあるが、その深く進んだものを科学的知識という。深い、正しい知識を得るには、考えたり、調べたり、また、種々の器械をつかって観察したり、実験したりする。そうして、これをいくどもくり返してたしかめ、すでに知ったことを材料として、考えをおし進め、種々のことがらの関係を明らかにして、きまった法則を知る。
 いいかえれば、ものごとの原因と結果との関係や、その間に行われる法則を知って、ととのった知識とし、また、さらに進んだ研究をする土台にするのである。たとえば、花のおしべとめしべとの関係についていうと、おしべのかふんがめしべにつかないようなくふうと、いま一つ、よくつくようなくふうをして、その実験を重ね、かふんがめしべにつくときはよくみのるが、つかないときはみのらないことを、知るようなものである。
 知識が開けず、科学の進まないところには、迷信が行われる。むかしは、星を見て世の中がみだれるといったり、でんせん病がはやると、ほうき星が出たからだといったり、あるいは、きつねがつくとか、からすの鳴き声がわるいから不幸があるなどといった。
 今日でも、まだ、そうした考えがのこっている。たとえば、移動をするのに、方角がよいとかわるいとかいい、名まえの字画を数えて、運がよいとかわるいとかきめたり、生まれた年によって、その人の性質や運命をきめたりしている。しかし、よいといった方角へ移って困った人もあれば、わるいといった方角へこして、つごうのよくなった人もある。同じ名まえの人も世の中には多いが、ある人は、幸福なくらしをし、ある人は、たいへん不幸になっている。漢字で名まえを書かぬ國の人々などには、この考えのまったくあてはまらぬことは、いうまでもない。
 日本には、毎年、約二百万人の人が生まれるが、これらの人がみな同じ性質をもち、同じ運命をたどるとは、考えられない。このように、道理にあわないことを信ずるのを、迷信という。一つのことと他のこととの間に、すこしのつながりもなく、原因と結果との関係もないのに、一つのことは他のことの原因であると、信ずるのである。
 原因・結果の関係の簡単なものは、普通の知識によって知られ、むずかしいものは、科学的研究によって調べられる。もとより世の中には、科学的研究によっても、まだ知られていないことはたくさんあるが、それは、学者がいろいろに考えて、原因と結果との関係を調べきわめている。
 よいことやわるいこと、まっすぐなことや曲がったことは、知識をもととして考えなければならない。そうして、人は、道理によって動かなければならない。知識によらず道理によらず、いたずらに理由のないことを信ずる迷信は、今日、世の中にどれほど害をなしているかしれない。
 知識を廣め、学問を研究して、迷信をまったくとり去ってしまうようになれば、日本の國は、今日よりまだまだ進むことであろう。

二  眞利

 文中「験」「動」「単」「廣」は旧字体。
 いいねえ、「ほうき星」だなんて嬉しくなるぜ。もう聞かない表現だ。

 つい、読んでしまわないだろうか。相対化して考えることや、蓋然性や、論理的であろうとすることの大切さ。善悪も道理で判断せよという。現代では大人がやらず、それを恥じてもいないこと。
 国家が「まだまだ進む」、進歩するという、この感覚も失われて久しい。そんなことを言えば恥ずかしいと、大人が考えるようになった。今となっては選挙前に政治家が言うだけだ。もう真っ直ぐ子どもに言えない。

 しかし私にはひとえに懐かしい感覚があって、この、ふと見つけた古い教科書の、こんな若い人への祈りが嬉しくなってしまう。先行者からの後続者へのエールが。エーリヒ・ケストナーの「飛ぶ教室」(1933)なども私には同じ枠になるのだが、昔は下村湖人の「次郎物語」(1936)や、山本有三の「路傍の石」(1937)のような、いわゆる「教養小説」というものがあって、それらは少年たちに薫陶を授けていたのだ。薫陶とは物事の見方や感じ方を教えるということだろう。今も教養はそうしたものであると人は言うに違いないけれど、私の子ども時代にはもう教科書が薫陶を与えてくれるものではなかったからこそ、少年だった私がその時代でも既に読まれなくなっていた「教養小説」に惹かれていたのも事実なのだ。


 教科書には詩があり、随筆があり、なんと脚本もある。それが小学生の一人芝居なのだ。筋としては、満州にいた友だちが日本に帰って来る。日本とて空襲で焼け出された人たちが苦境に喘いでいるのだが、主人公三郎の家だって大差ないはずなのだが(それでも家は焼けず本も残っている)、三郎は嬉しくてたまらない。それを「伯母との電話」「父親との電話」「友だちとの電話」「友だちからの手紙を読む」「帰宅した母親との会話」という各状況に合わせて演じる。そして帰宅した母親(姿は見えない)に呼びかける三郎少年の、人生に救いを見出した歓喜で、幕は閉じるのだ。その完全な一人芝居では、セリフの間の長短や強弱で「電話の向こうの人物が発している言葉も」観客に想像させられなければならない。

 とても想像力が必要な演技だ。こんな高度なことを子どもに求めていたのか、と小さく驚く。しかし私の半分は驚いていないのである。託すのは、信じるからだ——引き上げる己の力と、それに応える子どもの力を信じることなのだ。
 ならば時代に弱ったのは、大人たちの心なのだと言えないだろうか。
 子どもを信じていない、のではない。大人が大人の論理を信じ切れないのである。


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たよろよろ図書館DATABASE 様、ありがとうございます。

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