楽しいことがしてえ
自分は将来どうなっているんだろうと思うたびにそんなこと分からねえと思考が止まってしまう。
いつか友達と話した人生あるある、
人生博打がち
というフレーズがいまだに忘れられない。確かに人生は博打の連続である。どうなるかなんてその時になってみないと分からない。ただそれなりの努力をしなければ博打に勝てるわけないのは言うまでもない。この社会に出る前に与えられたモラトリアムをどう使うべきなのか最近頭を悩ませている。そろそろ博打に出たほうがいいのかもしれない。
誰がために学ぶ
ここ最近の悩みと言えば興味あることがないという事だ。自分は今理学部にいるが、この理学分野において自分が興味関心を強く惹かれるものはないとはっきりと感じる。
もともとなぜこの学部を選んだかというと高校時代、文系科目よりも理系科目の方が成績が良く、テストで点数を取ることができたからだ。そして、他に興味のある学部があったわけでもないので気がつけばそのまま理学部に入っていた。
そして大学に入ってから1年半、学べば学ぶほど自分はこの分野に興味がないんだという事を痛感する毎日。興味のない授業に集中できるはずもなく、毎日とりあえず出席だけはしてチャットGPTに課題の答えを聞き、試験直前に過去問を暗記するというのを繰り返す日々。
何かが積み重なるわけではない毎日を過ごし自分はいったい何を何のために学んでいるのかと自問する。ある意味世の一般大学生はそうなのだと思うがそれでも自分が食いつぶす毎日に疑問を感じざるを得ない。
楽しいことがしてえ
自分が何をしたいのかを考え続けて1つ分かったことがある。自分が自分の行動を決める一つの指標は
楽しいことがしてえ
という気持ちだ。いや、そんなのみんなそうだろと思うかもしれないが、自分の今までの行動を根底から支えているのは楽しいことがしたいという感情だ。この感情が人よりも強い気がする。
思い返せば自分は楽しそうだと思ったらちょっとバカなことでも進んでやる。直前に決まる予定やノープランでも大歓迎だし、最近で言えば自転車で日本一周をしたりもした。
毎日過ごしている中でも何か楽しいことないかなーってずっと探している気がする。とにかく楽しいことがしたい。
この気持ちのいいところはできないことがないという事だ。楽しいという感情があればどんなこともできる。その飛び込む勢いは持ち合わせていると自分では思っている。
飛び込む先は三途の川
このマインドがあっても日々の生活は変わらない。
この地獄(そんな悪くない)から抜け出すにはどこか新しいところへ飛び込まないといけない。人生博打に出ないと何も変えられないのだから。
明日はどんな楽しいことをしようか。飛び込む先はこの世かあの世か。
