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「だって、実現できたほうがいいから」

自分の記事って言ってしまえば「綺麗ごと」が多い。

綺麗ごとというか、綺麗にまとめているというか、

「わかってはいるけど、、、」

と多くの人が思ってしまう記事が多いといった感じ。
意識的にやっているんだけど。

「、、、」に続くのは、

「だけど難しいんだよね」

だとか

「できたら実行しているわ」

といったいわば”綺麗ごと”とか”理想論”といった言葉で落ち着くものが多い。

でも最初に言ったように、それをわかっててそうしている。まだまだ自分は完璧にその通りにできていないということもわかっているし、そんなの理想論だとわかっているし。いやむしろわかっているからこそ言っているのかもしれない。


その理由はいたってシンプルだ。

「だって実現できたほうがいいから」


その答えに至る理由も冒頭に出ている。

「だけど難しいんだよね」とか「できたら実行しているわ」って、厳しい見方をすれば結局は出来なかったことに対する言い訳にすぎない。できなかった理由を自分で並べて正当化しているに過ぎない。

出来るに越したことはない、ということは誰よりも自分が一番理解している。


じゃあ何から変えていくか、って考えたら手っ取り早いのは意識であり、言葉じゃないかと思っていて。

もちろん行動を変えることも大事だ。でもそれにはちょっと勇気が必要なことだってある。周りとの兼ね合いもある。それに引き換え言葉や意識は自分次第だ。最初は自分に向けてだけ変えることだってできる。まさに「今」この瞬間から変えられる。


そしていずれその綺麗ごとや理想論を高らかに宣言してしまえば、もう自分はそれを意識せざるを得ない状態になる。退路を断つというか。

多くの人に宣言すれば宣言するほど、周りは自分をきっとそういった目で見る。それで行動が伴っていなかったら言葉に説得力がない人だと思われる。それは嫌だから自然と行動も変わる。

だからnoteの記事の数々は、誰かに読んでもらうために書いているのと同時に自分自身に言い聞かすために書いてるんだな、って今になって思う。

自分自身にプレッシャーをかけるために。
「書いたんだから貫けよ」と発破をかけるために。

だから時々、自分の記事を振り返ってケツを叩かれる感覚に陥ることもある。

「お前ちゃんとやれてるか?」
「自分で言った通りやれてるか?」

って。

三日坊主という言葉があるけれど、それならまた四日目に気づいて再開すればいいだけで。そこで必要なのは四日目に気づけるような材料を増やすことで。

その材料増やしのためにnoteというツールを通じて、綺麗ごとであり、理想論、なりたい姿というものを文字にして自分自身に言い聞かせている。





「わかってはいるけど、、、、、できない。」に屈するんじゃない。
「わかってはいる」からこそ自分に言い続ける。言い聞かせる。

だって実現できたほうがいいから。


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