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護法の善神

 ある密教の行者さんと偶々話したとき、荼吉尼天尊を「魔物」といい、その功徳を「魔力」と指摘されました。そのうえで、その「魔物」を拜んでいる愚拙を批判。加えて、荼吉尼天尊の信心を勧めてる事に関して、個人で祀るのは絶対的な禁忌、としていました。基本的な見解の相違なので無駄な議論はせず、スルーしましたが、相手はご不快だったみたいです。

 行者の中には様々な見解があるので、上記の立論の是非について論評はしません。が、愚見では稲荷大神と関わり合い、日本において「天」の呼称をもって尊崇されるようになった一種の習合神としての荼吉尼天尊と、その原型とされるインドの小夜叉(鬼類)、曼荼羅に描かれる人間を喰らうダキニとをほぼ同じ霊格と見る考えから、上記の謬見が導き出されているのではないかと思います。

 天部に位置付けられ、護法の尊格としての荼吉尼天尊は、日本固有の尊格で、いわばメイドインジャパンの神靈と言ってもいいでしょう。著名な行者師は「我が国に固有の権現信仰の一形態で、その意味で非常に貴重なものである」と指摘されています。ダキニが原型ではあるものの、荼吉尼天王尊は発展した形であり、別物と言っても過言ではありません。ダキニの魔物性をそのまま荼吉尼天王尊へ当て嵌めるのは不適当です。

 仮に荼吉尼天尊が「魔物」であるならば、日本佛教の優れた先徳方が礼拜の対象にしてきたこととの間に矛盾が生じます。傳教大師の『六天講式』には、大黒天の次に荼吉尼天王尊が出てきます。最上稲荷を祈り出した報恩大師、同じく豊川稲荷の寒厳禅師なども荼吉尼天王尊を護法善神として篤く信心し、それによって佛法を廣め人々を救済する活動を全うされました。

 このように日本独特の天部の尊であり、佛教を守護する護法尊としての役割を果たされてきた荼吉尼天尊は、原型であるダキニとの繋がりを僅かに残しながらも、大きな変貌を遂げられています。稲荷大神との習合も御神徳に廣がりと深さを加え、元々のダキニの魔力は光輝く神力に昇華されました。荼吉尼天尊の功徳は護法力によるものですから安心して拜受してください。合掌

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