自分の話をする

#自分語りは楽しいぞ

 というタグを見かけ、調べるとみくまゆたんさんの企画だった。

 読者のための文章に溢れるこの時代に、自分のために自分の話をしてみない?という企画。

 私の人生は、文章を書くこと以前に、振る舞いや話し方や表情まで、誰かに見せるための一面を増やしながら生きてきたような人生だ。
 でも私みたいな人ってたくさんいて、なんなら多数派だと思う。そもそも、誰かに見せることを意識して、伝わりやすいように生きることは全然悪いことじゃないと思う。

 のでこの生き方を変える気はないんだけど、たまにはつまらない話をする練習をしようと思って、この企画に文章を書くことにした。


 小学生の時、自分のことをめっちゃ天才だと思っていた。
 塾も行かずにテストは満点。運動神経は悪いけど、苦手なことでも練習したらなんでもできるようになった。この頃から文章を書くのが好きで、小学生の時の私が書いた小説もどきは、まだ丁重に保管してある。
 世の中を舐めていて、同世代の子どもはもちろん、大人のことも馬鹿だと思っていた。馬鹿というか、頭の悪い人たちだなと思っていた。なまじ勉強ができて練習したら割となんでもできる(というよりも、練習すること自体が好きだったからできるようになるまで練習していた)人間だった。かなり可愛くないガキだ。

 小学校で所属した吹奏楽部に、私と同じくらい勉強のできる女の子がいた。その子は母親が教育ママ的なタイプだったらしく、母子家庭でお金もなく、その分何にも縛られずにいろいろなことを許されて育った私とは対照的だった。
 私は吹奏楽部に入る小学3年生まではその子のことを知らなかったのだけど、その子(というかその子の母親)は私のことを意識していたらしい。と知ったのは、私が吹奏楽部でトランペットを吹かせてもらえなかった時である。
 金管楽器にはマウスピースという、楽器の吹き口みたいなところがある。そこは楽器から取りはずことができて、小学校の吹奏楽部は、そのマウスピースでカエルの合唱を演奏できるようになった人から好きな楽器を選べるシステムだった。
 息の吹き出し方だけで音の高低を調整してカエルの合唱を演奏するのだけど、私は1番早かった。

 せっかくなので花形のトランペットを選んだら、先生から呼び出された。

「るおんさんは体も大きいし、ユーフォニウムにしてくれないかな」

 ちなみに当時の私は、背の順なら前から数えた方が早かった。若干ぽちゃっとしてはいたけれど、体が大きいってほどじゃなかったと思う。
 でも、まあいいやと思ってユーフォにした。トランペットは、私の次にカエルの合唱を演奏できるようになったあの女の子がやることになった。

 私よりスマートで、可愛くて、リーダー力があって人気のある彼女の方が、確かにトランペットが似合っていた。
 その子とは数度だけ話したことがあり、その数回のうちの1回「トランペット、ごめんね」と言われた。後から知ったことだけど、その子の母親と吹奏楽部の顧問は仲が良く、先んじて根回しがしてあったらしい。親が話していることを子どもが聞いて、それをまた私が聞いた、情報源の不明な噂話。だけど、鬼のように厳しい吹奏楽部顧問がその子にだけ甘い態度をとっていたことを思うに、完全な嘘ではないんだろうなと思う。

 思い出してみると、授業参観に来たその子の母親は綺麗な格好をしていた。そんな人が、娘のライバルのくせに、垂れた鼻水を服の裾で拭うような私に何を思ったのか。嫌な気持ちになりそうで、あんまり想像したくない。

 小学6年生の夏。
 私は市内全体で行われるテストの点数で、明確にその子に負けた。私は国語100点、算数94点。その子はどちらも満点だった。
 私は学年2位だった。私の通っていた学校では、あの子1人だけが、どちらも満点だったのだ。

 おめでとう、頑張ったねと先生に言われる彼女と、何も言われず淡々とテストを返却される私。勝てなかったことに、何故か、酷くほっとしたのを覚えている。
 かくして私は天才でなくなった。天才でなくなった私は小学校を卒業して、算数が数学に名前を変えた頃からどんどんとテストの点数を落とし、普通の、どこにでもいる文系中学生になった。

 小学生のうちに天才じゃなくなってよかった、と思う。

 夫(つまり私の父)と死別して辛いこともたくさんあったはずなのに、母は優しかった。横暴な姉である私に対して、それでも妹は嫌わずにいてくれた。私は幸せな家庭で愛されて育った。恵まれた家で育ったと思う。けれど、やはり貧乏ではあった。

 自分のことを天才だと信じ込んでしまっていたら、金銭的な問題で塾に行けないこと、良い大学に行きたくても浪人できないこと、環境が完璧に整えてもらえないことなどに不満を募らせたかもしれない。
 天才ではないことに、早く気づけたことは幸福だった。100点になれないことを許せる自分になれてよかったと思う。

 私の心の軸にある、自分のことも他人のことも許したいという思いは、多分小学生のこの経験からじわりじわりと育ったんだろうと思う。

 起源や根源という意味で使われる「ルーツ」という言葉の由来は、植物の根を表すrootだと言う。
 まさに根を張るように私の心に広がり、支えているのは、あの時の経験だろうなと思う。

 いっぱい書いた。
 自分の話をたくさんした。楽しかった。

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