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玄関の、その先へ

前回、地域の一員になる、という話を書いた。施す側に立つのではなく、同じ高さに混じる、と。今日は、その一員として、本業の医療を通じて、地域の困りごとに、どこまで手を伸ばせるか、という話をしたい。少し、医療そのものに踏み込む。

私たちの本業は、医療を通じて、患者さんの病気を治し、健康を保つことだ。通常の診療があり、健康診断や予防接種のような予防があり、外来、入院、在宅、リハビリと、形はさまざまだが、要するに、受診した人を、良くしていく。これが、対価をいただいて行う、私たちの仕事である。

けれど、病院に来る人が抱えているのは、病気だけではない。

人は、いろいろな悩みを抱えて、病院にやってくる。考えてみると、病院というのは、苦痛を抱えた人にとって、わりと身近で、相談しやすい場所なのだと思う。少し大げさに言えば、駆け込み寺のようなところがある。昔は、地域に、お寺がたくさんあった。子どもに読み書きを教え、行事をひらき、弔いをし、たぶん、具合の悪い人の相談にも乗っていた。いろいろな機能を、一手に担っていたのだろう。それが時代とともに、お寺の役割は、弔いやお墓のあたりに絞られて、ほかの機能は、別の場所が引き受けるようになっていった。

そのなかで、病院は、赤ん坊から高齢の方まで、ほんとうにいろいろな世代が訪れる、数少ない場所として残っている。だから私は、病院には、昔のお寺が担っていたような役割の、いくらかが流れ込んでいるのではないか、と思うことがある。この見方が正しいかどうかは、分からない。ただ、そう見える瞬間が、たしかにある。だとすれば、医療という本業を通して病気を治すだけでなく、困っている人を、なんとか助けられないか、と考えるのは、そう不自然なことでもない。

患者さんが抱えている困りごとを、より正確に言い当てる言葉が、近年、医療の世界で使われるようになってきた。健康の社会的決定要因、という。英語の頭文字を取って、SDHとも呼ばれる。私の理解では、これは、人の健康が、その人の生活習慣や体質だけで決まるのではなく、貧困や、孤独や、家族や友人との関わり、住んでいる環境といった、社会的な要因によっても、大きく左右される、という考え方だ。そして、こうした社会的な要因によって生まれる健康の差を、健康格差と呼ぶ。

現場で患者さんを診ていても、これは、はっきり感じる。同じ病気でも、背景は、人によってまるで違う。特に困りごとのない人も多い。けれど、なかには、お金に困っている人、孤独で誰の支えもない人、高齢で病院まで来るのが難しい人、家から出られなくなっている人がいる。そういう背景があると、自分の病気なのに、医療にたどり着くこと自体が、難しくなってしまう。そういう人を、これまで、たくさん見てきた。

では、こうしたSDHに、医療機関は、どう向き合うのか。そもそも向き合うのか。ここは、考え方が分かれるところだと思う。

私たちは、まず、SDHという問題を、認識するところから始めることにした。院内で、SDHについての学びの場を持ち、目の前の患者さんに、そうした社会的な背景があるかどうかを、見抜く目を養う。患者さんは、自分の弱いところを、なかなか口にしない。お金がない、とは、人に言わないものだ。だから、それを、責めるのでも詮索するのでもなく、話しやすい空気を作って、なぜ、何に困っているのかを、少しずつ聞けるようにしていく。つまるところ、信頼してもらう、ということだ。

ただし、聞き出すだけで、何もできなければ、ただ聞いただけになってしまう。正直に書くと、私たちは、一つひとつの困りごとに、明確な解決策を持っているわけではない。それでも、ソーシャルワーカーも、看護師も、医師も、SDHに関心を持って、解決の糸口を、患者さんと一緒に考えていく。それが大事なのだと思っている。

もっとも、これには、限界もはっきりある。病院の玄関の、その内側まで来てくれた人には、私たちは向き合える。けれど、玄関までたどり着けない人に、どう手を伸ばすか。これは、また別の、重い問題として残っている。

そして、避けて通れないのが、対価の話だ。

本業の医療は、対価をいただく仕事だ。けれど、SDHへの対応には、基本的に、対価がない。ここには、大きな議論があると思う。正直に言えば、経営環境は厳しく、人材も足りない医療の現場に、本業の外のことに割ける余裕など、ほとんどない。それでも、目の前で困っている人を、見て見ぬふりができるのか、という話なのだ。全員に手を差し伸べるのは、とても無理だ。けれど、本当に困っている人にだけでも、手を伸ばしたい。そう思っている。

幸い、比較的軽い困りごとには、私たちが抱え込まなくても、応える道がある。

たとえば、高齢の方が、話す相手がいない、体を動かす場がない、といった困りごとなら、地域には、それに応える活動が、実はたくさんある。運動の教室や、おしゃべりの会のような、民間の、ささやかな集まりだ。こうした地域の活動に、患者さんをつないでいく。これを、社会的処方と呼ぶ。薬を処方するように、地域の居場所や活動を、いわば処方する、という発想だ。私の理解では、これはもともと英国で始まった取り組みで、近年は、日本でも、国の政策のなかで、孤独・孤立への対策として取り上げられるようになってきている。

ところが、やってみて分かったのは、地域に活動はたくさんあるのに、それが、どこで、誰が、いつやっているのか、ひとつにまとまっていない、ということだった。誰も、全体を管理していない。そこで私たちは、地域の行政と連携する形を取った。臨床の側である私たちが、SDHに目を向け、社会的処方に取り組む。行政の側が、地域に点在する、ボランティアも含めた活動を、見える化して、ひとつにまとめる。そうして、地域の活動の一覧のようなものが、形になった。これは、ほんとうに良い成果だったと思う。そういうものがあれば、紹介するだけでも、意味がある。

そして、その、人と活動とをつなぐ役割を担う人を、海外では、リンクワーカーと呼ぶらしい。医療者からの紹介を受けて、その人の困りごとを全体として受け止め、地域の資源へと橋渡しをする。多くは、医療者ではない人が担っているという。日本には、まだ、この職種は確立していない。私たちのところでも、このリンクワーカーにあたる役割を担える人を育てて、患者さんがいたら、そこへつなぐ、という形が、少しずつできてきた。

もっとも、患者さんが、すんなり、では行ってみます、となるわけではない。おせっかいだと思われることもあるだろう。それでも、こういうものに、そっとつないでいく空気を、地域のなかに作っていくこと自体に、意味があると思っている。

正直に書けば、これは、まだ、たいした実績のある活動ではない。小さな取り組みだ。大きな予算をつけられるわけでもない。私たちにも、そんな余力はない。だから、無理のない範囲で、細々とでも続けて、その認知を、少しずつ広げていく。今、やるべきことは、たぶん、それくらいのことだ。いつか、こうした取り組みによって、医療費が抑えられたとか、患者さんの暮らしの質が上がったといった、目に見える証拠が積み上がれば、国からの後押しも、もう少し出てくるかもしれない。実際、海外には、社会的処方が、外来や入院を減らしたという報告もあるようだ。私は個人的に、これは、めぐりめぐって医療費を抑える方向に働くのではないか、と思っている。うまくいけば、の話ではあるけれど。

最後に、これは、ブランディングの話の流れのなかで書いているので、一つだけ。

こうした取り組みは、評判を上げるためでも、患者さんを増やすためでもない。対価もなく、見返りも、はっきりとは見えない。それでも、誠実に、細々と続けていれば、いつか、あそこは、そういうことをやっている病院だ、という像が、地域のなかに、ひとりでに立ち上がる日が、来るのかもしれない。けれど、それを目的にした瞬間に、たぶん、この取り組みは、濁る。だから、目的にはしない。困っている人がいるから、手を伸ばす。それだけだ。立ち上がるとすれば、それは、結果として、後から、ついてくるものだろうと思う。

【参照した文献・注記】

・健康の社会的決定要因(SDH:Social Determinants of Health)とは、人の健康が、生物学的・生活習慣的な要因だけでなく、社会経済状況、雇用・労働環境、家族や友人との関わり、コミュニティのつながりといった社会的な要因によっても左右される、という考え方を指す。これによって生じる健康状態の差は「健康格差」と呼ばれる。

・社会的処方(Social Prescribing)は、医療者が、患者の心身の健康・ウェルビーイングの改善のために、薬などの医療的手段だけでなく、地域の社会的な活動や居場所への参加を、非医療的な選択肢として紹介・提案する取り組みを指す。発祥は英国で、1980年代の自主的な活動を経て、2006年に英国保健省が紹介し広がったとされる。日本では「経済財政運営と改革の基本方針2020(骨太方針2020)」のころから、孤独・孤立対策として政策に位置づけられ、複数の自治体でモデル事業が行われている。

・リンクワーカーは、医療者などからの紹介を受けた人を全人的にアセスメントし、地域の社会資源へ橋渡しする役割を担う。英国では主に非医療者がこれを担うが、全国共通の研修や呼称は確立しておらず、所属先も多様とされる。日本では、リンクワーカーという職種はまだ確立しておらず、誰がその役割を担うかが課題として、各地で試行されている段階である。

・社会的処方が外来診察・入院等を減らしたという調査報告があるとされる一方、その効果の評価方法については、継続的にどう測るかが課題とされている。本稿の「医療費を抑える方向に働くのではないか」という見方は、私の個人的な見通しであり、確立した結論ではない。

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