『行きたくない』から『どこでも行ける』へ〜娘が教えてくれた人生の選択肢〜
【第1話】
毎朝の不安な気持ち
小1の娘は毎晩「明日学校に行きたくない」と言い、夜も眠りが浅い日々が続いていた。
私は朝起きると、まだ布団にくるまっている娘を眺めて「今日は学校に行けるかな」と不安な気持ちを抱きつつ、朝の用意を始めたものだ。
祈るような気持ちで歩いた通学路
1年生のうちは、ほとんど学校まで送って行った。
フルタイムの仕事をしていた私は「なんとか教室まで送り届けられますように」と祈るような気持ちで、娘を励ましながら学校までの道を歩いていたことを覚えている。
時には道の途中で引き返すこともあったし、児童支援の先生に家まで迎えに来てもらったこともあった。
それでも、家から出られないことが多かった。
見えなくなっていた大切なもの
「学校に行かなくなったらどうなってしまうんだろう」 「学校は行くべき」
その強い不安と常識が、私と娘をがんじがらめにして、大切なものが見えなくなっていた。
一番大事な娘の心を、追い詰めていたのだ。
スクールソーシャルワーカーにも親身に相談に乗ってもらったし、教室に入れない娘のフォローを学年の先生みんなでしてくれた。学校も私たちを支えようと一生懸命だった。
娘の心の叫び
それでも、そんな日々が続く中で、娘の口から出る言葉は変わっていった。
「なんでこの世に生まれてきちゃったんだろう」 「自分が嫌い」
そんな言葉を聞くたびに、とても悲しくやりきれない気持ちになった。でも、どうしたら良いかわからなかった。
身体が教えてくれた真実
そんな中、娘が帯状疱疹になった。
その時、初めて気づいた。自分の信じている常識の方が間違っているのだと。
娘が身体をはって教えてくれるまで、気づけなかったことに申し訳なさでいっぱいだった。
その頃には、家族でのお出かけが好きだった娘が、休みの日にも「出かけたくない」と言うようになっていた。後から考えると、うつ状態だったのだと思う。
想像していなかった現実
娘が学校に行けないなんて、想像もしていなかった。「なんで?」と理解できなかった。
それでも、誰より大切な娘の笑顔が消えていくことには、耐えられなかった。
今だから言えること
今振り返ると、娘の不登校は、子どもの頃本当は学校に行きたくなかった私に代わって、その想いを叶えてくれたのかもしれない。
当時の私は、色んな苦しさや居心地の悪さに蓋をして、重い体を引きずりながら学校に通っていた。「行かない」という選択肢など、自分には存在しなかった。
娘は、そんな私を縛り付けていた常識に、大きな風穴を開けてくれたのだ。
今、私はとても自由を感じている。どこにでも行けるし、なんでもできると心から思える。娘も同じだ。軽井沢の中学校を卒業した後、どんな状況になっても、きっとたくさんの選択肢がある。遠回りと思える道こそ必ず自分が行きたい未来につながっていると信じられる。
でも、あの頃の私には、こんな未来は全く見えていなかった...。
【次回予告】 娘の帯状疱疹をきっかけに、私の中で何かが大きく変わり始めた。そしてHSPという言葉との出会いが、娘を見る目を根本から変えることになる...。
第2話「常識を疑う」に続く
このシリーズでは、小1で不登校を経験した娘との歩みを通して学んだことを、5回にわたってお伝えしていきます。同じような経験をされている方、お子さんにより良い学びの場を探している方の参考になれば幸いです。
