日本人形が怖すぎて髪の毛の長さを定期的に測ってしまう
いっておくが怪奇現象を信じる人はリアルすぎる日本人形を不用意に買ったり譲り受けたりしない方が良い。
自宅に置いたら最後。恐怖で処分などできない。
なにしろ捨てたりしたら「祟りがあるかもしれない」と得体のしれない恐怖心に苛まれ一生つき合うことになる可能性が高い。事実、私などは祖父の形見として譲り受けた日本人形を30年以上、所有し続けている。今後も死ぬまで付き合うことになるだろう。
しかも怪奇現象の類は一切信用しないのにこれだ。なにより手間がかかる。世話がかかる。
まずもってやっかいないなのが、髪が伸びたのではないかと逐一チェックすることである。
私は強迫性障害を長年、患っているせいでこういう事にはとにかく細かい。神経質になってしまうところがある。
強迫障を患っている方ならご存じの通り、正確にはこれを「強迫観念」という。ある行為によって悪いことが起こるのではないかと真剣に捉えてしまうのだ。
不合理だと分かっていても自分の意思に反して繰り返し脳裏に浮かび強い不安や苦痛をもたらし、そうした思考が暴走し制御できない。
何より日本人形を見ているとあまりのリアルさに「生」を感じずにはいられない。まるで生きているようだ。そしてこうなると心霊番組などでよく見るあの現象を想起させてしまう。
そう、日本人形の髪の毛が伸びたような気がして不安で不安で仕方がないのである。そこで私は定期的に測っている。日本人形の髪の毛の長さをチェックするのだ。
しかも日本人形の髪の毛を計る際には所作を整え、一礼する。
当然だ。日本人形の怒りを買うかもしれないからだ。失礼になってはいけないし、なにより祟りがあるかもしれない。
ただ、こういう姿を他者に見られたら恐らくバカに見えるだろう。あるいは危ない人だと思われるかもしれない。なぜならこんな風景に見えるからだ。
「日本人形に一礼してから丁寧に髪の毛の長さを測る57歳のおじさん」
まさにこんな姿を他人に見られたらそれこそホラーである。
そもそも過去との比較のために日本人形の毛の長さを書き記しておく必要がある。さらにそれを記した小さなメモ帳を人形のガラスケースの中においてある。
そしてそこには例えば、「2026年5月29日午後8時。髪の長さ5㎝」と記してあるのだが、仮にそれを私の死後などに遺品整理中の息子が発見したらどう思うかだ。
「お父さんには、こんな趣味があったのか・・・」
いや趣味とかそういう類のものではない。まるで「変態」のようないかがわしい物言いをされても困る。これではおちおち死んでもいられないじゃないか。そしてさらに困るのがこれだ。
深夜、トイレに行こうとしたら目が合い戦慄。日本人形の視線に耐えられず壁側などあっちを向かせたりもする。
かとってあっちを向かせたままだと日本人形の機嫌を損ねてしまうのではと、こっちに向かせ直す。そしてまた別の日に目が合い慄き、あっちを向かせ、こっちを向かせ直す。
もはやどっちがあっちで、どっちがこっちなのかよくわからなくなってしまう。
これが「日本人形」と暮らす私の日常だ。では手放せばいいではないかと思われるだろう。とはいえ当然、祟りを考えるとゴミとして処分するなどもってのほかである。
かといって、「人形供養」などに出すのも気が引ける。ちなみに人形供養とは、思い出の詰まった人形やぬいぐるみに感謝を伝え、神社やお寺で適切にお焚き上げ(処分)してもらう儀式である。基本的には一体5000円くらいが相場だ。
とはいえこの供養は、「お焚き上げ」だ。つまり焼却処分するのである。火で燃やす。いや、いくらなんでも残酷すぎやしないか。
なによりまだ生きているかもしれないのに、である。そもそもこれは、神社やお寺のビジネス的な儀式だと私は見ている。平たく言うと金儲けだ。そんなものに人形を託し処分してもらったらそれこそ祟りがあるかもしれない。
とはいえ繰り返すが私は怪奇現象など一切信じない。それでも祖父の形見として譲り受けた日本人形の祟りを恐れ30年以上、猫の距離感を取りつつ恐る恐る所有し続けている。
