太平記 現代語訳 19-2 足利兄弟、政権を掌握
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この現代語訳は、原文に忠実なものではありません。様々な脚色等が施されています。
太平記に記述されている事は、史実であるのかどうか、よく分かりません。太平記に書かれていることを、綿密な検証を経ることなく、史実であると考えるのは、危険な行為であろうと思われます。
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同年10月3日、改元が行われ、年号は「延元(えんげん)」となった。
その年の11月5日の人事異動で、足利尊氏(あしかがたかうじ)は、上席11人を飛び越えて正三位に昇進。役職も、参議(さんぎ)から大納言(だいなごん)へ昇格し、征夷大将軍(せいいたいしょうぐん)を兼務することとなった。
弟・直義(ただよし)も、上席5人を飛び越して四位に昇進、参議に昇格、あわせて、副将軍に任ぜられた。
そもそも、我が国に征夷大将軍職が最初におかれたのは、養老(ようろう)4年。その時は、多治比真人(たじひのまひと)が将軍に任ぜられたのである。
その後、神亀(じんき)元年には藤原宇合(ふじわらのうまかい)、宝亀(ほうき)11年には藤原継綱(ふじわらのつぐつな)。
その後、時代はるかに隔たって、藤原小里麻呂(ふじわらのこざとまろ)、大伴家持(おおとものやかもち)、紀右佐美(きのうさみ)、大伴乙麻呂(おおとものおとまろ)、坂上田村麻呂(さかのうえのたむらまろ)、文屋綿麻呂(ふんやのわたまろ)、藤原忠文(ふじわらのただふみ)、平宗盛(たいらのむねもり)、平知盛(たいらのとももり)、源頼朝(みなもとのよりとも)、源義仲(みなもとのよしなか)、源頼家(みなもとのよりいえ)、源実朝(みなもとのさねとも)に至るまで16人。
その功績の抽賞により、父に続いてその子も将軍位に就任、という事もなきにしもあらず。しかし、兄弟が同時にそろって将軍位に任命される、というような事は、日本の歴史上に未だかつてなかった事。足利家に縁故ある者たちはもう、得意満面である。
その他、足利一族の主要メンバー43人が、破格の昇進に浴して、その柄にも無く、たちまちに殿上人(てんじょうびと)となり、凡庸な才しかない人がたちどころに、内閣の一員となった。
さらに、足利家家臣の者らは、諸国の守護や役人に就任。その出世の速さたるや、銀の鞍を解かぬうちに五頭の馬はたちまち重なる山の雲中を進み、木蘭製の櫂が乾かぬうちに、巨船ははるか青海原を進み行き、とでも言うべきか。
このような世間の情勢であるからして、関白・大臣たちでさえも、足利家と対抗して上位を望む事がはばかられるようになってきた。ましてや、儒学を家業とする者たちは、足利家の面々によしみを通じ、喜んでその風下に連なろうとするのであった。
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