見出し画像

お墓って大切✨お陰様でありがとうございます!

こちらの記事で応援して下さった方々
ありがとうございます(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)


お陰様でお盆前に無事にお墓が完成して

マウント病の父に、
ビジネス交渉のように交渉し(*>▽<*)笑

無事に祖父のおコツをお墓におさめて
供養することが出来ました💕‪


今年のお盆に間に合って良かったです😊


せっかくなので、お墓の歴史を調べて
みました(o^^o)

【お墓の歴史】

日本のお墓の歴史は古く縄文時代にまで
遡ります

〔 縄文時代 〕
1万5000年前から2300年前の縄文時代には、
既に遺体を埋葬する習慣がありました

これにより、
「人間が魂と肉体から成り立っている」
という考えが既にあった事が分かります
当時は遺体を地面に埋葬する、いわゆる
「土葬」により、遺体を埋葬する習慣が
ありました


〔 弥生時代 〕
縄文時代と比べて集落から離れた場所に
墓地が作られるようになり、埋葬方法も
変化しました

木棺墓(もっかんぼ)や石棺墓(せっかんぼ
)甕棺墓(かめかんぼ)などが用いられる
ようになりました
弥生時代中期には、集団墓や首長墓と考えられる墓も出現しました

自然を重要視する神道のような考え方が
見られるようになり、鏡や剣などが副葬品
として用いられていたようです

甕棺墓(かめかんぼ)

吉野ヶ里歴史公園


〔古墳時代〕

権力者のための古墳が造られ前方後円墳
など、さまざまな形の古墳が存在しました
一般庶民の埋葬方法は、縄文時代から
大きく変わらなかったとされています

そして、古墳から発掘された、宝物、土器、
埴輪、装飾品等から、神道と関連付けられる
祭祀が行われていたと考えられています

お墓は古墳のような大きいスタイルから
形を小さくしていったようです

〔 鎌倉時代 〕
武士が権力を持っていた鎌倉時代は
彼らが仏教を取り入れ、仏教の思想を
取り入れたお墓を作り始めました

そして、武家から庶民に至るまで
仏教が浸透し始め、庶民の人達も火葬する
ようになりました その為
火葬と土葬が並行して行われていたようです

しかし、
「五輪塔」や鎌倉特有の「やぐら」と
呼ばれる横穴式墳墓(よこあなしきふんぼ)
のような現在の墓石の形とは異なる形態
のお墓でした

【 五輪塔 】

ohakakiwame

【 やぐら 】

鎌倉市観光協会


鎌倉時代の武家の人達の墓は、
武家政権の歴史と共に、その時代の人々の
信仰や文化を今に伝える貴重な史跡と
なっています


鎌倉幕府を開いた
「源頼朝(みなもとよりとも)の墓」
と、
幕府の2代執権として武家政権の確立に
大きく貢献した
「北条義時(ほうじょうよしとき)の墓」は、

「史跡法華堂跡(しせきほっけどうあと)
(源頼朝墓・北条義時墓)」

として国指定史跡に指定されています


〔 江戸時代 〕
仏教の影響を受けた、
現代と同じような形の「墓石」が
建てられるようになりました

庶民もお墓を持つようになり、武士や有力者
は、鎌倉時代に見られ始めた
卒塔婆(そとうば)や石塔婆(いしとうば)
を建てることもありました

「家」意識が高まり、1人1つだったお墓は、家族をまとめて1基の 墓標に供養することが
多くなりました
また、家紋を墓石に使用したり、戒名も確立
され、「家の格式」を表すものとして重要視
されていました

徳川家康と有名な家紋「三つ葉葵(みつばあおい)」


〔 明治時代以降 〕

寺請制度(てらうけせいど)が廃止され、
公共の墓地が造営されるようになりました
また、火葬が普及し、現在のような
お墓の形が定着しました

【寺請制度】
江戸時代に幕府がキリスト教徒を認識する
ために導入した制度で、すべての人がいずれ
かの寺の「檀家」になることを義務付け、
その寺院がその人の信仰を証明するという
ものです

墓地、埋葬等に関する法律(墓地埋葬法)
が制定され、お墓の管理や埋葬に関する
ルールが定められました

MAEDAX

https://www.clipstudio.net/oekaki/archives/153069

このように日本のお墓は、生活習慣や
文化と共に変化し、神道や仏教等の
影響を受けながら、今の形と習慣になって
きたのですね(*ˊ˘ˋ*)。♪:*°

皆さんもお盆なので
お墓について調べてみると良いと
思います(o^^o)

大変勉強になりました🌷.*

読んで頂きありがとうございました(⁎ᴗ͈ˬᴗ͈⁎)

〔参考にしたサイト〕


この記事が参加している募集