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知識社会化の代償。ドラッカー

ドラッカーさんの読み直しと写経です。自分用のメモです。

大学生への応援編が続きます。

敗者と勝者がいる世界。昔はそうではなかったというのだが、本当だろうか。燃え尽きてしまうのは、本当にもったいない。人にとって、社会はより良い方向に進んでいるのだろうか?というのは、いろいろなところから感じる。


#49

<引用>失敗に対する恐怖が、社会の隅々に浸透した。

知識社会における上方への流動性には高い代償がともなう。競争にともなう心理的な圧力と精神的なストレスである。敗者がいるから勝者がいる。昔の社会はそうではなかった。日本の生徒は塾通いで睡眠不足だという。塾に行かなければ有名大学に入れず、よい就職もできない。アメリカ、イギリス、フランスでも、学校が恐るべき競争の場となっている。

このようなことが三〇年、四〇年という短い年月の間に起こったことは、失敗に対する恐怖が社会の隅々に浸透したことを示す。しかも、そのような競争の後では、ますます多くの成功した知識労働者、すなわち企業のマネジャー、大学の教員、美術館の幹部、医師たちが、四〇代にして燃えつきることになる。

そのとき、自分にできることが仕事しかなければ問題が生じる。したがって、知識労働者たる者は、仕事以外の関心事を育てておかなければならない。

「ネクスト・ソサエティ」


💡 ドラッカー先生のやさしい解説

「競争に勝つことが人生の目的になってしまうと、どこかで壊れる」――ドラッカーはこの文章でそう警告しています。

知識社会とは、学歴や資格、専門知識が「社会での立場」を決める社会のことです。かつては農民の子は農民、職人の子は職人というように、生まれた家が人生をほぼ決めていました。しかし現代は、努力と知識次第で誰でも上の階層へ移れる。それ自体は良いことのように見えます。

でも、その「上への移動」が可能になった分だけ、「競争に負けた者」も生まれる。塾、受験、就職活動……あなたも経験したように、日本の教育は早い段階から「勝ち負け」の構造になっています。

問題はその先です。激しい競争を勝ち抜いて企業のマネジャーや医師になった人たちが、40代で「燃え尽き」てしまう。なぜか? 仕事だけが自分のアイデンティティになっているからです。文学部で言えば、「研究しか自分にはない」と追い詰められた院生が、論文が書けなくなった瞬間に崩れてしまう姿に似ています。

ドラッカーの処方箋は明快です。「仕事以外の関心事を育てておけ」。趣味でも、ボランティアでも、地域活動でも良い。仕事が一時的に行き詰まっても、別の場所に「自分が貢献できる場」があれば、人は回復できる。複数の居場所を持つことが、長い職業人生を支える土台になるのです。


☘️ 大学生との質疑応答

Q1. 将来やりたいことがまだ見つかっていません。今すぐ何かをしなければいけませんか?

A. 焦る必要はありません。ただ、今のうちに「仕事以外で自分が熱中できること」を一つでも見つけておくことは大切です。文学を学んでいるなら、読書会を主催してみる、地域の図書館でボランティアをしてみる、小さな創作活動を続けてみる。それが将来の仕事と直接つながらなくていい。ドラッカーの言葉を借りれば、「貢献できる場」を複数持つことが、長い職業人生の土台になるのです。

Q2. 就職活動で有利になるためには、今から資格やスキルを積み上げるべきでしょうか?

A. スキルを磨くことは悪くありません。でも、「試験で勝つための準備」だけに集中すると、ドラッカーが警告した「燃え尽き」への道を早めに歩き始めることになります。むしろ今できることは、ゼミで自分の意見をしっかり言う練習をする、アルバイトで「チームの中での自分の役割」を意識する、旅行や読書で自分の視野を広げる。こうした経験は、面接で語れる「本物の言葉」になりますし、何より仕事をする前に人間として厚みをつけてくれます。

Q3. 大学生のうちに、ドラッカーが言う「仕事以外の関心事」を育てるには、具体的に何をすればいいですか?

A. 何でも構いませんが、一つ基準を言うなら「誰かのために時間を使う活動」が特におすすめです。たとえば、学習支援のボランティア、文芸サークルでの冊子づくり、地元のイベントスタッフなど。大事なのは、そこに「お金にならなくても自分が貢献している実感」があることです。それが将来、仕事で行き詰まったとき——論文が書けない夜、職場で認められない時期——に「自分には別の場所がある」と思わせてくれる。それがドラッカーの言う、知識労働者が持つべき「もう一つの根」なのです。

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