去りゆく日々のひとひら
陽光がきらめく朝に
水面を眺める
物憂い夕暮れどきに
空を見上げる
雨音が聞こえる夜に
詩集をひらく
そんなひとときが、やわらかな色に染められた糸に変わり、心の奥に仕舞われる。
その糸でひと針ずつ刺繍をすすめてゆくような気持ちで、文章を書き連ねてゆく。
心にすっと溶けこむことばというのは日によって違っていて、それはことばが持つ意味によるのではなく、質感や風合いといったものに左右されているのだと思う。
よく使われている表現であっても、自分のからだにしっくりとなじまないものには距離をおいてしまう。その感覚は書くときのみならず読むときにもはたらくものだから、手に取る本はおのずと限られてくる。
この頃は特に、新しい作品と出会うよりも、かつてよく開いた本を読み返したり、同じ詩に幾度もふれたりして、ことばがゆっくりと染みこんでゆくような体感を味わうことが多くなった。
ぬくもりと、冷たさ
淡さと、あざやかさ
目を凝らすほどに、耳を澄ますほどに。
感覚はこまやかにひらかれてゆき、見えなかった色が、聞こえなかった音が、入道雲のようなくっきりとした立体感をもってあらわれてくる。
そうした感覚に包まれる日々を過ごすうちに、気持ちがくすんでいるように思われてきて、身のまわりのものの整理をはじめたのだった。
もともと持ちものは少ないほうだけれど、いつの間にか増えてしまっていたことに気がつく。ひとつひとつにふれてみて、今の自分に必要なのか問いかける。
何かを好きでいることが、心を重く、窮屈にしているように感じられるときがある。
いつでも、身軽でいたいと願っているのだろう。それに、ほんとうの意味で、わたしのものと言えるものなど無いのだ、と思ってもいる。
この世は仮の宿り、ということばを知ったのはいつだったか。永遠は、とわ。永久は、とこしえ。
そんな言い表し方も多分、同じ頃に知ったはず。その響きを聞いたとき、うつくしいと感じたことはあざやかに心に残っている。うすべに色につやめく貝殻のようなそんな記憶を、久しぶりに掬いあげて眺めてみた。
幼い頃、大切にしていたものが壊れて悲しんでいたとき、かたちあるものはいつか必ずなくなるのだと諭された。それでも、散らばった破片を前にして、ただ失ったものを惜しんで泣くばかりで、大切なものはずっとそばにあって欲しいと願っていたし、確かなかたちを持ち続けるものを求めてもいた。
けれども次第に、緑の葉からこぼれる雨の雫や、風に舞う花弁と雪片に惹かれはじめる。
いつしかわたしは、儚く消えるものやうつろうものばかりを、好むようになっていった。
水や風、雲のように流れ去り
振り返れば
かすかな光がまなうらに残る
ものも、ひとの思いも、光景も。この世界で行き交うものは、すべてが旅人なのかもしれない。
日々の暮らしの中で、たくさんの旅人とすれ違っては別れてゆく。出会いの瞬間に心の水面に立つ漣をことばにして誰かに届けたならば、遠くにいるひとの手のうえで、それは淡いきらめきを放つだろう。
はてなく続くように見えた旅は、必ず終わりを迎える。けれども、それはそこでふっつりと途絶えるのではなく、空と海と大地のあいだを水が循環するように、かたちを変えていつまでも巡り続けているのではないか、という気がしていて。
雨が降りはじめる前のかすかな気配と、肌にまとわりつくような湿気が漂う季節になると、昔のことをよく思い出す。土の香りが、記憶を呼びまさますからだろうか。
過去から逃れたくて、思い出の品と呼べるものは持たずに生きてきた。けれども、ものとして今は手元に無くとも、目に見えないかけらとなって、わたしの内側にある。
こうして文章を書き連ねていると、それは確かな実感として指先に宿る。そして指先には、寂しさが染みついている。
部屋にうまれた余白を眺めてから、外に出た。
翳りを帯びてゆく空に浮かぶ白い雲を見つめていると、凍てつくような風が吹く日に聴いた、澄み渡る声で絶望に向かって呼びかけていたひとの歌が、心によみがえってくる。
刻々と移ろいゆく色彩を眺めているときに感じるのは深い孤独で、昔のわたしはそれが怖かったけれど、今は、そのほのかな哀しみに心地よさを感じはじめている。
消え去るものと
残り続けるもの
そのあわいに散りばめられた光とともに、これから先の道のりも、ゆるやかに歩いてゆきたい、と思った。

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最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
あなたの毎日が、素晴らしいものでありますように☺️