どんなラララ(週記:2024/12/14)
トップ画像は NHK 様のサイトから「アドボ」。そんなラララ。
一週間、早ええ。
びっくりするくらい一週間が早い。誰よ日めくりカレンダーで遊んだの。そう言えば日めくりカレンダーってまだあるのだろうか。マンガで時の経過を表すときによく使われていたものだった。ああ、また昔話をしている。おれがじゃなくて、これ AI が書いてるんですけどね。
でも「どうせあっという間だよね」と思うから休日が無為に終わるのなんか何にも怖くない。かかって来やがれ。でもゾンビ月間とかストレス多いときって衝動的な買い物が増えるので、アマゾンの黒い金曜日とかヤフオクはヤバい。
今回ヤフオクで「落札したブツが到着して受け取り連絡した(=出品者に代金が入った)途端に出品者が他の出品を全部下げて逃げる気満々感を出した」ということがあって、アレ大丈夫かなって届いたブツを再確認した。
出品者さん、単に出品がやんなっちゃったのかもしれないけど、だとすればおれのせいかもごめん。
BOOK OFFに(ネットオフに)
映画「スネーク・フライト」と「デッド・フライト」の中古DVDが入荷されてます。お好きな方はGOだ。両者のちがいは主に飛行機にヘビが溢れるかゾンビが溢れるかだけである。ストーリー上「想像通りのことが起きる」ことはこの予測不可能な現代に生きる私たちにある種の安らぎをもたらすであろうし、人によっては「えっ私の毎日こんな感じですいつも」という方もおられるだろうが、……ごめん同情しちゃって涙で続きが書けないよ……
アドボ熱、高まる
フィリピン料理のアドボを教えてくれたのは、まだゲイタウンに出入りしていた頃に仲良くして下さっていた H 氏だった。おれが体調を崩していたときに持ってきてくれたのが、手作りの「アドボ」だった。アドボ。調理工程で焼く前に漬けおく「マリネ」を意味するフィリピン語だ。「鶏のさっぱり煮」じゃねえかと思う方は正解で、実際調味料も「鶏のさっぱり煮」とほぼ同じで、おれが作ると高確率で「鶏のさっぱり煮」になってレモン添えたくなる。鶏肉はもちろん豚肉でもいい。今週末はこれをどうかして作りたい。
H さん元気かな。ご無沙汰してるなあ。H さんが作ってくれたの、旨かったんだよなあ。再現してえなあ。おれが作ると鶏のさっぱり煮になるけど。
ま、鶏のさっぱり煮でいいんだけど。鶏肉解凍するか。
マガジンにご登録いただき感謝しております
マガジン「読み返したい記事」。川崎麻央様、ありがとうございました。「ただ君をかわいいと思うことに」という、「謙虚と自己卑下の隔たり」についての記事でした。すごくまっすぐな思いを書いたんでした。なので、受け止めていただいて嬉しいです。自己卑下、世界からなくなるといいな。
記事をご紹介くださって感謝しております
たよろよろ図書館DATABASE 様、ありがとうございました。
「30年、ふたり。結婚を求める家事審判」という記事でした。
はこぶね行政書士事務所さんも、ありがとうございます。
もともと「はこぶね行政書士事務所さんの記事で知った」家事審判だったので、ひたすら恐縮しております。
荒ぶる火曜日
あの、冷凍食品のチキンライスあるじゃないすか。あれ一袋にね。卵三個を薄く焼きまして、オムライスにしてね。さらに冷凍食品のミートソース大盛も別皿に。それひとりで食ったんですけどね。22時過ぎに。
さすがに多過ぎます……
いやいつもそんな乱暴なメシを食ってるわけじゃなくて。ましてや冷食なんて味も濃いし、適量ならともかく大量に食うもんじゃねえなって改めて思いました。なんかめちゃくちゃなことしたかったんですよねえ。
ちゃんと仕事しまして、行儀よく電車で帰って来まして、近所のスーパーでいよいよ決壊が始まりまして、あれおれなんでちょっと泣いてんのって、そんで。ズルズル寂しさが追いかけてきて、でけえ声で歌って、ばかみてえに怒ってて。そーいやセミ採りさんが長渕のCD買ったとか言ってたから長渕まで歌っちゃったよ。
還暦のゲイがひとり、浮かれてしゃべってる動画を見たせいだ。
差別をちゃんと知っている世代の、かつてはプライドを謳いゲイシーンを牽引していたゲイが、日本はゲイが生きやすい国だの差別なんかないだの発言しただけで、荒れる。おれは荒れた。
自分でおこちゃまかと思うけど無理だ。アタマ吹っ飛ばして怒っているのは、トランスのことまで言いやがったせいだ。おれはゲイプライドなんて知らない。でもなマイノリティプライドがあるんだ。あるんだよクソが。
「弁当だけじゃ、ないから」。
「いや、俺ツイてます」「何でもないス」。
ホメらりたー(嬉しい)
おれ今これ紅ショウガとカツブシ混ぜて醤油かけたやつをごはんに混ぜ込みつつ「うんめえー!」って食ってるんだけど、生まれたてのおっさん(山ちゃん)さんにはできまい。雑な食事、エレガントゆえにできないはずだよね。その山ちゃんさんが先週の「週記」をえらくお褒め下さいました。
人って大体において落ちてたりするよね、日々そんなもんよね、ということをですね、お伝えできればいいかと思うのです――いや単に日常を書いてたらカオスだったんです。誰かに何とかしてほしいです。
よくできましたの木曜日
満員電車に背中が曲がったおばあさんが乗って来た。優先席に座ってたおじいさんが自分もでかいリュック背負ってるのに席を譲ったから、おれがそのじいちゃんに寄りかかれる場所を譲った。「いいよお」って言ってたけど丁重にそこに収めた。ハニカミまで完璧か。愛され人生だなあんた。
ひとを愛して、愛したことは忘れてしまった(滝口雅子)
「男について」というタイトルの詩が好きだった、詩人の滝口雅子。でももうひとつ「秋の接吻」という詩の、「ひとを愛して 愛したことは忘れてしまった そんな瞳(め)が咲いていた」という言葉置きに衝撃を受けた。無論中学生だった自分に分かるはずもなくて、未知を恐れ同時に憧れるような、そんな感覚しか覚えなかった。今は分かる。そして悲しくもない。ずっと恋愛イベントを追い求める人もいるが、自分はそうではなかったのだ。愛がどんな衝動だったかと幻を追い続けたりはしない。平坦な人生だったら寂しかったのだろうか。ただ自分がどんな「瞳」をしているかは知りようがない。自分の心を覗き込んでいる瞬間の目の色を鏡は捉えない。もう誰かから好意を向けられると、自分のなかの荒涼を思うようになった。いとわしいのではなく人そのものはいとおしいのだけれど、恋をしたりはしないのだ。
秋風が詩人に頬を差し出す。私は長く詩人が風にキスされたのだと思い込んでいたが、いま読めば詩人が風に口づけたようだ。だとすればやはり嘆きの詩ではない。
昔日のサントリーCMにみる「年末感」。
当時から「開高健に『自分の顔を憎む』と言われたら皆どうすりゃいいんだよ」、という話ではあったんだが、確かにバブル前までは「自分の顔に責任をもて」と言う人がいたのだ。それが顔の造りという話ではなく、顔に滲み出る内面であることを人々は理解していた。何を顔に刻んで生きるかが人生の主題にならなくなると、人々は若さを妬み老いを恐れるようになる。
中島みゆきが書いた「ただの心しかもたない痩せた猫になっても」という歌詞が、ずっと分からない。おれはただの心しかもたずに生きている。
福岡高裁、おめでとう。司法の矜持。
