怖さの先に、見つけた光。
夢の中で、夕暮れどきの光が大きな窓から差しこむ喫茶店の窓辺の席に、ひとりで座っていた。
目の前にあるはずのカップに手を伸ばしても届かないのを不思議に感じながらも、とても満ち足りた気持ちでいて、この時間がこのまま続くと良いのに、と思う。
そう思っているうちに、不意に目が覚めた。
まだ、きっと太陽は昇っていない。
けれども、ほのかな明るさが部屋の空気の中に漂っていて、夜明けが近いことがわかる。
目覚めてからもしばらくの間、珈琲の香りに満たされた空間に、揺蕩っているような心地がしていた。
夢の中で感じた気持ちの余韻を味わいながら、職場へと向かう。
朝から照りつける陽ざしを浴びて道路沿いの樹々の緑が輝いている様子が目に入る。その瞬間、暑さを忘れてただその鮮やかな色彩に見入ってしまう。
信号待ちの間に頭上をふり仰げば、雲の白さが心までも染め上げるようだ。
真夏の景色のくっきりとした色合いに心を惹かれるのは、自分が生まれた季節だからかもしれない、と思った。
"毎日暑いですね。こんなに暑いと外に出るのが嫌だから、休みの日は家の中で映画を観たりすることが多くて…"
一年ほど前から同じ部署で働くようになったひとにそんなふうに話しかけられて始まった、休憩中の何気ない雑談。
おだやかな口調が耳に心地よく響き、以前からなんとなく気が合うところのあるひとだと感じていた。わたしは普段、自分自身のことについてあまり話さないのだけれど、彼女からの問いかけには、何故か素直に答えることが出来るのだ。
その日交わした会話の中で、今までに誰かに話したことの無いことを、気がつけばたくさん語っていた。
好きな本と、音楽のこと。
友達と呼べる人が、ひとりもいないこと。
自分自身のことについて話すのが、苦手なこと。
"わたしもそうなんです"と、ときおり大きく頷いて、なにひとつ否定せずに耳を傾けてくれる優しい表情を見ながら話をしていると、今朝見た夢の中で感じたような満ち足りた気持ちが、心にゆっくりと広がってゆく。
"わたしも子どもの頃に自分が好きなことを馬鹿にされることが多かったから。そうすると話せなくなりますよね"
そんな共感のことばを聞きながら、不意に思い至ったことがある。
昔から、自分自身のことについて話そうとすると、それがどんなに些細なことであっても、呼吸が浅くなって息が続かなくなり、声が震えることが多い。
けれども、彼女に対して話すときは、それが全く無く、楽しいと感じられることに内心でとても驚いていた。
淡々と、むしろ落ち着いて話すことが出来たのは、彼女ならば話しても大丈夫、きっと否定されないという確信のようなものがあったから。
苦手なのではない。心の底から、怖かったのだ。
話すこと、話して自分自身を否定されること。
そして、ひとと向き合うことが。
怖いと思う、その気持ちを認めたくなかった。
この年齢にもなって怖いと思うなんて、弱くて恥ずかしいことだと、心のどこかで考えていたのだろう。家族に対してさえも怖さを感じることに、罪悪感を抱いていた。
でも、その怖さは、無理に消そうとしなくても良いのかもしれない。
それは、自分の心が生きてきた、傷の痛みを知っていることの証なのだから。
"若い頃に色々と苦しいことを経験したからなのか、
その分、大人になってからのほうが、幸せだと感じられることが多いですよね?"
やわらかな色を纏う声を聞いていると、何ひとつ、無駄なことなんてなかったのだという思いがこみあげてくる。
自分が存在する意味を見失い、朝が訪れなければ良いのにと願っていた日々はあまりにも長かった。
つまずき、転び、暗闇に足を取られて踠いていた頃の記憶を、ずっと消し去りたいと思っていた。
けれども、そんな日々がなければ、出会えなかったものが確かにある。
仕事を終えて自宅への道を歩きながら、先月末に迎えた、またひとつ歳を重ねた日の朝のことを思い返していた。
いつものように開いた、noteのタイムライン。
色とりどりに並ぶ記事の中に、朝露のようにきらめく、ひとつの記事を見つける。
"そのままのあなたで、大丈夫"という、温かな声が響いてくるような文章を読み進めるうちに、わたしは生きていてもよかったのかな、と思った。
かけがえのない、ことばの贈り物を受け取ったように感じられたのだ。
ことばに思いを託して、届けようとすること。
そして届けられた思いに、耳を澄ませること。
その積み重ねによって得られたものは、たくさんある。その中でも特別なのは、過ぎゆく日々が愛おしいと感じられるようになったこと、そして、自分は存在していても良いのかもしれないと、考えられるようになったことなのだと思う。
闇の濃さと深さを知らなければ、文章を書くことなど、きっとなかった。
書くことがなければ、心を彩る無数の光と、手のひらをそっと包み込むようなひとのぬくもりにふれることも、なかったのだ。
すべてはつながって、循環している。
その光とぬくもりを知ったからこそ、自分自身のことを話してみようと思えるひとに出会うことが出来たのだと、そんな気がしてならない。
過去に経験した出来事と、心の動きが、今のわたしをかたちづくっている。
そう思いながらふと空を見上げれば、白く光るひとすじの飛行機雲が、鮮やかな軌跡をえがいていた。
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最後まで読んで下さり、ありがとうございます。
あなたの毎日が、素晴らしいものでありますように☺️