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末期癌患者は長編小説完成の夢を見るか?

下咽頭癌ステージ4C MANIATTEKUDASAI その11の巻


お引越し

5月まで私が住んでいた部屋は、4LDKで占有面積はおよそ90平米であった。

もちろん家賃も馬鹿にはならない。

一人暮らしなのになぜそんなに広い部屋を?

と驚かれたことも少なくないが、それにはちゃんと理由がある。

4LDKのうち最も広い部屋であったリビングは、18年間を共に過ごしたミミズク(ヨーロッパコノハズク)のプーさんのために解放してあったのだ。

ヨーロッパコノハズクの平均寿命は10~15年。

広い空間でのびのびと飛び回れたことが、寿命をはるかに超えた長生きにつながったと私は今でも思っている。

しかし、そんなプーさんも3年前に亡くなった。

亡くなる1週間ほど前までは1日に8羽のウズラを食べていたのだが、ある日を境に皿の上に並べられた食事に全く手をつけなくなってしまったのだ。

もちろん病院にも連れて行ったが、食欲はそのまま戻ることなく、ある日の朝、私が帰るとプーさんはソファの下に冷たく横たわっていた。

享年17歳8ヶ月。

遺体は荼毘に伏し、遺骨は今も私の手元に残されている。

プーさん
2005.7.2~2023.3.19

プーさんがいなくなったのだから、すぐに引っ越せばいいようなものだが、広い部屋に慣れてしまうと狭い部屋を新たに借りるのは億劫だ。

そんなわけで、だらだらと広い部屋で一人暮らしを続けていた私だが、長期入院をきっかけに住まいに対する考えは一変した。

ベッドとwi-fiさえあれば、どこに住んでも私は世界とつながることができるのだ。

私はようやく重い腰を上げ、プーさんとの思い出が詰まった広い部屋を後にする決意を固めた。

40年間のマンション暮らしにいよいよ別れを告げるのだ。


転院

4月と5月は多忙を極めた。

なんと言っても、私が道民になるのは40年ぶりなのである。

それまで使っていた家具は一部を除いて全て処分し、蔵書の70%は譲るか売りに出すかした。

少しでも身軽になるよう断捨離に努めたが、それでも余市へ送る荷物は段ボールにして40箱は下らなかった。

再び人が住めるように実家の改装も行わなければならない。

転居にまつわる諸々の手続きは無限にあるように思われた。

最後に行ったのが転院の手続きである。

どうやら医療機関同士でやり取りを行うのが一般的ではあるらしいのだが、私の場合は転院先の病院へ行けるのがいつになるかわからない状態であったこともあり、自分で病院へ直接連絡することになったのだ。

総合病院の耳鼻科と消化器内科の予約を別々にとり、データと紹介状を持って病院へ行く。

新しい病院では、腫瘍内科という耳覚えのないところでまずは診察を受けることになった。

悪性腫瘍、つまり癌に対する薬物療法を専門としているとのことでなんとも頼もしい。

医師との話し合いの結果、私はここで月に約1回のオプジーボ投与を行うことになった。

これまでは240mgのオプジーボを2週に1回の割合で投与していたが、その倍の分量480mgを4週に1度投与するのだ。

体感としては240mgも480mgも一緒であり、点滴に要する時間もそれほど変わらない。

ただ、札幌まで足を伸ばす頻度が少なくなることは単純に楽だなあとは思う。

こうして万事滞りなく北海道での治療生活が始まった。


休養と文化

美輪明宏が亡くなり、生前の言葉が再び注目を集めている。

偉大な先人の残した名言の数々はどれも含蓄に満ちているが、今の私の胸にはこの言葉が特に大きく響いた。

「身体が疲れた時は休養をとりなさい。心が疲れた時は文化(美しいもの、芸術)をとりなさい」

多忙な日々が続き、芸術に触れる機会が失われ、本すらも満足に読めないような状態が続くと、私はぐったりと疲れてしまう。

そういう意味では、入院生活は疲れた心体を癒すには打ってつけだった。

病床であるとはいえ、一日中横になっているので身体的な休養がとれたことはもちろんだが、たくさんの本を読むことができたのが何よりも嬉しかった。

これは現代ならではのことだと思う。

iPhoneはもちろん、MacBookやKindle端末、そしてFireタブレットまで病室に持ち込んでいたので、直感的に次に読むべき本を買うことができ、読めば読むほどに興味は果てしなく広がっていく。

Kindleがない時代であれば、本を買いに行けないストレスが溜まる一方だったことだろう。

余市への移住を決めたのも、この経験によるところが大きい。

40年前とは違い、町に大きな本屋さんがなくても困ることがないのだ。

思えば、中学高校時代は常に文化的飢餓状態にあったのだと思う。

欲しい本が売っていない。

欲しいレコードが売っていない。

JAPANの解散公演はおろかDuranDuranのコンサートにも行ったことがない。

なぜか?

田舎に住んでいたからだ。

文化に対する慢性的な餓えから逃れるため、私は東京のアートスクールへの進学を志したと言えるかもしれない。

翻って今はどうだろう?

大きな本屋さんは必要ない。レコード屋さんは言わずもがな。

観に行きたい舞台や展覧会があれば東京まで行けばいい。

そう。

中学生の頃とは違い、今の私は思い立ったらすぐに東京に行くことができるのだ。

新千歳~羽田間を結ぶ飛行機は1日60便以上も飛んでいる。

都会に住んではいなくても心が飢える心配はなさそうだ。

こうした状況に後押しされる形で私は田舎暮らしを選んだのだった。


田舎での療養は有効か?

リタイア、もしくはセミリタイアした人がこんなふうに言うのを耳にすることがある。

「やり切った」
「全てやり尽くした」

本人が言うのだから間違いはないのだろうが、そう言い切れるのは凄いと思う。

田舎に住んでいても事足りる、と書いたばかりだが、それでもやはり私は今でも、大都市の中心にしかないあのスピード感を恋しく思い返してしまうことがある。

目まぐるしく変化する大都会の息吹をいつまでも肌で感じていたいという気持ちを捨てきれないのだ。後ろ髪を引かれてしまうのだ。

かつての主戦場にて

しかし、だからこそ私のような人間にとって田舎での療養は有効なのではないかとも思う。

会いたい人がいて、観たいものがあって、行きたいところがある。

どこに住んでいたってそれは変わらないのだが、田舎に住んでいると行動はおのずと制限される。

思い立ったら即日、というわけにはもういかない。

「迷ったら行く」ようにしていた私が、今では「本当に行きたいか自問する」ようになったのだ。

そうやってフットワークを強制的に重くすることで、自分が心の底から欲するものが、ひいては自分自身がよりよく理解できるようになった気がする。

今の私に必要なのは、なんと言っても適切な癌治療と、執筆のための時間と空間なのだ。

余市町で暮らし始めて1ヶ月あまり。

転院手続きが終わり、徐々にではあるが家の片付けも進んでいる。

両親が残してくれた家が、少しずつ「私の家」へと変わりつつある。

毎日、買い出しに行き、毎日、魚を捌く。

季節もちょうど良かった。

6月の余市はからりとした青空の日が多い。

空気は気持ちよく乾いていて空は高い。

まるでLAのようだなと私は思う。

LAと違うのは魚が1尾2ドル以下で買えることだ。

通りに咲く花々は日に日に彩りを増し、歩いているだけで心地良い香りに包まれる。

気分が良いので、少し足を伸ばして崖の上のパン屋さんに行く。

潮風に吹かれながらクロワッサンを頬張る。

眼下では廃道になった旧国道5号線が自然に飲み込まれつつある。

生まれ故郷でありながら異国にいるような不思議な気持ちだ。

誰もいない崖の上から水平線を眺めていると、この地で世界最先端の医療を受けていることが信じられなくなる。

大自然に囲まれて生活すると、副交感神経が安定し、ストレスホルモンが減少し、ナチュラルキラー細胞の活性化が促されるという説もあるらしい。

どういう仕組みなのかはよくわからないが、癌患者にとって田舎での療養が大きな意味を持つということは、私自身が日々強く実感するところである。

この幸運な巡り合わせには感謝するより他にない。

奇しくも、4LDKの部屋から余市へと40箱あまりの段ボールを送った日は、母の3回目の命日であった。

母にこう言われているような気がする。

「この子はこうでもしないと大人しく田舎に戻ってはこないだろう」

3年前のあの日から運命の歯車は動き出していたのかもしれない。

世界で一番好きなパン屋さん「エグ・ヴィヴ」の前で
潮風と薪の香り

その12へと続く…。


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