仄かな翳り、透明な哀しみ。
東の空に浮かぶ白銀の三日月から視線を転じ、弧をえがくようにして西の空に目を遣れば、縹色と茜色が溶け合うところで蝙蝠が飛び交っている。
まるで影絵を見るようだ。そう思いながら歩いていると、秋の気配がほのめく風が一瞬だけ頰を撫でてゆき、通り過ぎていった後には、再び生温い空気がまとわりつく。
逢魔時ということばが、耳元で聞こえたような気がして、不意に心細くなる。
日が次第に傾き、暗さを増してゆく空を見上げながら、足早に家へと向かう道を辿っていた幼い頃のことを思い出した。
心細さの上に懐かしさが重ね塗りされて、胸の奥にまで夕映えが広がるようだ。
彼は誰。誰そ彼。
唄うように呟けば、彼というひと文字が、岸辺から花の面影を連れてくる。
やがて来る季節に咲く、彼岸花の姿。
今はまだ何の色も見えない公園の一角を見遣りながら、炎のような花のかたちを思い浮かべた。
毎年同じ場所で咲くあざやかな紅の色を目にする季節を心待ちにするようになったのは、一体いつからだったのだろう。
曼珠沙華、という別名に俳句を通して出会った日、なんて似つかわしい呼称なのかと、絵画の前に立つようにしてページに記された四つの漢字に目を凝らした。それは、二十年以上も前のことだ。
幼い頃には蛇苺や茱萸などを平気で口にするほど植物に慣れ親しんでいたけれど、毒があると教わっていたから、彼岸花には決して手をふれようとしなかった。
朝夕に通学路で目にするその姿に、近寄りがたさゆえにか不思議と惹かれるものがあり、ときには少し離れたところに佇み、しばらくの間眺めることもあった。
けれども、それほどに心惹かれる花であることを、これまで誰かに話したことはない。
たとえば、向日葵のように生き生きとした明るさを放つ花や、秋桜のように可憐さを纏う花であれば、何のためらいもなく、わたしはこの花が好きなのだと口にしていたことだろう。
翳りを帯びているもの。
憂愁に包まれているもの。
心の琴線にふれるのは、物語でも絵画でも、そのような作品ばかりで、その世界の中にひたっていると透明な哀しみが胸に溢れてくるように感じられた。
その哀しみの色がどれほど美しいのかをまわりの大人たちに語っても不思議な顔をされることが多く、
これはあまり話さない方が良いのかもしれないと思うようになってゆく。
明るいものは、良い。
暗いものは、良くない。
そのような価値観を持つひともいるのだということに、気がつかざるを得なかった。
もっと明るく活発な性格になったほうが良いと言われることもあれば、どうしてそんな暗い物語を好むのかと驚かれることもあった。
ひとは、明るい感情だけを持って生きているわけではないのに。
灰色の雲から舞い降りてくる雪片、鈍色の玲瓏たる調べが響く哀傷歌。
いつだって心を深く染め上げる色彩は、やわらかな闇の一雫を滲ませているものだ。
眩い太陽の光よりも、ふらりと異界に誘われてしまうような、蒼白い月の光に惹かれるのは、暗くて、良くないこと、なのだろうか。
真夏の昼間でも陽ざしの届かない仏間の涼しさを味わいながら本を読み、読み疲れては畳のへりの文様を見つめていた遠い日に感じた寂しさは、残像のように今も記憶に刻まれている。
茜色の領域が徐々に縹色に溶けてゆく様子を眺めていると、その寂しさが、何か甘やかなものに感じられてきた。
賑やかな場所にいると、自分がその場にそぐわないような気がしてならない。
深海を揺曳するような孤独さと、薄墨色に霞むような翳りのある感情が、身に馴染むのだ。
たとえ暗いと言われようとも自分のありようを変えることなど出来ないし、無理に周囲と合わせる必要もないのだと、今のわたしは知っている。
静かな諦念、懶さが色濃く漂い、内側から鉱石のような輝きを放つ物語と詩歌の数々が脳裏をよぎる。
黄昏時の空のような哀しみや、真夜中の闇のような苦しみがひとつの作品に昇華されるとき、そこにはひとの心を捉えて離さない光が生じるのだと思う。
朧げな月明かりの下でやすらぎを覚えるように、その光にふれることで、和らいでゆく痛みがある。
螺旋階段をどこまでも降りてゆくような思考の先に広がる景色は、荒涼たるものに見えることだろう。
けれども陰翳に目を凝らすことでしかふれることの叶わない、幽艶な花はきっと存在するのだ。
藍色に塗り替えられた空と、山の稜線が接するところで、金色の帯が靡いている。
やがてその帯すらも夕闇に包まれて消え去ってゆくのを眺めていると、今日という日の終わりを見届けているのだという満ち足りた思いが、ゆっくり指先にまで沁み透ってくるようだった。

ポストカード。本を読む後ろ姿を見た瞬間に
子どもの頃の自分みたいだと思った。
心がこんな色合いで染まるときのことを
どう表現すれば良いのか、ずっとことばを
探し続けているのかもしれない。
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最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
あなたの毎日が、素晴らしいものでありますように☺️