Photo by
yoshizuka
芥川賞作品に潜む「粗さ」をどう読むべきか #2
皆さん、こんにちは。
ここからは、僕自身の“覚悟”の話をします。
小説の技術書——山ほど買ってきました。
構成、比喩、描写、キャラ造形。学べば精度は上がる。でも最近、どうしても否定できない事実に気づいたんです。
文章って、化粧をしても整形しても、結局は“素顔”が滲み出る。
よく言いますよね。「文は人なり」と。
あれ、本当にそうなんですよ。
たとえば、顔。
30代を超えると、理由は説明できないのに、“その人の内側”がもう顔に出てくる。初対面の印象があとで大きく外れることは滅多にない。
文章も同じです。
専門家に校正してもらえば、いくらでも“整える”ことはできる。でも——
品性、性格、教養、弱さ、ずるさ、誠実さ。
これは隠せない。語尾にも比喩にも、段落のつなぎにも、滲み出てしまう。
だから僕は、推敲の沼にハマるたびに、こう考えて自分を救うことにしたんです。
——“隠そうとするから、沼るんだ”。
——“もう、とっくにバレてるのに”。
だったら、無理に隠さず、滲み出るものごと作品にしてしまえばいい。
文章は顔。
ならば僕は、整形ではなく、“生き方”の方を磨くしかない——。
そんな覚悟で、これからも書き続けます。
