太平記 現代語訳 34-10 吉野朝側の上北面侍、不思議な夢を見る

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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。

太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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吉野朝側の後村上天皇(ごむらかみてんのう)は、金剛山(こんごうさん:大阪府-奈良県 境)の奥の観心寺(かんしんじ:大阪府・河内長野市)という寺院の中にいた。そこは、極めて山奥深い所であるので、足利軍も、そうそうたやすく接近してくるわけにはいかない。

しかし、

吉野朝メンバーA 前線拠点と頼りにしてた龍泉峯城(りゅうせんがみねじょう)も、赤坂城(あかさかじょう)も、攻め落とされてしもぉた。

吉野朝メンバーB こないだまで、こっち側についてた武士らも、気ぃついてみたら、よぉけ、敵側に寝返ってしまいよったがな。

吉野朝メンバーC そのうちきっと、山人(やまびと)か樵(きこり)に道案内させて、こないな奥深いとこ(所)にも、敵、攻め入ってきよんのんちゃうやろか。

吉野朝メンバーD あぁ、いったい、どないしたらえぇねん!

後村上天皇はじめ、女院(にょいん)、皇后、公卿らの不安は、もはや極限に達していた。

二条師基(にじょうもろもと)に仕える上北面侍(じょうほくめんざむらい)Eは、吉野朝側が城を次々と落とされ、どんどん劣勢に追い込まれていくこの情勢に、

上北面侍E (内心)こらあかん・・・もう、事態は絶望的や。

上北面侍E (内心)敵がき(来)よらへんうちに、妻子を京都へ送っとかな、あかんなぁ。

上北面侍E (内心)自分も、髪切って出家して、どこぞの山林にでも、身を潜めるしかないわなぁ・・・。

意を決したEは、吉野(よしの:奈良県・吉野郡・吉野町)へ赴いた。

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上北面侍E (内心)あぁ、なつかしいなぁ・・・吉野を離れてから、もうだいぶん(大分)なるわなぁ・・・。

上北面侍E (内心)長年の奉公を捨てて、今、自分は主君から離れていく・・・あぁ、やるせない・・・(涙)。

上北面侍E (内心)この地を見るのんも、今日で最後か・・・なごりおしいなぁ・・・そうや、せめて、もう一度だけでも、先帝(せんてい)陛下の御廟(ごびょう)へお参りしとこ・・・陛下に、出家の暇(いとま)、申しあげると、しよかいな。

彼は、たった一人で、後醍醐先帝(ごだいごせんてい)の御陵へ向かった。

上北面侍E 最近は、御陵の掃除する人も、おらんようになってしもたんやなぁ。

参道は、繁茂した棘(いばら)に塞がれ、御陵の上には葎(むぐら)が茂り、古苔(ふるごけ)がびっしり生えていた。

上北面侍E (ここかしこを見回しながら)それにしても、すごい荒れようやなぁ、いったいいつの間に、こないな無惨(むざん)な事に、なってしもたんやろ。

黄金の香炉には香絶えて、草は一叢(いっそう)の煙を残し、玉殿(ぎょくでん)には灯(ともしび)も無く、蛍が夜明け前の夜を照らすばかり。心無き鳥の声でさえも、哀れを覚えて鳴いているかのように聞こえてくる。岩の間を漏れしたたる水の流れも、悲しみを秘めながら音をたてているかのようである。

Eは、御陵の円墳(えんぷん)の前にひざまづき、先帝の霊に向けて、じっと祈りを込めた。

1時間、2時間・・・いつしか、彼の頬は涙に濡れていた。

上北面侍E 天よ、天よ・・・なんで(何故)・・・いったいなんで、我らを、見捨ててしまわはったんですか・・・。(涙)

上北面侍E つくづく、この憂き世の移り変わる様を案じ見るに・・・いったいなんで、この世の中には、こないなムチャクチャな事が、まかり通っとるんでっしゃろか・・・。(涙)

上北面侍E 先人(せんじん)は、かく、のたもうた、「威(い)有(あ)りて道(みち)無き者は必ず亡ぶ」と・・・。(涙)

上北面侍E 神は誓われたはず、「我、百代の後までも天皇を擁護せん」と・・・そやのに・・・そやのに・・・今の世の現実は、それに、完全に反してるやありませんか!

上北面侍E どないな身分の低いもん(者)でも、死んだ後は霊となり鬼となり、善人を助け、悪人を懲(こ)らす、この理(ことわり)は、言うまでも無い事。ましてや、先帝陛下、陛下は前世(ぜんせい)において、十善(じゅうぜん)を施された、その良き因縁(いんねん)でもって、現世(げんせい)においては、日本全土を統治されるお方として、お生まれになられた・・・。

上北面侍E ならば、たとえ、陛下のお骨は野原の土と朽ち果てたまうとも、そのおみたま(御神霊)は必ずや、天地の中に留まって、帝位を継承された方々を守り、逆臣の威をも亡ぼされるものと・・・わたしは、固く・・・固く・・・信じておりました・・・そやのに・・・。

上北面侍E 臣が君を犯せども、天罰は無し、子が父を殺せども、神の怒りも未だに見えず。いったいぜんたい、この世の中は、どないなってしもてるんでっしゃろか・・・あぁ、あぁ・・・(涙)。

彼は、泣く泣く天に訴え、五体を地に投げて、礼拝をくりかえした。

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やがて、あたり一帯に、不気味な音が鳴り響きはじめた。

音 ガガガガガガガ・・・。

上北面侍E (内心)う!? いったいなんや!

音 グググググググ・・・。

上北面侍E あっ、円墳が・・・揺れてる!

御陵円墳 ガギガギガギガギガギガギガギガギ・・・。

上北面侍E うぁぁぁ・・・。

声F おーい、誰かおらんか! 誰かおらんか!

円墳の中から、声が響き渡った。まことに気高い響きを持つ声である。

それに呼応して、東西の山の峰から、

声G としもと、参上いたしました!

声H すけとも、参上いたしました!

声と共に、二人の男が忽然と、御廟の前に姿を現した。

上北面侍E (内心)なんやて! 「としもと」に「すけとも」!? まさか!

上北面侍E (内心)・・・もしかして、あの両人は・・・あの日野(ひの)の二人かいな、日野俊基(ひのとしもと)、日野資朝(ひのすけとも)かぁ? エェーッ!

上北面侍E (内心)二人とも昔、先帝陛下に打倒・鎌倉幕府を勧めたんで、処刑されたんやったなぁ・・・。

まさにその通り、日野資朝は、元徳(げんとく)3年5月29日に、配所先の佐渡島(さどがしま:新潟県)で斬られ(注1)、日野俊基はその後、鎌倉へ護送され、葛原岡(くずはらおか)で工藤二郎左衛門尉(くどうじろうさえもんのじょう)に斬られたのである。(注2)

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(訳者注1)2-5 参照。資朝が処刑されたのは元徳3年ではなく、元弘2年(1332)。この章の時間設定は観応2年(1351)であろうから、処刑から19年が経過している。

(訳者注2)2-6 参照。
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そこに登場した両人を見れば、顔かたちは、まさしく昔見たその通りではあるが、顔色は朱を注いだように真っ赤、眼光はランランと輝き、左右の犬歯が、銀の針を立てたように、上と下に噛みあっている。

円墳の石の扉 ギ・・・ギ・・・ギギィィィ・・・。

上北面侍E (内心)あっ、墓の扉が!

開いた扉から現われた人を遙かに仰ぎ見れば、それは紛れも無く、後醍醐(ごだいご)先帝・・・龍紋様(りゅうもんよう)の帝衣を着し、抜き身の宝剣を右手に持ち、玉座の上に座している。

その顔は、かつてのそれとはうって変り、怒りの眦(まなじり)は逆さまに裂け、髭(ひげ)は左右に分かれ、まるで、夜叉(やしゃ)か羅刹(らせつ)のごとくである。

先帝は、とても苦しそうに呼吸している。口から出る息は、火炎となって燃え上がり、黒煙が天に立ち上る。

暫しの後、先帝は、俊基と資朝を御前近くに召して、

後醍醐先帝 さてさて、天皇を悩まし、世を乱す逆臣を、いったい誰に罰しさせたら、えぇんかいのぉ?

日野俊基 陛下、その件につきましては、もう既に、マケイシュラ王の午前会議で、議決が行われとりましてな、

日野資朝 討伐軍の大将、もう決定ずみですわ。

後醍醐先帝 おぉ、そやったんかぁ、わしも、そこまでは知らなんだ・・・で、いったい、誰が任命されよった?

日野資朝 はい、まずは、皇居を襲撃しようとしとる日本全国の朝敵どもの退治は、楠正成(くすのきまさしげ)に、申し付けられました。あいつの事ですから、一両日中には、敵を追い返してしまいよるでしょうなぁ。

日野俊基 仁木義長(にっきよしなが)の退治は、菊池武時寂阿(きくちたけときじゃくあ)に、申しつけられました。義長はそのうち、伊勢(いせ:三重県中部)で滅びますやろて。

日野資朝 細川清氏(ほそかわきようじ)退治は、土居(どい)と得能(とくのう)の仕事になりました。四国地方に渡った後に、滅ぶでしょう。

日野俊基 関東からの遠征軍の大将・畠山国清(はたけやまくにきよ)とその弟・義深(よしふか)の退治は、怒りと恨みの強大魔王、あの新田義興(にったよしおき)が自ら願い出て、承認されましたわ。あいつにまかしといたら、畠山退治なんか、イチコロだっせ・・・義興、こないな事、言うてましたでぇ、「国清の郎従(ろうじゅう)連中の首、方々で、刎ねてやります。中でも、江戸下野守(えどしもつけのかみ)と江戸遠江守(とおとうみのかみ)は、メッチャ憎いヤツですから、鎌倉(かまくら:神奈川県・鎌倉市)・龍の口(たつのくち)の刑場に引きすえ、我が手にかけて、斬ってしまいましょう!」。

後醍醐先帝 (とても心地良さげにニッコリ)そうかぁそうかぁ・・・首尾万端、準備万端、整ぉとるなぁ・・・よぉしよし・・・ほなら、年号の変わらん前に、みな(皆)、は(早)よ退治してまえ!

日野俊基 ははぁっ!(平伏)

日野資朝 ははぁっ!(平伏)

後醍醐先帝 ・・・(円墳の中に入る)

上北面侍E (ガクッ!)・・・う? 今のはいったい?・・・あぁ、夢やったんかぁ。

熱心に祈り続けた末に気力が尽きてしまい、Eは、円墳の前でいつしか頭を垂れ、ぐっすりと寝入っていたのであった。

彼は、この不思議な夢中の示現(じげん)に驚き、吉野からまた観心寺へ戻り、人々に内々に、自分の見た夢の事を話した。しかし、誰も、本気になってとりあおうとはしない。

吉野朝メンバーF それはな、きっとな、「そうなってほしい」というあんたの願望がな、あんたの夢の中に現われただけの事やで。

しかし、その夢は決して、「ただの夢」ではなかったようである。

吉野朝側は、「もしも、敵が観心寺にまで押し寄せてきたら、陛下を、もっと山奥深くにお隠しする。無駄な戦は止めて、とにかく逃げる。」との方針を固めていた。しかし、足利軍は、ただの一度も攻めてはこなかった。

さらに不思議な事には、それから後、別にどうこういうような出来事も無かったにもかかわらず、「吉野朝勢力の退治、今日をもって、作戦完了」という事になり、5月28日、足利軍総大将・足利義詮(あしかがよしあきら)は、尼崎(あまがさき:兵庫県・尼崎市)の陣を引き払って京都へ帰還、畠山、仁木、細川、土岐(とき)、佐々木(ささき)、宇都宮(うつのみや)以下、日本全国からやってきた20万騎の軍勢も、我先にと、京都へ帰還の後、各々の本拠地へ帰ってしまった。

吉野朝メンバーA いやぁ、あの上北面侍が、先帝陛下の御陵の前で見たという、あの夢の話!

吉野朝メンバーB あれはどうも、正夢(まさゆめ)やったようですなぁ。

吉野朝メンバーC あないなうまい話、夢の通りに行くはず、ないやんかと、わたいは、ハナから相手にしとりませんでしたけど・・・。

吉野朝メンバーD あの夢の通りに、今後も事が運ぶとなると・・・こらぁなかなか、先行きオモロイ事になってきますでぇ。

吉野朝メンバーA 仁木義長、細川清氏、畠山国清・・・そして誰もいなくなった・・・てな事、期待しても、えぇんかもねぇ。

吉野朝メンバーB こないなったら、最初は疑ぉてはみた、あの夢に、ここはいっちょ、賭けてみましょかいなぁ!

吉野朝メンバー一同 ウンウン!

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