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セクハラについての短い記事

 先日、女性が書いた記事に、男性がなかなかエグいセクハラコメントをしているのを見かけました。note に「スキ」しかないのはホンワカした空気を作ることへの一助になっているかもしれないけど、「キライ」を押したいと思ったな。「キライ」という感情を示す機能もあっていいんじゃないかなあと「そんな日は思う」、という話なんですけどね。


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 でもこの記事は「note ってさあ」という話ではない。社会についての話だ。おれとあんたが生きている、あんたの娘ちゃんや息子ちゃんが育つこの社会についての話だ。おれがあんたに聞きたいのは、全然関係ない話をしている時でも唐突に自分が妻としている(あるいは長らくご無沙汰である)行為の詳細を異性に聞かせたがるのはなぜ、ということなんよ。ついでに、世の娘さんたちが痴漢だらけの満員電車に乗り続けなければならないことや、就職の面接でも面接官からホテルに誘われるようなことをさ、受忍/黙認しているのはなぜ? これ男同士の話として聞きたいんだけど。——いやいや別の話じゃない、これは同じ話だよ。あんたがしたのは求愛行動じゃない、あれは大人の男女の友情でもない、純然たる性的嫌がらせだ。痴漢と変わんない。


 あんたがヨソサマの女性にしていることは、伝統的に慣例的に引き継がれる。あんたの娘さんも誰かに同じことをされる。あんたの息子さんも「伝統」と無縁じゃいられない。それはほぼ間違いのないことだ。「それくらいは経験しておいていいことだ」って言う?
 でもおれがしてるのは、「経験」じゃなくて「扱われ方」の話だよ。どこかのバカで卑劣な男に対して、あんたがどう思うのかって質問でもある。


 「お前だってゲイだの何だのこっちが誰も聞きたくねえ話を書いてるだろう。いちいちセクハラなんだよ!」と反論されるのは、構わない。おれのことなら、どれだけ叩いていただいても。ええ大丈夫です。反論が「誰にとっても公正で」「論理的な」主張であるなら皆にも受け入れられるだろう。おれは性のフラットな語り方を手探りしてて(それがライフワークなものですみませんね)、実際のとこギリギリなときもあるだろうからなあ。穴はあるしツッコめるんじゃない。たぶんね。おれがここで謝るのは、「これってエアリプの類かも」という点だけさ。あんたの名前を書かないことだけさ。


 そう、今は価値基準をみんなで手探りしてんのさ。ものさしを作ってる。適温な「性の話」ってどんなだろ、ということを考えてる。あんたのトライアンドエラーと、おれのトライアンドエラーはまだ境界が見えないかもしれないけど、たぶん全然ちがうよ。あるいは結果「同じでした」ということになったとしても。——赤の他人が、同性も、冷たい怒りの目であんたのコメントを読んでるってことは、常に意識しててもいいことなんじゃないかな。娘をレイプされた父親も、母親をレイプされた息子も、妻をレイプされた夫も、レイプされた女の数だけいるの。覚えておいてね。男たちは別に全員あんたの味方じゃないんだよ、「本件はセクハラだからいっか」なんて絶対に思わない。胸にあるのは血を滴らせた心だ。そんなまなざしが、あんたを取り囲んでいるんだよ。いつもね。電車の中でも職場でも、この note でも。

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