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心の中を吹き抜ける風

心にうっすらとした靄がかかり、気持ちとことばが自分から遠ざかってしまったように思える日々が続いていた。


いつもと同じ道を毎日通っていたのに、いつの間にか見知らぬ街に迷い込んでしまったかのよう。
好きな本を開いても、通り雨がさあっと地表だけを湿らせて去ってゆくようで、心の奥深くまで、ことばが持つ温度や手ざわりが入ってこない。


本に限らず、たとえば美術館で作品と向かい合っても、それはどこまでも遠く離れた場所に存在しているようにしか感じられず、言いようのない寂しさを味わっていたのだった。


何かきっかけとなるような大きな出来事があったわけではない。それに、こうした経験は何度も重ねている。ふと気がつけばそうした状況に陥っていて、空虚さから逃れるために文章を綴ってみても堂々巡りを続けるばかり。

こんな時には無理をしないほうが良いのだと思ってはみるものの、書くことから完全に離れてしまえば、もう二度と戻って来られなくなるような気がして、心にわずかばかり残っている色彩で何かかたちになるものをえがこうとしてしまう。

不穏な波に揺られる迷子の心地で過ごす日々の中で、唯一心が凪いだのは、朝焼けが広がるころにふらりと短い散歩に出て、何も考えずに空を眺めるひとときだった。




曖昧でやわらかな色が次第に遠ざかり、澄んだ光で世界が満たされてゆくとき。
ある日は飛行機雲がまっすぐな線をえがき、また別の日には鳥が悠々と空を舞っていた。


桜のつぼみが綻び、花曇りの日には憂いを帯びた顔を見せる。花弁が舞い散り、やがて青葉の瑞々しさを纏ってゆく。
一日たりとも同じ日など無い、と思う。繰り返しそう思っているけれど、そう思うわたしも、日々同じではありえなくて。




目覚めた瞬間、わたしがわたしのまま昨日と変わらずここにあるということが、ときおり信じがたい心地になる。
まだ夢の淵に体を置いているような気がするけれど、床に足をつけるとひんやりと冷たい。どうしても明るい側には行けない自分を、置き去りにしたくなる日もある。でも、最後まで背負ってゆくしかないのだ。



いつものように職場へと向かおうとしたある日の朝、あまりにも空の青さが眩しくて、思わず立ち止まった。


樹々の葉の一枚一枚が、鉱石のような輝きを放っている。
風の香りが、昨日までとは全く違う。
一夜のうちに、ひとつの季節が去ってしまったのだ。

まるで誰かが、心を込めて空を磨き上げたみたいだと思う。
はじめて目にする光景に見惚れる子どものように立ち尽くしていると、肩に感じていた重みが不意に溶けてゆく。


その日の夜、数日前に手元に迎えたばかりの詩集をそっと開いた。


それは桜の花弁が風と戯れていたうららかな午後のこと、豊かな色彩があふれる絵画に囲まれて、わたしは途方にくれていた。色が、体を素通りする。そう思いながら歩く帰り道、書店の前を通りかかり、何の目的もないまま見慣れた棚のところまで足を進める。


一冊の詩集と、目が合った。
以前から気になっていたのに、何故か手に取らないままになっていた作品。
表紙に描かれているのは一脚の椅子と、その座面に置かれた緑色の本。
ここに座って、頁を開いてご覧なさい、と言われたような気がした。もちろんそれはまぼろしの声なのだけれど、今がこの詩集と出会うべき時だったのだ、と思った。



悲しみを信じたことがない。
どんなときにも感情は嘘をつく。
正しさをかかげることはきらいだ。
色と匂いを信じる。いつでも
空の色が心の色だと思っている。
黒々と枝をひろげるけやきの木、
夕暮れの川面の光り、
真夜中過ぎの月が、好きだ。
単純なものはたくさんの意味をもつ。
いくら短い一日だって、一分ずつ
もし大切に生きれば、永遠より長いだろう。

『一日の終わりの詩集』長田弘
「言葉」より一部を引用



静かに佇むことばを眺めていると、ゆるやかに、ぬくもりが指先へと広がってゆくのを感じる。

余分なものはいらない。
大切なものが、すこしだけあれば良い。
そう思っていたはずなのに、いつのまにか小さな不安や多すぎる情報に足を絡め取られ、気持ちに淀みがうまれてしまっていたことに気がついた。


心の中を、透明な風が吹き抜ける。


もう大丈夫、帰って来た、と思った。

その夜からことばが温度と手ざわりを取り戻し、馥郁たる香りと色彩を漂わせながら、日々の中をさらさらと流れてゆく。





気がついてみれば、手元に迎えた長田弘さんの
作品はこちらでちょうど十冊目。

飾らないやわらかなことばの中に
物事の核心を捉える鋭いまなざしが感じられ、
読んでいると気持ちの波が鎮まってゆく。

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夏樹 最後まで読んで下さり、ありがとうございます。 あなたの毎日が、素晴らしいものでありますように☺️