証明のシーズンへ。試合に出られなかった2年間のこと
いま、めちゃくちゃウズウズしています。
チームは来シーズンに向けて始動したばかり。本来なら、体を追い込むきつい時期のはずなんですが、気持ちは上がる一方です。
早く試合に出たい。出て、自分の価値を証明したい。頭の中は、ほとんどそれだけです。
はじめまして。
リコーブラックラムズ東京でフッカーをしている佐藤康(さとう・こう)です。新潟市出身の27歳、加入5年目になります。
自分のことを、こうして語るのは得意なほうではありません。SNSも、インスタをたまに更新するくらいです。
そんな僕がnoteを始めたのは、いまの気持ちを、ちゃんと言葉にして残しておきたかったからです。
7ヶ月ぶりのピッチ
僕はこの2シーズン、まともに試合に出られていません。
一昨季はシーズン序盤こそ出場したものの調子が上がらず、脳震盪などの怪我も重なって、思うように出場機会をつかめませんでした。
そして昨季は、アキレス腱の怪我で公式戦のピッチに一度も立てず。
ようやく復帰できたのは、シーズンも終盤の5月11日の練習試合でした。7ヶ月ぶりに前半30分から途中出場。
27歳になった翌日に、久しぶりに立ったピッチで、自分なりの手応えをつかむことができました。
だから余計に、ウズウズしているんだと思います。
なんで出られないんだろう
人生でこんなに試合をしなかったのは、初めてでした。
出られないとストレスが溜まる。「どうせ出られない」と考え出すと、練習にも身が入らない。
怪我が治っても思うように起用されない時期もあって、「なんで出られないんだろう」と、理由を自分の中で何周も探しました。
考えても、自分ではどうにもならないことまで、考え続けていました。
ここで腐ってしまう道も、たぶんあったと思います。「もう俺は無理なんだ」と。
でも、僕は逆でした。
自分の中では、負けているつもりがなかったからです。出られたら、絶対に証明できるのに。
出られない時間が、「試合に出たい」という気持ちを、出ていた頃よりもずっと大きく育てたんだと思います。
僕を支えた、ふたつのもの
この2年間、支えになったものがふたつあります。
ひとつは、ノートです。
プロになって、出られない時期が続いた頃から、iPadに手書きで書くようになりました。書くのは、ポジティブな言葉だけ。
「自分自身を疑わない」「信じ続けること」「コントロールできることにフォーカスする」——。
スマホにも同期して、いつでも見返せるようにしています。迷ったときはそれを開いて、「そうやな、いまはこう思っておこう」と立て直す。
大げさではなく、これがなかったら、ラグビーを辞めるところまで気持ちが落ちていたかもしれません。
なぜポジティブな言葉だけなのか。
僕の根っこが、ネガティブだからです。物事をすごく深く考えるタイプで、いつも一番悪い展開に備えてしまう。妻にも「最悪を想定してるよね」とよく言われます。
ただ、そのおかげで、実際に何かが起きたときは冷静でいられます。
試合前に「堂々としてるね」「緊張してないの?」と言われることがあるんですが、内心はバクバクです。いいことも悪いことも、先にイメージし切っているだけなんです。
そしてもうひとつの支えが、その妻です。
妻は、僕よりずっと冷静に物事が見えています。
悩みを相談すると、ただ慰めるのではなく、「相手の言ってることも分かるで」と現実を見せてくれたうえで、最後は必ずポジティブに持っていってくれる。
この2年間、何かあるたびに相談してきました。うちの妻は、偉大です。
「一試合出られたらいいよな」から始まったプロ
そもそも僕のキャリアは、華々しいスタートではありませんでした。
大学時代、いろんなチームから誘われるような選手ではなく、最後の最後にリコーに拾ってもらった形です。本当に運が良かったと思っています。
入団1年目の評価は、フッカーの5番手。一番下です。
悔しさより、納得のほうが大きかった。
まだまだだな、と自分でも分かっていました。
シーズンが始まる前、妻(当時は彼女)と「一試合出られたらいいよな」と話していたのを覚えています。
ところがその年、チームのフッカーに怪我人が続いて、たまたま僕にチャンスが回ってきました。
デビュー戦は途中出場で、時間にして8分。緊張で、正直あまり覚えていません。
そして次の試合で初めて先発のチャンスをもらい、開始2分でトライ。この試合で2本を取ることができました。
そこから「試合で使える選手」だと見てもらえるようになった気がします。
当時のコーチの存在も大きかったです。
社会人のスローは、高校や大学と違ってボールのスピードを求められます。最初は苦労しましたが、そのコーチが付きっきりで教えてくれました。
うまくいく経験が重なると、自信がつく。自信を持って投げられると、ボールは安定する。
逆に、少しでも不安があると、球は正直にブレる。
悩みの種だったスローが、少しずつ武器に変わっていきました。振り返れば、全部が運と、めぐり合わせと、周りの人のおかげです。
入団したときは「社員としてやっていくんやろな」「そんな簡単に試合には出られへんやろな」と思っていました。
ここでも最悪を想定する性格です。
それが、試合に出て自信がつき、3年目には妻と話し合ってプロ契約を選ぶまでになりました。
プロは、結果が出なければ契約が続かない世界です。出られなかったこの2年間、「ここで切られたら、おしまいだな」という焦りも、正直ありました。
それでも、「一試合出られたらいい」から始まって、競争の中でやっとつかんだ場所です。簡単に手放すわけにはいきません。
下に負けるのだけは、許されへん
僕は、根っからの負けず嫌いです。その原点は、学生時代にあります。
新潟市で生まれて、3歳の頃に地元のクラブチームでラグビーを始めました。
中学では新潟県代表に選ばれて、キャプテンも務めました。県内では、それなりにやれていたと思います。
ポジションはスタンドオフ。いまの姿からは想像できないかもしれませんが、バックスの選手でした。
親の勧めで進んだ奈良の天理高校で、最初に思い知ったのは全国のレベルの高さです。
そして高校でフォワードに転向しました。自分で決めたというより、「行け」と言われて行った形です。最初はフランカーで、やがてフッカーも務めるようになりました。
問題は、スローでした。
ラインアウトでボールを投げ入れる、フッカーだけの役割です。パスやキックは得意でしたが、ボールを上から投げるという動きは、ラグビーをやっていてもなかなか経験しないものです。
最初は、一切投げられませんでした。
だから先輩に教わりながら、一生投げていました。高校でも大学でも、スローだけは誰よりも投げてきた自信があります。
大学では、一学年下の後輩に、序列で抜かれていた時期があります。
上級生に負けるのは、悔しいけれど、経験の差もあるとまだ飲み込める。でも、下に負けるのだけは許されへん。
当時、ひどいときは、練習が終わって、ご飯を食べて、あとは寝るだけという時間になると、「なんで負けてんやろ」と頭が勝手に燃え出して、眠れませんでした。
試合前の緊張で眠れないことはあっても、悔しさで眠れないのは、人生で初めてでした。
そこから、自主練の時間はすべてスローに費やしました。完全オフの日も、一人でグラウンドに行って投げました。
3年生の夏、ようやくその後輩を抜き返して、スタメンをつかみました。そしてその年度、天理大学は全国大学選手権で初めての日本一に。
国立競技場で優勝が決まった瞬間は、いまでも人生でいちばん嬉しかったと言い切れます。
その年の夏まで二番手だった自分が、競争の末に迎えた優勝だったから、なおさらです。

僕は、才能に恵まれた選手ではありません。
身長170センチ。フッカーの中でも、フォワードの中でも小さいほうです。
だからこそ、人よりやる。負けず嫌いだから、やり続けられる。それが、ここまで僕を運んでくれたすべてです。
27歳にして、初めて芽生えた気持ち
ここで、誰にも言っていない話をさせてください。
日本代表に入りたい。日本代表として、試合に出てみたい。
最近、そう思うようになりました。27歳にして、人生で初めての感覚です。
僕はこれまで、世代別も含めて、日本代表というものに縁がありませんでした。
高校にも大学にも常に自分より評価の高いフッカーがいて、代表は「選ばれたら奇跡」くらいの遠い存在。
社会人になってからも、堀江翔太さんや坂手淳史さんという偉大すぎるフッカーの時代で、「自分なんかが」と、目標にする感覚にすらなれませんでした。
でも来年、ラグビーワールドカップがあります。
ピッチに立てなかったこの2年、同世代や年下の選手が桜のジャージを着て活躍する姿を、僕は何度も見てきました。
たとえば、東芝の原田衛選手。
僕と同じ1999年生まれのフッカーです。スローの回転は、僕から見ても、正直、嫉妬するくらい綺麗です。
「練習量日本一」とも言われる努力の人で、クラブハウスに居座るように練習しているという話も聞きます。立ち居振る舞いを見ても、自信を持ってやっているのが伝わってくる。
同じ年に生まれて、同じポジションで戦ってきた選手が、いまは日本代表の中心にいます。
尊敬しています。ただ、湧いてくるのは、尊敬だけではありません。羨ましさと、悔しさ。全部、同時にです。
大きかったのは、リーグワンで彼らと実際に対戦してきたことです。
圧倒的な力の差を、見せつけられたわけではなかった。だから、素直に思えてしまったんです。負けてないな。負けたくないな、と。
出られない時間が育てたのは、「試合に出たい」という気持ちだけではなかったんだと思います。
もちろん、順番は分かっています。
まずはチーム内の競争に勝って、試合に出ること。すべてはそこからです。ただ、その先で、日本代表に選ばれてみたい。
証明のシーズンへ
いまの自分の立ち位置は、冷静に分かっているつもりです。
怪我明けで、僕が離脱している間に、周りの選手たちは確実に伸びています。「俺のほうが絶対に上だ」なんて思っていません。
子どもの頃から親に「天狗になったらあかんよ」と言われて育ってきたので、そこは染みついています。
でも、焦ってもいません。やることは明確だからです。
練習で証明する。試合で証明する。チャンスが来たら、絶対につかむ。一試合でも早く、その機会がほしい。それだけです。
高校、大学と、ひたすら「量」をやってきました。
27歳になったいまは、一回一回の「質」にこだわろうと思っています。ベテランみたいなことを言うようですが、量を積んできた自負があるからこそ、そう言えるようになりました。
僕の座右の銘は「満足したら衰退のみ」。
いまは満足とはほど遠い場所にいます。
今シーズンの佐藤康を、見ていてください。ピッチで、証明します。
[追伸]
このnoteでは、新潟での原点の話、家族のこと、ラグビーが好きすぎる話なんかも、これから少しずつ書いていくつもりです。よかったら、フォローして待っていてもらえたら嬉しいです。
