あなたのままで(フランスCM)【加筆】
フランス。古いマクドナルドのCM。17,8年前だろうか。
非常勤講師をしている講義で何回か流したことがある。
着信音。注文している父親が振り向く。息子、電話に出る。




「やあ。僕も君のこと思ってた。写真を見てたんだ」
「僕も。会いたいよ」
「親父が戻って来た、切らなきゃ」
この後はセリフがあるのは父親だけ。息子は表情のみ。
「それ、クラスの写真か?」父が聞く。息子は頷く。




「なんでお前のクラスはヤローばかりなんだろうな!」
「お前ならどんな女の子とだって付き合えるのにな!」



このCMは反響を呼び、他国でも同じシチュエーションで別バージョンのCMが作られるということが起きたほどだった。そちらのバージョンではマクドナルドの紙カップを小道具に、息子からのカミングアウトと父からの受容までをドラマとして見せている。カミングアウトさせないオリジナルにもの足りない向きがあったのかもしれない。「カミングアウトする」「受け入れられる」までがカミングアウトのドラマだという定型はなかなか崩しにくい。そういう先入観があることを否定する人はいないだろう。
だが、私はこのオリジナルがとても好きだった。もちろん完成度が高くドラマとして成立しているからだが(完璧だ)、「にもかかわらず、よし」という人生についての理解があり、作り手の温かいまなざしが心に残る。
鑑賞の仕方として、胸を痛めながら観る必要はなく、ただ温かい気持ちをもらえばいいのではないだろうか。そう考える明確なポイントがある。
学齢期であり、まだ子が自立/自活する前の父子関係であること。ハンバーガーを「買う」だけでなく、店を選ぶのもメニューを選ぶのも、親であるかもしれない。子はそれを理解し受け入れている。これはそうした時期の、一場面なのだ。親子関係は少しずつ変化して行く。親の価値観は古臭く見えるものだし、親のつたなさを超越する一点も経験する——きっと、親に報告しないデートが始まる頃に。これは「そんな季節を描いた」CMなのだ。遠景に親子の姿を捉えて、ドラマは終わる。
このCMがカミングアウト物語の定型をなぞらないのは、「生意気盛りの少年が恋をすればこうなるだろ?」というCMでもあるからだろう。恋をした。世界はキラキラしてるし、その中心に彼氏と二人きり。無敵だ。親父なんかどうでもいいのだ。「男同士の話」ってやつをしたがっているパパに、息子らしく付き合ってやっているだけなのだ。そんな時期があるよねえ、というCMなのだ。「フランスだから」とは言いたくないけど、オシャレなのだ。
やがて息子は自分について父親に語り始めるかもしれないし、語ることをしないと決意するのかもしれない。まだ親子にとっての猶予期間だけれども、息子には「言うか言わないか」決断する時期も必ずやって来るのだ。
でも、今は。いいんじゃないかな。
現在の息子の状態が「あなたのまま」じゃないと捉えるか、これも「あなたのまま」と受け取るかで、感想は変わって来るだろう。
講師としてこのCMを教材にした理由は、「カミングアウトはそうそう起こらないもの」という現実から学生に語り始める必要があるからだった。親子関係にイメージされる「何でも言える」「受容するのは親」というパターンを崩す。そんなアイスブレーキングに丁度よかった。
セクシュアル・マイノリティについての授業は、大体においてセクシュアル・マイノリティの話ではない。もどかしくて切なくて、でも温かくて、だから心を捉えて離さない「人生」というものを、全部語り切れなければならないと、そんな焦燥がいつもある。語るべきことが尽きない。そして毎回、心残りで終わる。「満点だった」と思ったこと、一度もないんだよな。
年にひとコマの私の講義。50人の教室で20年だから、これまで講義に出てくれた学生は1,000人くらいだろう。医療者として現場に出てから「話を聴いておいてよかった」と報告してくれた学生もいたし、今年から参加してくれる准教授は、かつて教室で話を聴いてくれた元学生なのだそうだ。
長く続けるとそんなこともあるのかと、とても嬉しいし、びっくりだし、今、謎に緊張している。何という幸せだろうか。
ありがとうございます。必死にやります。
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