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短編小説  「月光鳥」

この森の奥に真青な空の下、陽の光が注ぐその時であれど、濃い霧に包まれたエメラルドの色を放つ
妖艶な湖があった。
村人たちはあやかしの湖と名付け、誰一人として近寄る者はいなかった。

夏の終わり月満ちた夜、ある女は命からがら男から逃げだした。途中、その男の怒号が闇夜に響いてくる。
怖い…!
逃げて逃げて逃げて…森の中に迷い込み
とうとうその湖にたどり着いた。
男の声は聞こえなくなった。
その女の顔は男からの度重なる暴力で、腫れ上がり髪は乱れ、身体は傷をおっていた。
女は疲れ切っていた。

湖は柔らかくも黄金の光を放つ月の姿を映し出し、静かに波打っていた。女はそれを見つめ、
とても穏やかな気持ちとなった。
「何年ぶりだろう…」

その瞳は水面に映る幻想の世界を夢見、その表情から苦しみが消え、穏やかな笑みを浮かべた。
涙をひとすじ流しながら、透き通る湖の中へと一歩一歩進んでいく。

その瞬間、どこからか幻想の月光の様にまばゆい光を放つ大きな鳥が、その女の目の前に舞い降り、
真っ直ぐに女を見据えた。
女は息を呑み立ちすくみ、その鳥を見つめる。
「それ以上、進んではならん!」
「…ほっ、ほっといて」
女は一歩一歩前へと進んでいく。

ふいにその黄金の鳥が羽根を大きく羽ばたかせると、水面がさざ波たつ。そしてその湖が映写機から映し出されたフィルムの様に、何かを映し出し始めた。
女は眉を潜め、それを見つめた。

それは見知らぬ家の庭の木のベンチに座り、手と手をあわせ、地平線に沈みゆく夕陽を見つめる年老いた女と見知らぬ年老いた男との穏やかな姿だった。
女は目を大きく見開いた。
「生きよ!」
「…でも!これ以上、哀しみに満ちた人生はもう…!」
「これは、ここから生き抜いたそなたの姿であるぞ。安寧の地へと向かっていけ!」

そう言うと黄金の鳥は、この世のものとは思えぬ美しい歌を歌いはじめ、羽根を大きく羽ばたかせ、
湖をざわめき立たせた。そして夜空高く舞い上がり、月夜にこつ然と消えていってしまった。

湖は再び静まり返り、闇夜に浮かぶ満ちた月を
朧げに映し出していた。
「ううっ…!」
女はその場に膝をつき顔を両手で覆い、まるで産まれたばかりの赤ん坊の様に泣いた。
しかししばらくすると、涙に濡れたその瞳に
力をみなぎらせ唇を噛み締め振り返り、岸へと向かい一歩一歩、歩みだしていった。

それから幾年が経っただろうか。

ここは一面のライ麦畑。
豊穣の時を迎え、夕陽に染められ黄金に光り輝き、風に吹かれている。

そのさまを、かつてのその女が銀色の髪を携え
目を細め少し朽ちた木のベンチに座り、穏やかに見つめている。
その年輪が刻まれた皺深くも美しいその女の手を、美しくも深皺の温かく大きな手がしっかりと優しく包みこんでいた。

遠くで家路へと向かう鳥たちのさえずりが響いていた。



おしまい


ここまで読んでいただきありがとうございます😊








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