映画「わたのはらぞこ」を見て考えた言葉の限界
「わたのはらぞこ」との出会い
2年前だっただろうか。ちょうど演劇とかダンスとかに興味を持ち出して、上田で演劇のワークショップがあると聞きつけて末っ子と参加した。
「ここにあったアイス、知らない?」
「しらないよ?とけちゃったんじゃない?」
(うろおぼえ)
みたいなセリフを二人ペアでやりあうシンプルなワークショップがあって、声色一つで、設定一つで、ここまで変わるのか、と面白くて楽しい時間だった。
末っ子は「ワークショップ」=「ここにあったアイス、知らない?」だと思い込んでいたようだけど、「ワークショップまた行きたい!」とたいそう楽しそうだった。
それからしばらくして、このワークショップを主催したユニット「点と」が、上田を舞台にした映画をつくるためのクラファンをスタートしたと知った。
「ワークショップ」が超楽しかった当時6歳の末っ子にクラファンの説明をすると「僕のお年玉の貯金をあげたい」という。6歳なのでクラファンサイトのアカウントをつくるわけにもいかず「じゃあお母さんがかわりにお金を寄付するね」ということでほんの僅かながら応援した。
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その映画が先日、ついに公開となった。

「上田を舞台にしたらしい」「ワークショップをちょっと勘違いした末っ子が寄付したいと言った」ぐらいの情報量だったのでどんな内容かあんまりわからずに見に行ったら、いきなり知っている人たちや知っている場所が次々に出てきた。
それが演技なのか、日常のままを切り抜いたのかわからない映像が、目の前のスクリーンに流れる。
あ、これは私の話かもしれない
ネタバレになるといけないので詳細は割愛するが、主人公がある街で色んな人に出会って少しずつ変化していくさまについて、鑑賞後のアフタートークでも話題にあがっていた。
相手が聞いていようがいまいがお構いなく、「聞いて聞いて」と無邪気に話しかけてくる人たち。そしてそれに応答しようがしまいが、それもまた自由。
そんなむき出しで無防備な出会いがあっちにもこっちにも転がっていて、その中で主人公は変化していく。
そのトークを聞いたとき、はっとした。
これは、私の話だ、と思った。
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私は4人の子どもたちに出会う前、とてもとても疲れていた。休息どころか人生を休止してしまいたいくらいで、保護されるような形で夫と一緒になった。
でもそこからありがたいことにすぐに子どもに恵まれた。最初は、一人でもまっとうに生きていくのが難しい私が、生まれてくる子どもを守れるだろうかと不安で不安で仕方なかった。
けれども子どもは生まれてみると想像以上に自由で、私の考えていたことは根本から覆された。こちらが愛しもうがイライラしようが干渉しようが無視しようが、全然私を否定せず、むしろ必要として、私の心身の状況などお構いなしにいつでも泥まみれの手を差し出してくるし、見て見て!とばかりに近寄ってくるし、鼻水を拭いた手でニコニコしながら抱きついてくる。
結局私はこどもを4人授かった。一人は重度心身障害を持っていて、それは想像したこともないし聞いたこともない子育てだったけれども、4人の子どもがみんな違わず待ったなしに私を必要としていて、スパルタに私を引き上げてくれた。
「子どもを守れるだろうか」なんて考えていた自分がバカバカしい。子どもたちにはいつも想像もしなかった場所に連れていってもらったし、できるわけないと諦めていたものを斜めにずらして超えていく方法を教えてもらった。私は子どもを守るどころか、多分、いつも守られてきた。
「わたのはらぞこ」で主人公が出会う無邪気な人々をみて、私は自分の4人の子どもたちを思い浮かべた。応答しようがしまいが関係なく、いつも無邪気に「見て見て!」「来て来て!」「行こう行こう!」と迫ってくる子どもたちは、この映画に登場する街のひとたちそのものではないか。
フィクションが描き出すもの
実は、たぶんほとんど同じテーマで、先月、私は記事を執筆した。
私が描きだしたかったものを、できるかぎり誠実に言葉にしたつもりだった(タイトルは編集部)けれど、「わたのはらぞこ」を見て、言葉の限界を感じた気がした。
いや、言葉の限界ではないのかもしれない。もしかしたらフィクションで言葉にしたら、また違った伝え方ができたかもしれないのだけれど、少なくともWEBメディアで原稿にする場合、どうしても登場人物の背景を説明したり、理由を説明しないと読み手に「?」と思わせてしまう。
でも映画は、それを軽々と超えていく。背景の説明も理由もなく、むしろないからこそ、大事な部分が浮かび上がる。そして、だからこそ私は、子育てで感じた自分の変化とこの映画を重ね合わせることができたのかもしれない。
もはや、映画や演劇や小説や、そういうフィクション的な何かのほうが、実はよっぽど事実を正しく伝えることができるような気がしている。そしてそれこそが、この先の未来の希望なのではないか。
書き手である私は、この先何を書いていくべきなのだろう。
映画館で映画を見終わると、少し前の席でボロボロに泣いている人がいて、よく見ると知っている人だったので、おもわず駆け寄った。パンフを買おうと並んでいると、別の知っている人に声をかけられて、「えー◯◯さんも来ているよ!」とこれまた別の友人が「ちょっとちょっとー」と言いながら出てきた。みんなこころなしか目が潤んでいて、こうやってワイノワイノ話ができるのも、映画や演劇作品のよさだなあ、としみじみした。
「わたのはらぞこ」は、上田映劇で上映中。8/23〜はポレポレ東中野でも。ぜひ。
