「若く見える」と言われるたびに、少し立ち止まってしまう理由
皆さん、こんにちは。
HSP×アンチ東大主義の、@おはようございますです。
僕はよく「若く見える」と言われる。
ありがたい言葉なのかもしれない。
でも、正直に言うと、ずっと不思議だった。
「若く見える」って、変な言葉じゃないだろうか。
なぜならそこには、最初から二重構造が仕込まれているからだ。
つまり、
実際の年齢
見た目から推測される年齢
この二つがズレている、という前提がある。
20代の人を見て「若く見える」とは、普通言わない。
なぜなら、その人は「年相応」に見えているからだ。
実年齢と見た目年齢が一致している場合、
そこにはわざわざ言葉にする理由がない。
「若く見える」と言われるとき、
そこではすでにこういう判断が行われている。
本当は、もうちょっと年上だと思った
でも、見た目はそれより若い
つまりこの言葉は、
見た目を褒めているようでいて、実年齢を想定している。
じゃあ、その「実際」って何なんだろう。
戸籍上の年齢?
履歴書に書く年齢?
それとも、立ち居振る舞いや話し方から受け取る「印象」?
たぶん後者だと思う。
人は相手を見た瞬間、
無意識のうちに「この人はこのくらいだろう」という
年齢イメージを作っている。
落ち着き
言葉の選び方
疲れのにじみ方
余裕や諦めの匂い
そういうものを総合して、
「この人は◯歳前後だな」という仮の年齢を置く。
その仮の年齢と、見た目がズレていたときに、
人は「若く見える」と言う。
だからこれは、
単なる外見の話ではない。
「あなたは、この年齢にしては、
まだその感じを持っていない」
そう言われているようでもある。
それが、少しだけ気持ち悪い。
若く見える、という言葉の裏には、
「年を取ったら、こうなるはず」という
暗黙のモデルが存在している。
落ち着いて
丸くなって
諦めを覚えて
どこかで折り合いをつけているはずだ、というモデル。
そこから外れている人に対して、
人は「若い」という言葉を使う。
でもそれって、本当に「若さ」なんだろうか。
単に、
その人がまだ違和感を手放していないだけかもしれない。
まだ世界を「そういうものだ」と飲み込めていないだけかもしれない。
もしそうだとしたら、
「若く見える」は、褒め言葉であると同時に、
軽いズレの指摘でもある。
あなた、まだそっち側に行ってないですね、という。
若く見えると言われるたびに、
僕は少しだけ立ち止まってしまう。
それは喜びというより、
「まだこちら側に残っている」という確認に近い。
そしてたぶん、
僕はそのズレを、完全には手放したくないのだと思う。
年齢と見た目が一致する世界よりも、
その間に生じる違和感の中に、
まだ考える余地がある気がするから。
