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『オールド東京』 - 100年後の赤坂で

1.オールド東京@2120

 ミクリは海の中に住んでいました。ミクリの家は、海にしずんだ古いマンションで、このあたりの建物はみな、海の中に立っていました。ミクリのおばあさんのおばあさんの若い頃には、海はもっととおくて、この辺りはとてもにぎやかで、人も、車も、灯も、音も、もっとたくさんあったらしいのですが、ミクリには、ちっとも思い浮かばないのでした。

 今日もいつものように朝日が上ると、マンションの二重の水中扉から、海の中におよぎだして、青い青い海の中を散歩していたのでした。ミクリの海の水はとても澄んでいて透明なのに、生きものはほとんどいませんでした。でもあと2、3年したらここも、いつか見たことのある南の島の海のように、生きものがいっぱいいる景色になるのです。人以外の生きものたちばかりの。

 いつの間にか、この辺りに人がすくなくなって、もうずいぶん時がたちました。海がひろがりだしてから、気がつくとあっというまに、街に水がはいりこんできたのです。人びとは、いっしょうけんめい、防波堤をつくって海をへだてようとしました。けれど、海の立ちあがる勢いのほうがつよくて、ちっとも役にはたちませんでした。海は紙ナプキンのインクのように、ちいさなちいさな場所にまで染みこんで、あちこちに入り江をつくったのです。どこかの本の六千年前の地図があったら、もしかしたらこんな地形だったのかもしれません。

 いつしか人びとは、海にしずんでしまった場所を「オールド東京」と呼ぶようになりました。道も線路も、みんな海の中になってしまったので、オールド東京の人びとの乗りものは、地下鉄や船にかわってしまいました。あんなにたくさん走っていた車は、すべて消えてなくなり、自動車をつくっていた会社もずいぶん減ってしまいました。

 はやく動いたり、いつもなにかを競っていたのに、いつしか、それに疲れて飽きてしまった人びとは、いろんなことにブレーキをかけました。いろんなルールもやめました。人びとは、なくしつづけてきたものを、取りもどすことに夢中になっていたのです。

 車のかわりに、海に住む人たちの乗りものに、小型の飛行艇が加わりました。ミクリは飛行艇のパイロットの仕事をしていました。かつてのタクシーや配達便のように、電話でお願いをしたら、迎えに来たり、また荷物を届けたりしてくれるのです。ただ、昔とちがうのは、時間をゆっくりすすめるために、いろんなことを「先のばし」する法律ができたので、飛行艇は空が晴れたときしか運転できませんでした。今日も午後から雨がふるという天気予報でしたので、ミクリの仕事はお休みになっていました。

 ミクリは28歳で、7年前に生んだ娘がひとりいました。だれもが仕事を持つことがあたりまえの世になって、いっとき、女性が子どもを産む年齢がとても高くなってしまったので、結婚のかたちにとらわれない制度が、いろいろ生まれたり、もっと古い時代の制度が復活したりしていました。ミクリの娘は湖のある場所で乳母夫婦に育てられていました。


2.月のツジウラ

 「ミクリ、こん夜は満月だよ。いっしょに月湖の辻占に行こうよ」

電話が鳴ったので、受話器をとると、アキトの声でした。彼は宇宙ステーションではたらいていて、ときどき地上450km上空の宇宙から電話をかけてきます。

 「でも、今夜は雨だって、天気予報でいってたわ。だからお月さまは見えないし、飛行艇もとばせないし、アキトだって、地球に帰ってこれないじゃないの。それとも、アキトが雲を吹きとばしてくれる?」

 こないだデートをすっぽかされたので、ミクリはちょっぴりいじわるを言ってしまっていました。でも、ほんとうは、会いたくて、心臓がどきどきしていたのです。「そんな無茶なリクエストを言うなんて、まるで、かぐや姫みたいだ」と、アキトがわらいました。「だいじょうぶだよ、さっき『ひまわり』に乗ってるヤツにきいたんだ。今夜は晴れるって。それで、羽田行きのシャトルが運行再開になって、席があったんだ。満月に、じゃなくて、君に、あいにいくよ。こないだはゴメン」

 この「キミニ、アイニイクヨ。コナイダハゴメン」の19文字で、ミクリの心のすみっこで、ずきんずきんしていたものがすっかり溶けてなくなってしまいました。「うふふ。月夜のおむかえだなんて。ほんとう、かぐや姫みたい」とミクリもわらいました。

「じゃあ、よるの7時にむかえに行くね」

 月時計をみると、月の出まであと3時間。「いそがなきゃ」と、ミクリは頭のなかをぐるんぐるん回転して、しなくちゃいけないことを組み立てます。「シャワーにドライにブローにお化粧。それからそれから、服にバッグ!」

 ミクリのマンションの窓から見える空がだんだんと暗くなって、ゆう焼けてきます。アキトのお友だちがいったとおり、夜にむかって空が晴れてきたようでした。ミクリは、今夜のかばんを、紺色のサテンのシノワズリな桜模様のにすることにしました。フランス製のそれは、たしかに日本の桜を描いているのですが、どことなく中国っぽい雰囲気がするのが気に入って、骨董市で買ったのでした。

 アキトはミクリを乗せて、マンションの入り江からまっすぐ、神社の森をめざして離水しました。海にむかうほど、廃墟のビルがふえてきて、赤いランプが点滅したり点灯したりしています。その赤い光が海にもうつりこんで、不思議な空間をつくっていました。東の空と海に、大きな月が、ふたつあるようでした。アキトは、しばらく月にむかって飛行したあと、大きく右に旋回して南に飛行して、ゆっくりと着水しました。飛行艇のライトで照らすと、海の中の廃墟が見えます。大きな鉄の球体が、海藻の中にゆらゆら揺れていました。

 「ほら、はじまるよ」と、アキトが静かにいいました。「月湖の辻占」というのは、満月の夜ごとに開かれる占いのお祭りでした。世界中の人々が、月を見上げて、占いをするのです。もともと「つじうら」は日本に古来からあった占いのひとつで、夕方に、辻に立って、とおりすがりの人びとが話す言葉をもとに占うものでした。偶然にすれちがった人の言葉を神さまのお告げとしたのでした。

 「月湖の辻占」は、専用の宇宙衛星が、ある水辺の様子を月面の「月湖」に投射して、そこにおよぐ金魚の映像をかさねるのです。金魚にはそれぞれ、世界の辻でつぶやかれた言葉が埋め込まれていました。月を見上げながら金魚をすくうと、その金魚がお告げをつげてくれました。

 「こないだね、人魚型のウェットスーツを買ったの」と、ミクリのすくった金魚がいいました。


3.アクアカプセルの魚

 フジセマリモは小学2年生の女の子。小学校に入ってから、乳母の夫婦が営む旅館のある湖の町にやってきました。母親のミクリとは、いつでも、ゆっくりとした感じで会うことができました。この百年で、この国の人びとがとても速く減ってしまい、とうとう半分になってしまったので、みんなで、みんなの子どもを育てるようになっていました。なので、マリモのように、乳母といっしょに暮らす子どもも多くいました。

 辻占で「人魚型ウェットスーツ」のことをきいたミクリは、さっそく大人用と子供用のお揃いの2着を買って、マリモに会いにいくことにしました。会社の小型飛行艇をかしてもらって、西の空をめざします。下弦の月が美しい夜でした。マリモに会うのは3ヶ月ぶり。きっとまた背がたかくなって、髪もながくなっているだろうか。と思いながら、プロペラの音を聞いていました。

 マリモは、ミクリの顔を見るなり、目をキラキラさせて、「ママ!髪を切ったのね。そのヘアスタイルとってもキュート」と言いました。よく朝、湖から飛びたった二人は、高速道路をたどるように、ゆっくり東へ向かっていきます。学校でのできごとを、あれこれ楽しそうに話しているうちに、マリモは、いいことを思い出したように、アクアカプセルという、水をつかった通信網のことを社会の時間に習ったと、話しだしました。

 「アクアカプセルを考えた人って、金魚すくいをしていたときに、思いついたのでしょ。社会の先生が言ってたの。こんな小さなカプセルが、小さなお魚みたいに、自分ひとりで、海とか川とか湖の水の中を、泳いで行くって」
「あれは、金魚すくいからなの?」
「そうなの。すてきでしょ。まえに、絵本でよんだことがあるの。ガラスびんのお手紙みたい。わたしも、だれかにカプセルで、お手紙をだしたいな」
「そうね、楽しいかも。そうそう、ちょうどテストがはじまってて、もうすぐ世界中に、配達できるようになるみたいよ」

 ミクリのマンションの海で、二人は久しぶりに人魚ごっこをしました。こないだは、ふつうの水着だったのですが、今日は人魚型。足をうごかすと、魚になったような気がして、まだすこし冷たい水も、平気な気がして、氏神さまの神社の水辺まで泳いだり潜ったりしながら遊びました。

 「ねえママ、さっき、むこうの古いビルの壁にくっついていた紙に、動物の絵があったでしょ。あの動物は、なんていうの?」

 それは、かつて海が町から遠くにあったころに、大量に海に棄てられた本やポスターの残骸でした。それが今でも、ときおり揺らめいて、海に沈んだビルのかべに貼りついているのです。

「あれは、らくだよ。砂漠にいるの」
「らくだ?」
「そうか、マリモは見たことがないのね。ママが小さいころはまだ、上野の動物園に、らくだがいたから。らくだって英語でキャメルっていうのよ。キャラメルみたいな色をしているの。あの紙は、CAMELっていう、たばこのポスターだと思う」
「たばこ?」
「いまはもう、たばこを吸う人がいなくなってしまったけど。マリモのおじいさまが、よく吸っていらしたわ」

 ミクリは、右手の人さし指と中指を立てて、たばこを吸う真似をしました。「それで、らくだのこんな歌があるのよ。」といって、ミクリはマリモに『月の砂漠』の歌を、うたってあげました。


4.キャメルの煙草

 その夜のニュースは、上野野動物園に最後までのこっていたアジア象が、スカイツリー埠頭から、タイ国へ旅立ったことを伝えていました。世界中の動物園の動物たちは、もともとの生息地に、つぎつぎに帰っていたのです。ミクリは、子どものころ、よく見ていた動物図鑑や、動物の親子の絵本をマリモに見せて、マリモがまだ見たことのない、らくだのことを二人で話しました。

「ねえ。砂漠ってどんなところなの」
「ママも行ったことがないけど、見わたすかぎり、ずっと砂ばかりのところみたい。むかしは日本にも、たくさん砂浜があったらしいから、そのときなら、マリモも見れたのにね。今はもうどこも海の底になってしまったわ」
「ねえ、砂浜はわからないけど、わたし、お砂場ならしってるわ」
「そうね。とってもとっても大きなお砂場。それで、さらさら」
「夏のお砂場の砂みたい?」
「そうそう。とっても暑くて、かんかん照り。それで、砂あらしになると、砂が目に入っちゃう」
「だからこのおじさん、白い布を、顔にもぐるぐるしているのね」
「ほら、だから。らくださんのまつげ、こんなにながーい。」と言って、ミクリは両手でまつ毛をパサパサしてみせました。

「うふふ」

「ママ、わたし、らくださんにお手紙をおくりたいわ。いつかそこへ行くから、よろしくね。って」
「らくださんに?」
「そう。こーんなにたくさんのお土産ももっていくわ」
「じゃあ、お手紙をアクアカプセルで送ってみたら」
「ほんとう!じゃあ、お手紙をかくわ。お土産は、らくださんが、見たことのないものがいいわ。お花はどうかしら」
「日本の?」
「うん。春だから、桜!」

こうして、マリモは砂漠の「らくだ」に手紙を書いて、ミクリは桜を「らくだ」に届ける方法を考えることになりました。


5.桜のフルトキ

 翌週、マリモは湖の町に帰って行きました。マリモから預かった手紙を入れたカプセルをもって、ミクリは近くにできたWater通信のテスト基地局に行きました。

 「サハラ砂漠のらくだ様宛」と、伝票に書くと、係の人が、行き先をセットして、スイッチを入れてくれました。かすかなモーターの音がして、小さなカプセルは小魚のように小さなひれを動かして、海に飛び込みました。そのあとミクリは、町を巡回している水上バスで、お寺へ向かいました。幼なじみの住職に会いにいくためでした。

 住職の春賢は、浄土ネットワークの会員で、毎年、お釈迦さまのお誕生日をお祝いする「花まつり」で、花々を降らせていたからです。ミクリは、サハラ砂漠にも花を降らせてほしいと、お願いに行ったのでした。

 ミクリの話をきいた春賢は「では、桜の花びらをもう少し集めなくてはいけませんね」と言いました。いつもはジェット気流に乗って浮遊している桜の花びらを、1年かけて人工衛星が収集して、それを降らせているのです。砂漠にまで降らせるには、少し量が足りなく、時間もありませんでした。

 桜前線の予報では、東京の満開は、来週の土曜日でしたので、春賢とミクリは、月曜日に千鳥ヶ淵に行くことを約束しました。その日はお天気もよく、ミクリと春賢のほかに浄土ネットワークのスタッフの人も来てくれました。

 「そろそろ降らしますね」

 人工衛星が、地中海の上空に差しかかった時、モニターを見ていたオペレーターが、チーフに告げました。やがて衛星に指示が伝わり、数百万片の薄紅の桜の花びらがリリースされました。偏西風にのって、桜の花びらが、ゆっくりと、ひらひらと、砂漠にも、海にも、山にも、舞い降りていきます。ミクリの勤める渋谷の高層ビルの最上階の窓のそとにも、桜の花びらが、ふたひら降りてきました。

「水中へも行きますね」

といって、オペレーターは海中ステーションへカプセルのリリースを指示しました。今日は大潮なので、いつもより海が深くて、オールド東京でも、水中扉をあけると、シャンパンゴールドの光を放つ桜の花びらが、揺らめきながら、ゆっくりと舞っていました。


おわり



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