仲間が欲しい話
私は昔から、人に甘えることが苦手だった。
助けを求めることも、どうにも苦手だった。
「ちょっと手伝って」
この一言が、どうしても言えない。
むしろ、
「大丈夫?」
と聞かれた瞬間に反射でこう答える。
「大丈夫!」
……
全然大丈夫じゃない時でもだ。
この「大丈夫」は、もはや意思表示ではなく、ただの自動応答システムである。

一人で完結する男
昔の私は、
「人に頼る=負け」
だと思っていた。
だから何でも自分でやった。
自分で解決する。
自分で我慢する。
自分で抱える。
困っても自分。
疲れても自分。
しんどくても自分。
まるで人生というゲームを、ソロプレイ縛りでやっているようなものだった。
回復も攻撃も防御も全部一人。
そりゃあ、どこかで詰む。
でも当時の私は、
「誰にも迷惑をかけていない自分、偉い。」
と本気で思っていた。
今振り返ると、それは強さではなく、
ただの孤立の才能だった。

愚痴を持たない(つもりの男)
私は家族にも会社の同僚にも、ほとんど愚痴を言わなかった。
「ランマッスルさんってストレスなさそうですね」
と言われることもある。
違う。
ある。
普通にある。
ただ、外に出していないだけだ。
むしろ昔は、人の愚痴を聞くのも得意ではなかった。
「それ言っても変わらんやん」
「やればいいやん」
そんなふうに思っていた。
今なら分かる。
あの頃の私は、
人の話を聞いていたのではなく、
“正解探しゲーム”をしていただけだった。
でも人が本当に欲しいのは正解じゃない時もある。
ただ、
「しんどかったな」
その一言で救われることがある。
それを知らなかった。

気づけば、誰もいなかった
結果としてどうなったか。
気づけば、
孤立していた。
いや正確には、
自分で孤立を選んでいた。
頼らない。
弱さを見せない。
甘えない。
そんな人間を、
わざわざ応援しようと思う人は多くない。
当たり前だ。
だって本人がずっと
「一人で大丈夫です」
と言っているのだから。
助ける入口がない。
それなのに心の中では、
「誰も助けてくれない」
と思っていた。
今なら分かる。
助けが来なかったのではない。
助けを全部シャットアウトしていたのは自分だった。

ある日、ふと思った
きっかけは覚えていない。
本当に突然だった。
「このまま歳を取っていって、楽しいのかな」
そう思った。
別に劇的な出来事があったわけじゃない。
でもその一瞬だけ、
今のままでは何かが足りないと感じた。
だから決めた。
変わろう、と。
仲間が欲しいと思った
ランニングを始めた。
筋トレを始めた。
noteを書き始めた。
最初は全部、自分のためだった。
でも続けていくうちに気づいた。
本当に欲しかったのは、
記録でも結果でもなく、
仲間だった。
昔の私は、
一人で頑張ることがカッコいいと思っていた。
でも今は少し違う。
一緒に笑える人がいる。
応援してくれる人がいる。
自分も誰かを応援できる。
その方が、圧倒的に楽しい。

「ありがとう」が増えた世界
不思議なことに、
環境が変わると、言葉も変わる。
昔の私は「ありがとう」を言っていなかったわけではない。
でも今ほど、心がこもっていなかった気がする。
noteを始めてから、
コメントをもらう。
スキをもらう。
励まされる。
笑わせてもらう。
その一つ一つが積み重なって、
自然と
「ありがとうございます」
が増えていった。
そして気づいた。
ありがとうは言えば言うほど、
返ってくる量も増える。
まるで循環するエネルギーみたいに。

まだまだ未完成のまま
とはいえ、今でも完璧ではない。
人に甘えるのは得意じゃない。
助けてと言うのも苦手だ。
一人で抱え込む癖も残っている。
だから毎晩、少しだけ振り返る。
今日、誰かに優しくできたか。
ちゃんと感謝を伝えられたか。
昨日より少しでも前に進めたか。
答えはいつも「まだまだ」だ。
でもそれでいいと思っている。
最後に
昔の私は、
「一人で頑張ること」が強さだと思っていた。
でも今は違う。
人に甘えられること。
助けてと言えること。
ありがとうと言えること。
それもまた、強さの一つだと思う。
人は一人でも生きていける。
でも、
誰かと笑いながら生きる人生の方が、
きっと豊かだ。
まだ私は途中だ。
失敗もするし、意地も張る。
それでも少しずつ、
「一人で走るランマッスル」ではなく、
「みんなと走るランマッスル」
になっていきたい。
今日はそんな話。

今日も皆さんが心豊かに過ごせますように♪
いってらっしゃい♪

