静の起点が在るから、動の方向が定まる
自分の記事を改めて見たら
ちょっと 変わってるかも
もともと国語は苦手だった
読書感想文を書くのは大の苦手だった
語彙も少ないし、難しい単語を扱う自信もない
だから、一つ一つのシンプルな言葉を
丁寧につないでいる
本当にそれで伝わるのか
確認しながら
まるで、太極拳のように じわりと動き
丁寧に力を伝えて 動いていくような
じわじわ動いて
じっくり感じていたら
「静の起点」と「動の方向」が
必ず共存していることに気づいた
「静の起点」は結構 大事かも
それが、自分の土台だったり
ありのままの個性だったり
等身大の自分だったり
そこにぐっと力をこめられれば
「動の方向」に軽く動き出せる
自然に力を抜くだけで
たとえ ランニングのような速い動作の中にも
地面との接点に「静の起点」が存在している
そんな「静の起点」を確かめるために
太極拳でじっくり動いたり
立禅(タントウ)で瞑想したり
NOTEでジャーナリングしたり
してるのかもしれないです
動くためには
「静の起点」が大事だなあと思った
「静の起点」もないのに
動けているとしたら、、
ただ流されているだけかも、、ねっ🤣
いくら「風の時代」と言っても
ふわふわ漂うのではなく
シュッと動きたいのです
佐野元春が言う
「はやぶさジェット」のように
2023年は25年ぶりにライブに行きました
2025年、また行こうか迷い続けています
シュッとしてない😓
