0と1の世界で0か100だと君が言う
昨夜パートナーとの電話で、啓発活動の方向性を変えたいと思っているんですよねと話していた。即座に「それは足並み的にコンセンサスが取れてるのか/他の論者でも使えるのか」と確認が入った。ああ「自分発信として」と入れてなかったなと気づく。まったく日本人は(←でかい主語)本当に話を終わりまで聞き終えることができねーな。「知らねえよ他の奴とかどうでもいい。そんなの何百人いると思ってんだ!」とは言わなかった。「どうでもいいとは何だ、」となり、そんな物言いをする精神状態を心配される展開にしかならない。それに、それも本音じゃない。本音じゃないけど、若干の真実もある――コンセンサス取りながら皆で動けるような連帯などない。そもそもあんたの男は社会から意見なんか待たれてない、出版もできてないの分かるだろ、と絡みたいのが本当だ。何で話者として大丈夫か心配するんだよ。おれは世界のためにいるわけじゃないだろ。おれは、あんたの、何だ。そう言いたい。――いや八つ当たりがすぎる。でも少し話を遮られただけで不信感を向けられたようにピリついていた。昨日はずっと、しんどかったのだ。
八つ当たりは良くないけど。自分の甘え心で傷ついたり、自分の至らなさなのに噛みついたり、この人の前ではできるようになりたかった気がする。ああ note における「RYOJI」というキャラクターはおれの育ち直し人格なのだなと妙に納得する。あんたもおれの保護者じゃないんだからなと、言うべきかもしれない。「もう一つの国」のアイダとヴィヴァルドの愛も、思えばそこで試されていたんだった——「僕が愛していること、君は忘れているようだな」——あの痛ましい小説。今も部屋のどこかにある。
恋う人よ。おれはすぐ諦めてしまうから、黙り込ませないでくれ。
「おれは天才なんだよ!」
「それは知ってる」
記事をご紹介いただきました
たよろよろ図書館DATABASE様、ありがとうございます。

