「オブザデッド」界隈でポリコレを
映画の話ですよね。うん。それも配信とかあるのか不明な。
主人公は元ボクサーでスキンヘッドだがシャイで情に厚い中年男。高齢者が多いアパートの住人達をついつい構っちゃう。三沢のパンツみたいな色のドレスを着た普段着女装のゲイとも友情を育む。密かにシングルマザーに恋してて、干してたパンティーが飛んできたから「あの人のパンティ…」ってドキドキしちゃうけど何とか自制心を保って紳士的に対処する。もちろん主人公の愛娘は兵士で従軍してて強くて賢い。——とまあ、ポリコレアレルギーの人が聞いたら身体中に蕁麻疹が出て卒倒しそうなその映画のタイトルは「ネズミゾンビ」(2007)。
もう一度言うね。「ネズミゾンビ」(2007)。
あっタイトルに 「死者の」 って入ってない映画だったな。まあいいか。
ご清潔なポリコレ連中はタイトルでめげるだろうし、実際あいつら知らないよね。でもおれの知能レベル的には丁度よくってですね、長年「ネズミゾンビ」は中古DVDの価格をウォッチし続けているんだけど、ポリコレに配慮しすぎた映画界に対する「健全」な「愛国」者からのアンサーとして(と、彼らは言うだろう)流通が少なく、中古のディスクさえBOOK OFFで6,000円台を下ることがないんですよね。好きなんだけど(チャチャチャ)離れてるのさ。現在入荷中です。7,480円(税込)。おれ? 買うはずねえだろ。再販されて3,000円台だったら買う。でもそんな未来は見えない。なぜならトランプ政権下だから(と、おれちゃんなら言うだろう)。
ちなみに原題は「Mulberry Street」ね。
誰が「ネズミゾンビ」なんて邦題を付けたんだろう。Z級映画みたいだ。
しかし実はこの映画は「クソ映画大好きな層」には刺さらないのだ。低予算映画で派手さが全くない点はともかく、そもそもが「シックな/むしろ激シブな(※個人の感想です)」ゾンビ映画なのだ。予告編は怖そうだけど(クリックで予告編が流れます)人間ドラマに重きをおいており、人々の人柄や暮らしぶりには好感しかもてない。社会の片隅で静かに寄り添って生きる人々の群像劇である。主人公は守るべき住人たちのため闘うが、武器といえば「拳」である。マジか。しかもそこまでのマッチョ設定でさえ「有害な男らしさ」は微塵も感じさせない。彼にあるのは愛と信頼に応えようとするハートだけなのだ。もおカッコいいったら。そして父親として(また友人として)の決断。泣ける。おれは泣ける。ところで「有害な男らしさ」を言う世間が「無害な男らしさ」を担保する目的って何? 戦争行かせるときに便利とかっすか? おれにもその資質あると思うから聞いておきたいもんだ。

主演のニック・ダミチは「ステイク・ランド」の人なのか。吸血鬼ものですね。「コールド・バレット 凍てついた七月」にも出てるのか。超バイオレンスですね。大好きなジョー・R・ランズデール原作なのにまだ観てなかった。ジョー・R・ランズデールといえば「ハップ&レナード」シリーズだけど、これが白人のヘテロ男性(比較的穏健派で良識的)と黒人のゲイ男性(割とすぐ悪人をぶちのめす)のアツいバディ物(有害な男らしさと無害な男らしさと下品な会話)で感謝しかないのだ。そんな領域に遊ぶ私は割と孤独である。いやそうでもないか。ニーズはあるんだもっとくれ。
なぜ自分はゾンビだののアポカリプスもの、パニックもの、バイオレンスが好きなのかというと、やはりそれらが濃密な人間ドラマにならざるを得ないからだろう。「ゾンビナイト」は別だ。「ゾンビ・ナイト」というテレビ映画もあるから注意が必要だ。多くのゾンビ映画は、人物の造型はさほど深く掘り下げられてはいないかもしれない——「ゾンビナイト」に至っては「掘り下げられていない」などというレベルではなくゼロ以下で、観るべきは冒頭で食われる兄さんだけである(理由:ちょっと好みだった)——しかし極限的な状況下でも「ものの道理を知り」「ゆえに葛藤しており」「尚も正しく生きたいと願う」ヒーローヒロインが描かれるとき、安堵している。まだ作り手がそのような良心的人物を「大衆に支持される」と考えている点にホッとする。それは「映画人が平均的な感性をどの辺りと捉えているか」知るひとつの指標たり得ると私が考えているわけだ。ココ、反論する人はいないんじゃない。じゃゾンビ映画見ようぜ。オブザデッド世界へようこそ。
追記があるよ
別の話。
うちのパートナー氏はこの note を読まないのだが(もの寂しいよでありがたくもある)、先日「『オブザデッド界隈でポリコレを』ってタイトルで日記アップしようと思ってるんですよね」と話したら爆笑していた。これはファミリージョーク的な話になるのだが、うちのパートナー氏はティファニーを食堂か何かだと思っていたのだ。あれは10年ほど前、ティファニーがゲイカップルに向けてペアリングのコレクションを展開し始めた頃の話だ。「指輪? ティファニーって松屋みたいなものじゃないの?」と驚くパートナー氏の様子に、おれは「この人と知り合えてよかった」としみじみ思ったものだった。おれはゲイタウンで洗礼を受けたが、ドンキ環七店で買ったナイロン製のバッグを目ざとく「それゼロハリでしょ」と言われるようなそこでの暮らしにウンザリしていたのだ。ゼロハリだから何だ。だったら何なのだ。20字以内で答えてみろ。作者の気持ちになって答えてみろよオラ。——そんな世間はある意味「御しやすくて」楽ではあったのだが、おうちではそんなことに煩わされたくない。摩擦はないものとしたい。おれにはプレゼントした帽子を何年も経過してから「これラル……フ何とかって書いてある。ブランドなの?」と気づく彼のような人こそベストだ。そーすよブランドすよ。何日もかけて厳選したんすよ。ブランドとか気づきもせずに喜んで被ってくれるあなたがマジ嬉しかったんだよ。
ふたりで思い出に爆笑した後、「ティファニーの話も書いていい?」と訊いたら、パートナー氏はまた笑いをぶり返させながら「いいよ書け書け」と言う。大らかなのか? 結婚指輪は奮発してティファニーがいいかもな。無理かな。でもそれで一生笑えるんなら、貯金しようかな。「お前ら二人で一生笑って過ごすことを誓えるか?」と誰かに訊かれるわけじゃないんだけど、訊かれたら「イエス」って答えますよ。
