『VITAL 』──飲み会のコースに悩む中年の胃袋と資本最大化戦略
「小食」──それは、一律の会費が定められた飲み会において、絶望的なディスアドバンテージを意味する。 加えて、長引く物価高で私の生態はすっかり「草食動物」へと退化していた。そんな私が、都会のおしゃれなカジュアルモダンダイニングで行われる、数年に一度のOB会に挑もうとしている。そこには都会でバリバリ働く経済ピラミッドの頂点たちが集う。
田舎から電車で揺られて、人ごみの中、スマホの地図を頼りにようやくたどり着いたビル。エレベーターのドアが開くと、そこにはスタイリッシュな空間が広がっていた。私はどきどきしながら店内に入ると、右手にまばゆい光を感じた。きれいに吊られたグラスや黄金色のビールサーバーが乱反射している。
(空間が輝いている……。)
目をチカチカさせながら、
(落ち着け、雰囲気に飲み込まれるな。余裕のほほえみを浮かべていれば大丈夫)
と言い聞かせる。
全員が揃ったところで会がスタート。
メニューはあらかじめ決まっているようだ。友人と談笑をしている間に、次々と大皿でおしゃれなサラダや、前菜が運ばれてきた。
今までの私は、この流れのまま、サラダや前菜を何も考えずに食べていた。しかし、世間は長引く物価高。そして私の胃袋は、加齢とともに急速に縮んでいるという容赦ない現実。サラダや前菜の見た目の華やかさに惑わされてはいけない。限りある胃の容積を、水分と繊維の緩衝材(レタス)で埋めてはいけない。
ここは一旦冷静になる必要がある。コース料理は、後からどんどん食材が豪華になっていくのは、ほぼ確定している。そして、無計画に食べ進め、後半の締めやデザートで腹がぱんぱんになり苦しむことになるという過去の反省を、今日、活かさねばならない。
親切に私の取り皿にサラダを運んでくれようとする友人に、
「私はサラダは大丈夫」
と憂いを纏った笑顔で答える。(若干の小芝居)
実際に、サラダにかかっているブラックペッパーが喉に張り付き、咳が止まらなくなるという、真実(大義名分)が、「どうしてサラダ食べないの?」と聞かれた時の保険として機能するという、二重構造になっている。
私は、妥協して付き合いでサラダを食べ、胃の容量を無駄に使うことを、決してしない、というストイックな防衛線を張り巡らせていた。
友人は「えっ」と目を丸くして少し戸惑っていたが、特に気にせずにスルーしてくれた。
もしかしたら、こう思う人もいるかもしれない。 正直に、
「サラダを食べると、この後出てくるメイン食材に全張りできないんだ」
と言えばいいじゃん、と。
しかし、このスタイリッシュな空間と、金銭感覚が1桁くらいズレているのではと思われるメンバーに対して、そんな剥き出しの本音をぶつければ、本気で心配されてしまう。せっかくの楽しい場が、厳かな空気になってしまうだろう。大人として、内情は隠すのが、せめてものスマートさだと思っていた。
友人と近況報告や仕事の話をして談笑しながらも、私は、必ずこのあとに訪れる「メインディッシュ」という名のクライマックスを、息を殺して待っていた。
厨房の方から、動物性たんぱく質の気配がしてきた。
普段の私の食事は、野菜と穀物がメインだ。肉はなるべく育ち盛りの子どもたちに譲りたいし、「年齢的にもあんまり肉を食べるのは良くないよね」と、負け惜しみにもとれる言い訳をしてやり過ごしている。
だが、この都会のスタイリッシュな空間が、私を非日常へといざなった。単純な性格ゆえか、あるいは場の空気に完全に飲まれて気が大きくなったのか、私は「肉食動物」としてそこに君臨していた。
そしてついに届いたメインディッシュ。それは、想像を超えてくるブロック肉のオンパレードだった。ダイレクトに塊の牛肉を味わえるチャンスなど、我が家においてはオリンピックの開催サイクル並みに貴重なのだ。
だが、あからさまに狂喜乱舞するのは大人としてお門違い。周りのメンバーは、肉を目の前にしても一切動じず、洗練された会話に夢中なのだから。
私はおもむろに涼しげな顔を作り、友人の近況に相槌を打ち始めた。 仕事、子育て、家事の両立でマルチタスク能力は極限まで鍛えてきたのだ。
耳で友人の仕事の話を完璧にレシーブしながら、目で大皿の肉の残量をミリ単位で把握。友人たちの皿に置かれた食事の残量からどのくらい自分の食べる量を確保できるか計算する。ターゲットの動向を見守りながら、スマートな会話のラリーを続けるくらい、今の私にはたやすいこと!
──そして、ついに私の手元に届いた、牛肉の塊。
ドクン、と胸が跳ねる。野生の血が脈打つ。
(バイタルを乱すな。「不整脈」と「動悸」に怯えている草食動物を今ここで出してくるな。肉食動物の誇りを取り戻せ!)
一人の友人が私の尋常ならざる肉への執着を察してしまったのか、「たくさん食べな」と促してくれる。都会でバリバリ働く友人のカッコよさと優しさも、肉の心地よい弾力とともに噛みしめる。
(牛肉の塊、うますぎる。体に染みわたる栄養素。大地の恵みよ、ありがとう。)
都会のサバンナで、仕留めたトムソンガゼルを食べながら、仕事の話や友人の恋バナに耳をかたむける。気分はまさに、この街の経済ピラミッドの頂点に立つビジネスライオンだ。
「小食」という、会費制における圧倒的ディスアドバンテージ。 それを完璧に覆してみせた。これこそが私の、大人の生存戦略(サバイバル)。私は都会の夜に、完全に勝利していた。
──はずだった。
会の後半戦。私は、ずっと大皿に残っている最後の肉を、チラチラと気にし続けていた。 おそらく周りのスマートなメンバーは、飲酒がメイン、もしくは二次会の為に、胃のスペースを満タンにしない計算をしているのだろう。
誰も手を伸ばさない。誰も見向きもしない。 自分で仕留めたわけでもない、宴のあとに残された肉の塊。
「遠慮して、廃棄されるくらいなら、全て私が受け入れる」
ギラついた目で皿の残りを狙うその時、ふと、私の脳裏に一匹の動物の姿が映った。
ライオンたちの食べ残しを、骨の髄まで綺麗に平らげる、サバンナのたくましき掃除屋。
ブチハイエナ。
あぁ。 あれは、私だ──。
