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末期癌患者は長編小説完成の夢を見るか?

下咽頭癌ステージ4C MANIATTEKUDASAI その12


医者は自分の家族に抗がん剤を打たない?

自分が癌だと診断されてから改めて実感したのだが、この世の中は癌に関する情報で溢れかえっている。

何しろ二人に一人が癌になる時代だ。

自分自身が、あるいは大切な人が癌であるとわかった時にどうするべきか。

誰もがその答えを探していると言っても過言ではないだろう。

そして、そのような状況に付け入る悪質なビジネスが横行していることもまた事実だ。

偽の情報が飛び交い、「奇跡」が起こったという成功談が語られ、「医学会の闇」が日々暴かれている。

抗がん剤は毒だと思い込み、「医者は自分の家族に抗がん剤を打たない」と信じている人も多い。


なぜ、そのように思うのか?


抗がん剤を打ってはみたものの、苦しいばかりで思うような効果が得られなかった人もいるだろう。

抗がん剤を打っていたにも関わらず、家族や親しい友人を亡くした人もいるだろう。

確かに抗がん剤治療は楽なものではない。

髪の毛は抜け、食欲は低下し、体力は落ちる。

個人差はあるとは言え、この辺りの副作用は覚悟しなければならない。

そして、抗がん剤治療に「絶対」はない。

現代の抗がん剤治療は驚くべきスピードで進化しているが、全ての癌患者の命を救えるかというとそうではないのだ。

しかし、それでもなお、私は声を大にして言いたい。

抗がん剤投与を含む標準治療こそが癌患者にとって最高の選択肢であると。

不動の金メダリストではあるが…。
勘違いされがちなのが玉に瑕だ。

下咽頭癌ステージ4Cの癌サバイバーとして、今回は私が受けた、そして現在も受けている標準治療というものについてお伝えしたい。

標準治療とはその名称とは裏腹に、決して「並程度の治療」ではないのだ。


「標準治療」=「ありきたりな治療」ではない

標準治療は、その名前のせいで随分とイメージが悪くなっているように思う。

標準、と聞いて多くの人が思い浮かべるのは「松・竹・梅」の中で言えば「竹」のコースだろう。

つまり「もっと良いものもあるんだろうけど、とりあえず普通のやつ」を選ぶイメージだ。

さらに悪いことに、標準治療には「自分で選び取っている」という感覚を持ちにくいという側面もある。

誰もが受けることができる「並程度の治療」を医師に押し付けられ、人生の舵取りが自分の手から離れてしまう。

そのように感じてしまう人もいるかもしれない。

しかし、それらはあくまでも「標準治療」という名称からくる「悪いイメージ」に過ぎないのだ。

実際の標準治療とは、英語の「Standard Therapy(全ての患者が受けるべき確立された医療)」の訳であり、医療の世界では「現代最高の医療」を指す。

現時点で科学的に最も効果があり、安全性が確認された最良・最高の治療。

それが「標準治療」なのだ。

決して「松・竹・梅」の「竹」のコースではない。

コースで言えば、一番贅沢な「特上」コースだ。

標準治療の標準とは、「普通」ではなく科学的根拠(エビデンス)に基づく「最良」を意味する。

そして、それは最新のデータによって常にアップデートされている「最新の最善」でもあるのだ。

では、なぜそのような「現代最高の医療」を受け入れず代替医療を選択する人がいるのか?

それには「標準治療」が万人に開かれた治療であることと、「現代最高の医療」をもってしても救えない命もあるという残酷な事実が深く関係していると私は思う。

一つずつ説明していこう。


自分はレールに乗せられているだけなのか?

標準医療は、エビデンスに基づく最善の医療として医師から提示されるため、患者側が「選んだ」というよりも「それに従うしかない」という受動的なものに感じられやすい。

そして、ドラマ性にも欠けている。

代替治療は「奇跡」や「独自の選択」といった物語として語られやすいが、標準治療は淡々とした日々の医療の積み重ねであり、本人の葛藤や決断といったものが見えにくいのだ。

しかし、標準医療を選んだ私は決してただレールの上に乗せられていたわけではない。

抗がん剤治療を受けるにせよ、放射線治療を受けるにせよ、その度ごとに医師からリスクと確率についての説明がある。

標準医療は「現代最高の医療」ではあるが、「絶対に治る」という保証はない。

重篤な副作用が出る可能性もある。

しかも、副作用に苦しんだからと言って癌が絶対に消えるとは断言できない。

私はそれら全てを理解した上で標準医療を選び取った。

その選択は決して受動的なものではなかった。

喉を塞ぐ腫瘍。嚥下の度に起こる激痛。死の予感。

そういったものを抱えながら、私は現代最高の医療を選択したのだった。


納得と信頼

抗がん剤投与と放射線照射がセットになった標準治療により、私の下咽頭癌と3つの食道癌は消え、あとは背骨と大腿骨に転移した癌を残すのみとなった。

現在は4週に1度の頻度でオプジーボの投与を行なっている。

骨転移した癌を消すためだが、咽頭や食道の癌の再発を防止する効果も期待できるそうだ。

癌と診断されてから早いものでもう10ヶ月が経とうとしている。

抗がん剤の副作用によって抜け落ちた髪はだいぶ元に戻ったし、喉に放射線を当てていたためツルツルになっていた襟足や顎の部分にも再び毛が生えてきた。

自分は癌サバイバーとなった、という実感が生まれたのは長期入院を終えてからしばらくしてからのことだ。

「現代最高の医療」を選択したとはいえ、その瞬間には、今こうして生きている未来を簡単に想像することはできなかったのだ。

標準医療にはリスクも限界もある。

「絶対に治る」とは言い切らない医師の言葉は、私にとっては絶望ではなく科学的な誠実さに感じられた。

逆説的ではあるが、「不確実である」というエビデンスがあったからこそ命を預けてもいいと思えるような信頼が生まれた。

もちろん、私の例が全ての人に当てはまるわけではないだろう。

私は納得と信頼をもって標準治療を選び、そしてその治療が私の身体に適合したということだ。

癌と診断された当初は、chatGPTに聞いてもGeminiに聞いても余命は7ヶ月から1年だろうと言われ、私もそれを間に受けていた。

これから先の人生はけっこう長いかもしれないと思えたのは、つい最近の話なのだ。

入院前の私に「来年の夏にはあなたは余市町で一人暮らしをしていますよ」と言ったとしても信じなかったに違いない。

そりゃそうだ。

何しろそこまで生きているとさえ思ってはいなかったのだから。

ジャイロもこう言っています。

Let’s Dance!

余市の家もだいぶ片付いてきた。

2階にはまだほとんど手をつけていないが、1階にあるリビングや寝室、キッチンやお風呂まわりなどは自分仕様に仕上がりつつある。

ゆくゆくは父の書斎を譲り受ける形で執筆を続けたいのだが、今のところはダイニングテーブルにMacBookを置いて長編小説の続きを書き、そしてその合間にこのnoteを書いたり、ベースの練習をしていたりする。

そう、私は退院してからベースを弾き始めたのだ。

昨年、入院してからおよそ2ヶ月にわたって私は音楽とは無縁の生活を強いられていた。

考えてみれば、音楽をまったく聞かない生活というものを私は初めて体験したかもしれない。

まず、これは当たり前のことだが病院内ではBGMが流れていない。

音楽を聞こうと思うのなら能動的に聞かなくてはならないのだが、私はステージ4の咽頭癌を患っていたのでイヤホンを挿すことができなかった。

耳の奥が常にズキズキと痛んでいたのだ。

部屋は半個室だったので患者同士が顔を合わせることはなかったが、音は漏れ聞こえてくる。

そんなわけで約2ヶ月間、私は音楽や動画から強制的に隔離された状態となり、娯楽は読書のみとなっていた。

そして、痛みがようやく引き、久しぶりに音楽を聴いた私は奇妙なことに気づいたのである。

あれ? ベースの音がめちゃ聴こえるんですけど?

ロックをはじめとするポップミュージックの場合、ベースは基本的には縁の下の力持ちであり前に出てくることはあまりない。

もちろん、ベースの音に集中すれば聴こえてくるのだが、多くの人はそういった聴き方をしないだろう。

私もそのうちの一人だった。

しかし、退院した私の耳にはどんな音楽を聴いてもはっきりとベースの音が聴こえてくるのだ。

そればかりではない。

曲を聴きながら「このベースをミック・カーン風に」と想像すれば、リアルタイムでミックのベースラインが頭の中で鳴り始めるのだ。

試しにプリンスの「When Doves Cry」を聴いてみる。

プリンス初の全米一位となったこの曲にはもとよりベースラインが存在しないのだ。

冒頭の激しいギターソロに続いてドラムマシンが無機質なビートを刻み始める。

そして、それとほとんど同時に私の耳にはあるはずのないベースラインが響き始めた(その上でやっぱりベースはない方がいいなと思えた)。

その話を後輩である後藤にしたところ、なんと使っていないエレキベースとアンプ、ヘッドフォンのセットが家に眠っていると言うではないか!

なんでも中学生の頃から通っているかかりつけ医から破格で譲り受けたものらしい。

「もう何年も弾いていないんで良かったら譲りましょうか?」

渡りに船とはこのことか。

ベースセット一式を譲ってくれた後藤は、LINEでタブ譜付き動画も送ってくれた。

まずはこの曲を弾けるようになろう、というわけだ。

練習曲のタイトルは「Let’s Dance」。

デヴィッド・ボウイの1983年の大ヒット曲で、発売当時、私は余市町のこの家で繰り返しこの曲の入ったアルバムを聴いていたのだった。

頭の中でベースの音が鳴っているからと言って、それをそのまま弾くことなどできはしない。

ミック・カーンも最初は単調なリズムを刻む練習から始めたことだろう。

それにしても、まさか余市町でボウイの「Let’s Dance」とは。

高校生の頃からやっていることが何も変わっていないではないか。

青空とスカル&チェーン(逆光)…。


父の書斎からメトロノームを見つけた。

80歳に差し掛かるまで、父は先生についてフルートの練習をしていたのだ。

父が残してくれたメトロノームを鳴らしながら、私は今日も少しだけベースを練習する。

執筆に集中できるのは4時間ほどが限度だ。

頭を切り替えるのに楽器の演奏はちょうどいい。

頭の中にある物語を文字にしながら、頭の中に響く音を実際のアンプから鳴らすよう地道な練習を続けている。

今のところ、文章を書く方が演奏するよりもはるかに得意ではあるようだ。

長編小説を脱稿するのが早いか、「Let’s Dance 」を完璧に弾けるようになるのが早いか。

願わくは年内にそのどちらも達成したい。

生きてさえいればその願いは必ず叶えられることだろう。

2階の片付けも始めなければならないし何かと忙しくなりそうだ。

というわけで今夜も、余市町で Let's Dance!

🎵 Under Moonlight, Serious Moonlight〜


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