小説を書くと、自分の本音が先に泣く
私が小説を書いているとき、
私は、その世界の最前列の観客で、
じっと見守っていることが多いのだが、
時には、
登場人物として、
その世界に生きる人として、
その場で感情を感じたり、
景色を見たり、
その先の行動も、
体験している。
自分が作り上げている世界なのに、
言葉にできないものが込み上げて、
立ち止まってしまうことがある。
そのとき、
『この涙はなんだろう』
『どんな言葉で表せるのだろう』と、
ひたすらに、
登場人物と一緒に考える。
私が感じたものが、
間違いなく、
実感としてあるなら、
きっとこれは残した方がいいと、
思えるからだ。
自分が作っている世界なら、
いくらでも、
都合のいい話にできる。
感情。
伏線。
動機。
結末。
小説を書くことって、
こういう計算の積み重ねなのだと思う。
しかし、実際の人生は、
計算通りに進むのだろうか?
私の人生は、
考えて、
考えて、
最善を尽くしているはずだったのに、
予想外のことばかりだった。
親の言うとおりに、
普通の人生を歩み、
表現する人生を諦め、
普通の会社員になり、
四回も休職して、
いろんな病気と向き合い、
今こうして、
表現しながら、
自分の内側と向き合いながら、
作品を生み出している。
だからきっと、
私が書いている作品も、
作者という概念に縛られない世界で、
動いているのだと思う。
その世界に生きている人たち。
その世界で生まれたものたちは、
到底、私が決めることはできないのだろう。
と、思う。
じっと見つめる視線の先に、
突然現れた美しいものや、
心が揺さぶられるものに、
自然と心が引き寄せられて、
気が付いたら、
泣いていたのだろうと思う。
現実世界で、
痛いくらいに感じている、
この敏感なセンサーが、
自分の内側の世界に向けられたとき、
これを感じ取れるからこそ、
表現者として、
何かを生み出し続けているのだと思う。
*言葉にできなかった感情を
少しずつ書いています。
今の私のままに、静かに
残していけたらと思っています。
最後まで読んでくださって
ありがとうございました。
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