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芥川賞作品に潜む「粗さ」をどう読むべきか

皆さん、こんにちは。文学賞を狙って勉強されている方、いらっしゃいますか?
執筆して、Webや周囲の反応を確かめる。そのたびに不安になりますよね。
描写は十分か。キャラは立っているか。
そこで新人賞の最高峰・芥川賞作品を読み、何かヒントを得ようとする——その気持ち、とてもよく分かります。

結論を先に言います。
芥川賞は、技術の完成度より“書きたいという情動”が重視される。
なぜか。
芥川賞作品には、技術的に粗い部分が普通に含まれているからです。
それでも推す選考委員がいるということは、「作者の熱量」という、可視化できない要素が作用しているとしか言えません。

今回取り上げるのは、朝比奈秋『サンショウウオの四十九日』。
医者としての経験を土台にした、観念小説に近い作りです。
良く言えば独自の世界観、悪く言えば生活感が希薄。あるある的な共感は得づらい。

👉ここから少しネタバレ
父と伯父が胎児内胎児、娘たちは結合双生児という設定。
界隈では“盛りすぎ”として忌避されがちな構造で、実際に選考委員にも否定的な評価がありました。

また、一般には“冗長・重複は避けよ”と指導されますが、この作品では
「廊下の冷たさ」を、

  • 「つま先の骨が割れそうなほど冷たい」(3頁)

  • 「痛いほどの寒さが足裏に染みてくる」(4頁)

  • 「踝まで痛くなってくる」(4頁)
    と繰り返しています。
    寓意を読めと言われれば読めなくもないが、全体の流れとは結びつかず、正直ノイズに見えます。

回想へ入る理由が「雑誌ラックに置かれていた10年前のグルメ雑誌」というのも、
ややご都合主義的で、リアリティラインが滑る。

「『あぁ、懐かし』/ 実際に声に出してからラックに戻し」(5頁)
という箇所も、“から”によって動作が記録的に並べられていて、自然に湧く感情というより、
手順を踏んだようなぎこちなさが残る。

……と、突っ込みどころはそれなりに多い。
選評を見ても、構造的欠点を指摘するというより“読後感”が評価軸になっている。
勢いで読ませていると言えばそれまでですが、果たしてそれだけでしょうか。

つまり——あなたにも、今書いている“それ”があるなら、情熱で押し切っていい場合がある。
もちろん、無責任に「推敲不要」と言うつもりはありません。
これは自戒でもあります。


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