【こころ便り】「安心できる居場所」は、どこにあるのだろう
― 子どもたちが帰れる場所を考える
「子どもには、安心できる居場所が必要です」
教育や福祉、心理支援の場で、よく使われる言葉です。
学校の中に居場所をつくる。
地域に子どもが集まれる場所をつくる。
フリースクールや子ども食堂、学習支援の場を増やす。
子どもたちを支えるために、さまざまな取り組みが行われています。それは、とても大切な動きです。
しかし、心理師として子どもたちと関わっていると、ひとつの疑問が浮かびます。
居場所と呼ばれる場所が増えている一方で、なぜ今も、
「自分の居場所がない」
と感じている子どもが少なくないのでしょうか。
学校に通っている。
家庭もある。
友達もいる。
SNSで誰かとつながっている。
ゲームの中には仲間もいる。
外側から見れば、子どもの周りにはいくつもの場所や関係があります。
それでも、心の中ではひとりだと感じている。
このことを考えるとき、私たちは「居場所」という言葉を、建物や制度だけになってしまってはいないか捉え直す必要があります。
居場所とは、単に自分の身体を置ける場所ではありません。
「自分はここにいてもいい」と心から感じられる関係や時間のことなのだと思います。
居場所は、与えられるものではない
大人は子どものためを思い、
「ここがあなたの居場所だよ」
と伝えることがあります。
しかし、どれほど環境が整っていても、子ども自身が安心を感じられなければ、そこは本当の意味での居場所にはなりません。
きれいな部屋がある。
理解のある先生がいる。
同世代の子どもがいる。
専門的な支援が受けられる。
こうした条件は大切です。
けれど、居場所になるかどうかを決めるのは、場所の設備や制度の名称ではありません。
そこにいるときに、
失敗しても見捨てられない。
うまく話せなくても急かされない。
元気でなくても責められない。
成果を出さなくても存在を認めてもらえる。
そのように感じられるかどうかです。
人は、自分の存在を証明し続けなければならない場所では、心から休むことができません。
役に立つこと。
期待に応えること。
周囲に合わせること。
問題を起こさないこと。
そうした条件を満たさなければいられない場所は、「頑張る場所」にはなっても、「帰れる場所」にはなりにくいのです。
心理学から考える「安全基地」
発達心理学には、「安全基地」という考え方があります。
子どもは、安心できる大人や環境を心の拠点にしながら、外の世界へと踏み出していきます。
新しいことに挑戦する。
知らない人と関わる。
失敗や挫折を経験する。
自分の力で考え、選択する。
こうした成長は、ただ子どもを外へ押し出せば生まれるものではありません。
不安になったときに戻れること。
疲れたときに休めること。
失敗した自分も受け止めてもらえること。
その安心があるからこそ、子どもは再び外の世界へ向かえます。
つまり、居場所とは子どもを留め続ける場所ではありません。
戻ることができるから、また離れていける場所です。
ところが現代では、「自立させなければならない」という焦りから、子どもが戻ってくることを後退と捉えてしまう場合があります。
学校を休む。
親に甘える。
部屋で過ごす。
以前できていたことができなくなる。
こうした姿を見ると、大人は不安になります。
しかし、子どもが一時的に戻ることは、必ずしも成長の失敗ではありません。
心が傷ついたときや、外の世界で力を使い果たしたときには、安心できる場所に戻って自分を立て直す時間が必要です。
帰ることを許されない子どもは、安心して旅立つこともできません。
学校は、居場所であり続けられるだろうか
学校は、多くの子どもにとって生活の中心となる場所です。
勉強するだけではなく、友達と出会い、社会のルールを学び、自分の得意不得意を知る場所でもあります。
学校で認められた経験や、先生や友達に受け入れられた経験は、子どもの心を大きく支えます。
一方で、学校には評価があります。
テストの点数。
通知表。
提出物。
集団行動。
友人関係。
授業中の態度。
進路に向けた成果。
学校は学びの場であると同時に、常に誰かから見られ、自分の位置を意識しやすい場でもあります。
集団の中で自然に振る舞える子どもにとっては、学校が大切な居場所になることがあります。
しかし、集団の音や空気に疲れやすい子ども、失敗を強く恐れる子ども、人間関係の変化に敏感な子どもにとっては、学校にいるだけで緊張が続くことがあります。
教室に入る。
先生の話を聞く。
友達の視線を感じる。
休み時間を過ごす。
大人から見ると日常的なことでも、子どもにとっては心のエネルギーを大きく使う場合があります。
不登校の子どもに対して、私たちはつい、
「学校に戻すにはどうすればよいか」
と考えます。
もちろん、再び学校に通えるようになることが、その子の希望や成長につながる場合もあります。
しかしその前に、
「この子にとって、学校は安心できる場所だったのだろうか」
と考える必要があります。
学校に行けなくなった子どもは、学ぶ意欲を失ったとは限りません。
集団の中で自分を守る力を使い果たし、安心できない場所から一時的に離れていることもあります。
学校復帰を急ぐ前に、学校の中で何が苦しかったのか、どのような環境なら安心できるのかを丁寧に見つめることが大切です。
家庭は、「評価されない場所」でいられるか
家庭は、子どもが最初に出会う居場所です。
幼い子どもは、親の表情や声、抱かれる感覚を通して、
「自分は守られている」
「ここにいても大丈夫だ」
という感覚を育てます。
しかし、子どもが成長するにつれて、家庭で交わされる言葉も変わっていきます。
「宿題は終わったの?」
「テストはどうだった?」
「進路をそろそろ考えないと」
「いつまでゲームをしているの?」
こうした言葉の多くは、親の心配から生まれています。
子どもの将来を大切に思うからこそ、生活や勉強について伝えなければならないこともあります。
しかし、学校で評価され、友人関係に気を遣い、外の世界で懸命に頑張っている子どもが、家庭でも評価や指導を受け続けると、心を休める場所がなくなることがあります。
子どもにとって家庭は、何も求められない場所である必要はありません。
社会のルールや生活習慣を伝えることも、親の大切な役割です。
ただ、その土台には、
「できても、できなくても、あなたの大切さは変わらない」
という感覚が必要です。
家庭が居場所になるために大切なのは、いつも穏やかでいることでも、親子が何でも話せることでもありません。
けんかをすることもあります。
言葉がすれ違うこともあります。
子どもが部屋にこもることもあります。
それでも、関係が切れないこと。
うまくいかない時間があっても、再び話せる可能性が残されていること。
家庭の安心は、問題が起きないことではなく、問題が起きても帰ってこられることによって育っていきます。
塾や習い事が居場所になる子どもたち
塾や習い事は、成果を求める場所だと思われがちです。
成績を上げる。
技術を身につける。
大会や発表会を目指す。
しかし、学校とは異なる人間関係の中で過ごせることが、子どもの心を支える場合があります。
学校では自信を失っていた子どもが、塾では先生との少人数のやり取りを楽しめる。
教室では目立たない子どもが、スポーツや音楽、絵画の場では自分らしさを表現できる。
学校の友達には話せないことを、習い事で出会った仲間には話せる。
子どもの居場所は、必ずしも家庭と学校だけで完結するものではありません。
むしろ、複数の世界を持っていることが、一つの場所で苦しくなったときの支えになります。
ただし、塾や習い事も結果だけが求められるようになると、安心できる場所ではなくなります。
子どもが何を達成したかだけでなく、その場所でどのような表情をしているか、誰とどのようにつながっているかを見ることが大切です。
SNSは、つながりなのか、孤独なのか
SNSは、子どもたちの人間関係を大きく変えました。
学校を離れても友達とつながることができ、自分と同じ悩みや興味を持つ人と出会うこともできます。
現実の生活では少数派だったとしても、オンラインの世界では自分と似た経験を持つ人を見つけられます。
言葉で直接話すことが苦手な子どもにとって、文章や画像を通して自分を表現できることもあります。
その意味で、SNSは子どもにとって大切な居場所になる可能性を持っています。
一方で、SNSでは常に人とのつながりが見えるため、
自分だけ誘われていない。
自分の投稿には反応が少ない。
友達が自分以外の人と楽しそうにしている。
誰かの生活が自分より充実して見える。
といった経験が、孤独や不安を強めることもあります。
SNSの中でつながっていても、本当の自分を見せられなければ、心は孤独なままです。
明るい自分。
楽しい自分。
周囲に好かれる自分。
そうした姿だけを見せ続ける関係では、つながっているようでいて、深く休むことはできません。
SNSが居場所になるかどうかは、利用時間だけでは判断できません。
その場所で子どもが安心しているのか、比較や緊張に苦しんでいるのかを見る必要があります。
ゲームの世界に、子どもは何を求めているのか
ゲームについての相談では、
「現実から逃げています」
「一日中ゲームばかりしています」
といった言葉を聞くことがあります。
確かに、生活のすべてがゲーム中心になり、睡眠や食事、家族との関係に大きな影響が出ている場合には、丁寧な支援が必要です。
しかし、ゲームを取り上げる前に考えたいことがあります。
子どもは、なぜその世界に居続けるのでしょうか。
ゲームの中では、努力した結果が分かりやすく返ってきます。
失敗しても、もう一度挑戦できます。
現実の学校生活では自信を失っていても、ゲームの中では仲間に必要とされることがあります。
会話が苦手な子どもでも、同じ目的を持つ仲間とは自然にやり取りできる場合があります。
ゲームの中で得ているのは、刺激や楽しさだけではありません。
達成感。
役割。
仲間とのつながり。
自分で選び、行動できる感覚。
失敗してもやり直せる安心。
そうしたものを得ている可能性があります。
ゲームをやめさせるだけでは、その子がゲームの中で得ていた居場所まで失わせてしまうことがあります。
必要なのは、ゲーム以外の現実の中にも、安心や達成感、つながりを少しずつ増やしていくことです。
ゲームから無理に引き離すのではなく、その子がゲームに求めているものを理解することが支援の出発点になります。
フリースクールは、学校の代わりではない
フリースクールは、不登校の子どもが学校の代わりに通う場所として語られることがあります。
しかし、本来の役割は、単に学校の学習を別の場所で行うことだけではありません。
学校では緊張していた子どもが、自分のペースで過ごせる。
年齢や学年にとらわれず、人と関わることができる。
何かを達成する前に、まず存在を認めてもらえる。
フリースクールには、子どもがもう一度人や社会とつながるための中間的な場所としての役割があります。
すぐに学校へ戻ることを求められない。
元気になることを急かされない。
何もできない日があっても受け止めてもらえる。
そうした時間の中で、子どもは少しずつ自分の感覚を取り戻していきます。
大切なのは、フリースクールを新しい適応の場にしすぎないことです。
学校に適応できなかった子どもに対して、別の場所でも同じように参加や成長を求めれば、再び苦しくなってしまいます。
フリースクールが居場所になるためには、子どもが自分の速さで人との距離を選べることが必要です。
心理相談室は、問題を解決する場所だけではない
心理相談室に対して、
「深刻な問題がある人が行く場所」
「病気になった人が利用する場所」
という印象を持つ方もいます。
しかし、心理相談室の役割は、診断や問題解決だけではありません。
学校では話せない。
家庭では親を心配させたくない。
友達には重いと思われたくない。
そのような思いを抱えた子どもが、誰かに合わせることなく自分の気持ちを言葉にできる場所でもあります。
すぐに話せなくても構いません。
沈黙していても、趣味の話だけをしても、かまいません。
心理支援で大切なのは、子どもに話をさせることではなく、
「今の自分のままで、ここにいても大丈夫だ」
と感じられる関係をつくることです。
子どもは、安心できる関係の中で初めて、自分の苦しさを少しずつ見つめられるようになります。
心理相談室は家庭や学校に代わる場所ではありません。
家庭、学校、医療、地域などの間に立ちながら、子どもが社会とのつながりを失わないための、もう一つの小さな居場所です。
居場所は、一つでなくていい
子どもの居場所について考えるとき、私たちはつい、
「どこか一つ、安心できる場所を見つけなければならない」
と考えてしまいます。
しかし、一つの場所にすべての役割を求める必要はありません。
家庭では身体を休める。
学校では学びや友達とのつながりを得る。
塾や習い事では得意なことに出会う。
ゲームでは達成感や仲間との協力を経験する。
SNSでは自分と似た人とつながる。
フリースクールでは自分のペースを取り戻す。
心理相談室では言葉にならない気持ちを整理する。
それぞれの場所が、少しずつ違う役割を持っていてよいのです。
子どもの心を支えるのは、完璧な一つの居場所ではありません。
いくつもの小さな安心が、途切れずにつながっていることです。
一つの場所でつまずいても、別の場所に帰ることができる。
学校で苦しくても家庭がある。
家庭で話せなくても相談できる人がいる。
現実の人間関係に疲れても、趣味を共有する仲間がいる。
複数の居場所があることは、子どもを社会から遠ざけることではありません。
むしろ、一つの世界がすべてにならないことで、子どもの心はしなやかさを保つことができます。
大人が「居場所」を決めすぎない
大人が安心できると思う場所と、子どもが安心できる場所は、必ずしも同じではありません。
親は学校に戻ることが安心だと考えていても、子どもにとっては家庭で過ごすことが必要な時期かもしれません。
大人にはゲームが逃避に見えても、子どもにとっては唯一、人と自然に関われる場所かもしれません。
フリースクールを勧めても、今はまだ外出そのものが難しいこともあります。
子どものためを思うほど、大人はより良い場所へ連れていこうとします。
しかし、安心は外から与えることができません。
どの場所が安心なのかを決める権利は、子どもの側にもあります。
大人にできるのは、選択肢を用意すること。
そして、選べない時期があることも受け止めることです。
子どもが動き出すまで待つことは、何もしないことではありません。
戻ってきてもよい場所を守りながら、外の世界との細い糸を切らずにいることです。
夏休みは、居場所を見つめ直す時間
夏休みになると、子どもは学校という日常から一時的に離れます。
学校から解放されて元気になる子どももいれば、生活のリズムを失い、不安定になる子どももいます。
家庭で過ごす時間が増えることで、親子の距離が近づく場合もあれば、互いの緊張が高まる場合もあります。
夏休みは、普段見えにくかった子どもの心の状態が表れやすい時期でもあります。
学校がないと元気になるのであれば、その子は学校で多くの力を使っていたのかもしれません。
ゲームやSNSの時間が増えるのであれば、退屈だからだけではなく、つながりや安心を求めているのかもしれません。
家族との会話を避けるのであれば、反抗しているのではなく、言葉にできない疲れを守っているのかもしれません。
夏休みを、二学期に向けて子どもを立て直す期間だけにする必要はありません。
まずは、
「この子は、どこにいるときに少し安心しているのだろう」
と見つめる時間にしてもよいのではないでしょうか。
子どもたちが帰れる社会へ
これから必要なのは、完ぺきな居場所を求める事ではありません。
それぞれの居場所をつなぐことです。
家庭。
学校。
地域。
塾や習い事。
医療。
フリースクール。
心理相談室。
そして、オンラインの世界。
どれか一つを正しい居場所とし、ほかを否定するのではなく、それぞれの場所が子どもの心にどのような役割を果たしているのかを考える必要があります。
子どもを一つの制度の中だけで支えることはできません。
家庭だけに責任を負わせることも、学校だけにすべてを求めることもできません。
子どもは、複数の人や場所とのつながりの中で育っていきます。
大切なのは、
「学校に戻れなくても、社会とのつながりは失われない」
「家庭でうまく話せなくても、相談できる場所がある」
「今は立ち止まっていても、再び動き出せる場所が残されている」
と感じられることです。
居場所とは、子どもを囲い込む場所ではありません。
その子が自分の力で外の世界へ向かうまで、安心して力を蓄えられる場所です。
「ここにいていい」と伝え続ける
安心できる居場所は、どこにあるのでしょうか。
学校かもしれません。
家庭かもしれません。
塾や習い事かもしれません。
SNSやゲームの中かもしれません。
フリースクールや心理相談室かもしれません。
あるいは、まだどこにも見つかっていないのかもしれません。
しかし、居場所が見つかっていないことと、その子に居場所がないことは同じではありません。
大人が関係を切らず、
「話せるようになったら話していい」
「動けるようになったら、一緒に考えよう」
「今のあなたも、ここにいていい」
と伝え続けること。
その言葉とまなざしが、やがて子どもの心の中に居場所をつくっていきます。
子どもが求めているのは、何でも許される場所ではありません。
弱っている自分、迷っている自分、うまくできない自分を見せても、関係が終わらない場所です。
帰ることができる場所があるから、人はまた歩き出すことができます。
私たち大人が守るべきなのは、子どもを正しい場所へ連れていくことだけではありません。
どこで立ち止まったとしても、
「あなたが帰ってこられる場所は、ここにもある」
と伝えられる社会をつくることではないでしょうか。
著者プロフィール
小井出博文
青少年育成支援 なごや心理相談室
公認心理師・臨床発達心理士
不登校、思春期のメンタルヘルス、発達特性、スマホ・ゲーム依存、親子関係などを中心に、対面・電話・Zoomによる相談・カウンセリングを行っています。
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学校、家庭、医療、地域の間をつなぎながら、子どもと保護者が安心して立ち止まれる「かかりつけ心理師」としての支援を大切にしています。
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