『境界線に灯る、五百のひかり』
ようやく、五百という壁を越えた。
一時期、奔流のように押し寄せた人々は、時が経てば砂が指の間から零れ落ちるように、一人、また一人と去っていった。
それから二ヶ月。
私のフォロワー数は四百台の後半で、満ちては引く潮のように停滞を繰り返していた。
もし私に、もっと器用な社交性があったなら。
他の書き手たちと「効率的」に繋がり、互いの背中を押し合うような立ち回りができたなら、この数字はもっと早く、もっと空虚に膨らんでいたのかもしれない。
けれど、私はそれを望まなかった。
私には、有名になりたいという野心はない。
むしろ、無防備な自意識が世間の白日の下に晒されることへの、根源的な恐怖の方が勝っている。
ここにあるのは、ひどく冗長な「遺言書」だ。
ある時は日々のささやかな記録であり、ある時は現実から逃避するための空想の余白でもある。
私の思考を預けるための外部メモリー。
平たく言えば、それは私の魂が上げる、剥き出しの叫びそのものだ。
万人に見られることを前提とした「作品」ではない。
だからこそ、読み手によって激しい拒絶反応が起きても、不思議ではないのだ。
そんな、読者におもねることもない言葉の集積に、五百人もの人々が目を止めた。
効率を捨て、孤高を貫いた先に残ったこの数字が、今は何よりも愛おしく、誇らしい。
もちろん、その全員が今の私の言葉を追い続けているわけではないだろう。
フォローという形だけを残して、この場所を去った人もいる。
けれど、それで構わない。
かつて、私の叫びに一瞬でも耳を傾けてくれた。
その刹那の交差こそが、紛れもない「縁」なのだと思う。
画面の向こう側、顔も知らない誰かの暮らしがある。
彼らは私とは違う空気を吸い、それぞれの重荷を背負って歩いている。
見えない糸かもしれない。
けれど、私たちはこの文章という接点で、確かに繋がっている。
私はこれからも、この遺言を書き足していく。
それぞれの人生を歩む旅人たちが、ふと立ち止まって火を囲む、一夜の野営地のようなこの場所で。
