太平記 現代語訳 33-5 公家と武家、栄枯の地を替える
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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このように、公家の人々の困窮(こんきゅう)は増すばかり、溝や谷の中に行き倒れとなり、道路上をあちらこちらと、さ迷い歩くような状態。それに引き替え、武家の族(やから)はどうかといえば、富貴なることかつての百倍、オートクチュールを身にまとい、グルメを食する日々である。
鎌倉幕府最後の最高権力者、あの北条高時(ほうじょうたかとき)が天下の成敗を行っていた時代でさえも、諸国の守護(しゅご)たちは、自らの権力の限界を、きちんとわきまえていたものである。公家の所有する領地に介入してくる事があったとしても、それは、大犯三箇条(だいぼんさんかじょう)の検断(注1)の際のみであった。
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(訳者注1)[大犯三箇条の検断]とは、以下の3つの事柄を言う。
1 謀反の鎮圧
2 殺人者の逮捕
3 任国内の御家人に、京都と鎌倉の大番役(警備役)を割り当てる
これらの任務を遂行する為に、守護は、公家の領地といえども、そこに踏み入る事ができたのである。
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ところが今や、大小全てにおいて、守護の意向一つで事が決してしまい、任国(にんごく)の政治は、彼らの思うがままである。(注2)
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(訳者注2)「任国」とは、守護の任務に当たっている国のことである。なお、この箇所、原文では、「今は大小の事、共に只守護の計ひにて、一国の成敗雅意に任すには、」。
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地頭(じとう)や御家人(ごけにん)を、自らの郎従(ろうじゅう)のごとく召し使い、「軍事面での出費をまかなうための、致し方ない手段」と称しては、寺社や公家の領地をどんどん横領して、自らの管理下に置いてしまう。
今やまさに、彼らの権威は、かつての鎌倉幕府時代の六波羅庁(ろくはらちょう)や九州庁(きゅうしゅうちょう)にも比肩せられるほどの、強大なものになりつつある。(注3)
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(訳者注3)原文では、「その権威只古の六波羅、九州の探題の如し」。
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京都においても、武士階級は、大いにハブリをきかしている。
佐々木道誉(ささきどうよ)をはじめとする在京の有力武士たちは、しょっちゅう集まってはお茶会を催したり、毎日のように、何やかやのパーティを盛大にやっている。
国の内外の重宝をかき集め、居館の中は、装飾でキンキラキン。豹(ひょう)や虎の皮を敷いた椅子の上に、金襴段子(きんらんどんす)を裁断して縫った衣服を着した人々が列座している主賓席(しゅひんせき)のその様はあたかも、百福荘厳(ひゃくぶくしょうごん:注4)の床(ゆか)の上に、千体仏(せんたいぶつ)が光輝きながら、並びたもうがごとくである。
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(訳者注4)[仏教辞典 大文館書店 刊]によれば、「百福荘厳: 三十二相をいう。佛の三十二相の一々は、みな因位(修養時代)に於て百福を積んだ功徳によって具備されたものであるから百福荘厳という。」
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識者A 中国の貴人が、遊宴をする時にはですなぁ、「食膳方丈(しょくぜんほうじょう)」と言いましてなぁ、座の周囲1丈四方に、珍味にグルメを、ドバドバドバーっと、並べまくりますんやでぇ。
有力武士B なにぃ!
有力武士C よぉし、こっちも、負けてらんねぇ!
というわけで、面5尺のテーブル上に、いやもう、並べた並べた・・・アツモノ10種類、点心100種類、五味(ごみ:注5)の魚鳥、甘酸苦辛(かんさんくしん)の果物(注6)、色とりどりのギッシリグッシリ・・・。
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(訳者注5)甘味、酸味、塩味、苦味、辛味。
(訳者注6)原文では「菓子」。
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それらを食し終えたその後に、ようやく、本格的な酒宴が始まるというのだから、いやはや、もうあきれてモノも言えない。
酒宴が済んだら、今度は、抹茶ブランド・当てっこ大会。
これがまた、スゴい。座にはズラリと残念賞、その奥に、さらに豪華な賞品が、ギッシリ山積み。(注7)
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(訳者注7)原文では、「飯後に旨酒三献過て、茶の懸物に百物、百の外に又前引の置物をしけるに」。当時の「茶(会)」は、出された茶を飲んで、その産地を言い当てる、というような内容のものであったようだ。
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第1回目の当番の人は、奥染物(おくそめもの:注8)を、参加者1人当たり100個づつ、63人の前に積む。
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(訳者注8)詳細不明。
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第2回目の当番の人は、色とりどりの小袖を、1人当たり10重(かさね)づつ、63人の前に置く。
第3番目の当番の人は、沈香(じんこう)の切れ端を100個づつ、さらに麝香(じゃこう)の臍(ほぞ)(注9)3個を添えて、各人の前に置いていく。
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(訳者注9)麝香鹿の臍の付近から取れる香。
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4番目の当番の人は、砂金100両ずつを、金糸花(きんしか)彫の盆に入れて、各人の前に置いていく。
5番目の当番の人は、新品の鎧1個、柄を鮫皮で覆った白太刀1本、そして、柄も鞘も金メッキの刀に虎皮の火打袋を結わえつけたのを、各人の前に置いていく。
それ以降の当番となった20余人も、「他人より、少しでもスゴイものを!」と、様を変え数を尽くして、豪華な品々を、山のごとく積み上げていく。
その費用たるや、いったい、いかほどになるのであろうか・・・「せめて概算だけでも」と思ったところで、私・太平記作者の所有しているような日常計算用途の電卓をもってしては、桁数オーヴァーとなってしまって、計算不可能であるに違いない。
しかしまぁ、これも、よしとしよう、それらの品々を、参加者が家に持って帰る、というのであれば・・・。
もしそうであるのならば、「抹茶ブランド・当てっこ大会」という名前の、[物の移動の場]が、そこに開かれた、と言うだけの事なのだ、マクロ経済学の観点から見るならば。
ようは、その場において、「財」の移動が起こっているだけのことなのだ、参加者Xから参加者Yの手元への。
ところがなんと、それらの物品は、最終的には全て、参加者以外の人々の手に、渡っていくのである! お供衆(ともしゅう)の時宗(じしゅう)僧侶たち、あるいは、その場に見物に集まってきた田楽(でんがく)ダンサー、猿楽(さるがく)ダンサー、キレイドコロ、女性ダンサーら(注10)らに、一つ残らずバラマかれてしまい、参加者本人たちは、手ぶらで帰って行くのである。
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(訳者注10)原文では、「見物の為に集る田楽・猿楽・傾城・白拍子なんどに皆取くれて、手を空しくして帰りしかば」。
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まったくもって、「空しい費え」としか言う他、ないではないか! 貧窮(ひんきゅう)の民や孤独なる社会的弱者の飢えを助けるたしになるわけでもなし、供仏施僧(くぶつせそう)の檀施(だんせ)になるわけでもない。ただただ、金(こがね)を泥中(でいちゅう)に捨て、玉(ぎょく)を淵に沈めるに等しい行為である。(注11)
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(訳者注11)田楽ダンサー等の人々の手に渡った「財」もその後、何らかの形で回り回って、世の中に流れていくのであろうから、マクロ経済学的観点から見るならば、これを、「空しい費え」とは言いきれないのかも。現に、不況の時代には、「GDPアップ、総需要喚起の為には、イベントでも公共事業でも、とにかく何でもいいから、金が出ていくような場を創設せよ」という意見が多くなる。当時の日本の経済状況が不況傾向であったのかどうか、そこまでは、分からないけれど・・・。
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「抹茶ブランド・当てっこ大会」が終わった後、その場は、カジノに一変する。
賭金(かけきん)の相場は、勝負1回当たり、5貫あるいは10貫。
これがまた不思議な事に、「誰ももうからないカジノ」なのである。
一晩勝負を張り続けたあげく、5、6千貫の持ち出しになってしまう人ばかり、わずか100貫でも懐に入れて家路につく者は、誰一人としていない。これは何故かといえば、賭金をせしめた端からパッパパッパと、田楽ダンサー、猿楽ダンサー、キレイドコロ、女性ダンサーらに、ばらまいてしまうからである。
いったいぜんたい、これらの人々は、どういうわけで、このようなゴージャスな日々を送れるようになったのであろうか? 前世からの何らかの果報でもあって、地中より物が湧き出、天上から財が降ってきて、このような富者になれたのであろうか?
いやいや、財が降ってきたわけではない、物が湧き出てきたのでもない、ただただ、寺社や公家の領地を横領し、農民百姓の所有資材を強奪(ごうだつ)、訴訟の被告、原告から、賄賂(わいろ)を取り集めただけの事である!
かつての鎌倉幕府の時代、幕府の要職にあった人々は、賄賂とは完全無縁にして清廉潔白(せいれんけっぱく)この上なし、賭博(とばく)、勝負事などもっての外、囲碁やスゴロクでさえも、厳禁であった。
なのに、現代の政府要人たちのこの醜態(しゅうたい)は、いったいなんたる事か!
政務はことごとく後回し、まずは遊興事を優先。人が請願を持ってきても、「これから酒宴だ、茶会だから」と言って、対面もしない。世間の人々の嘆きをも知らず、嘲りをも顧みず、毎日延々と、遊び狂っている。まったくもって、前代未聞の劣悪なる所行ではないか!
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このような情勢の中、京都朝年号・延文(えんぶん)3年(1358)2月12日、京都朝廷より、故・足利直義(あしかがただよし)に対して、「そら、色々とあったけどもや、そこはそれ、なんちゅぅても、朝廷に大功ある爪牙耳目(そうげじぼく)の武臣やねんから」という事で(注12)、従二位(じゅにい)の位が、苔の下の遺骸に対して下賜(かし)された。
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(訳者注12)「君主の爪、牙、耳、目とも言うべき存在として、大いに天皇を助けたから」という事で。
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世間の声D いやぁ、こらぁ、驚きましたなぁ。
世間の声E いや、ほんまに。あの足利直義はんに、従二位とはなぁ。
世間の声F 「従二位」いうたら、スゴイんでっしゃろ?
世間の声G そらぁあんた、スゴイ位だっせぇ。
世間の声H 出家の身でさぁ、死後にこんな高い位、贈られるのなんて、前例の無い事じゃん?
世間の声I おいちゃん、おいちゃん、「出家」言うたら、お坊さんの事やろ? 直義さん、お坊さんとちゃ(違)うやんかぁ!
世間の声J あのっさぁ、ボクぅ。おネェさんが教えたげよっかぁ?
世間の声I うん、おせ(教)て、おせて。
世間の声J 高師直(こうのもろなお)さんに負けて、政界から追放された時にっさぁ、足利直義さん、出家なさったじゃないのよぉ。(注13)
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(訳者注13)27-8 参照。
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世間の声I あっ、そうかぁ・・・そやったなぁ。
世間の声J 出家して、「慧源(えげん)」って名前に、なってたんだよぉ。
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