女性が選べるようになった、その続きを男性にも
昔、多くの女性には、希望を形にするための選択肢がほとんどなかった。
何者になりたいかを尋ねられる前に、「女とはこういうものだ」と語られた。
よい娘とは、こういうもの。
よい妻とは、こういうもの。
よい母とは、こういうもの。
慎ましく、従順で、夫を立て、家族に尽くす。
女性は、自分の人生を語る人ではなく、誰かに語られる人だった。
誰と結婚するか。子どもを産むか。どこで暮らすか。学ぶか、働くか。自分の収入をどう使うか。
いまなら本人が決めることだと思えるものまで、家族や夫、地域や社会が決めていた。
望まない結婚や性行為、妊娠や出産を求められる。進学や就労を諦めさせられる。財産を相続できない。離婚や転居を望んでも、法律や慣行によって阻まれる。服装や外出、交友関係、信仰、発言まで制限されることもあった。
それを支えたのは、一つの力ではない。
法律、家制度、経済的依存、教育格差、宗教的な教義の解釈、地域の慣習、家族の名誉や世間体。
いくつもの仕組みが重なり、従うことを美徳に、拒むことを身勝手や恥とした。
自分で選ぼうとすれば、非難や排除、嫌がらせ、脅迫、暴力、執拗な監視やつきまといを受けることもあった。それらが「家庭の問題」「夫婦のこと」「昔からの決まり」として見過ごされ、法律にさえ十分に守られない時代や地域もあった。
女性は、選択肢を与えられなかっただけではない。
自分で選ぼうとしたときに、罰を受けることがあったのだ。
もちろん、事情は時代や地域、階層によって異なる。自分の意思を貫いた女性もいた。男性にも、家を継ぎ、家族を養い、戦うことなど、本人の希望とは関係なく与えられた役割があった。
それでも、女性に認められる人生の幅が狭かった時代は長い。
その壁を、たくさんの人が少しずつ壊してきた。
学んでいい。
働いていい。
結婚しなくてもいい。
離婚してもいい。
子どもを持たなくてもいい。
母親になっても、仕事を続けていい。
仕事に力を注いでも、家庭を中心に生きてもいい。
その一つひとつは、当たり前のようでいて、最初からそこにあった自由ではない。
誰かが声を上げた。
誰かが初めての道を歩いた。
誰かが非難されながらも、「私の人生は、私が決める」と言った。
そうして女性は、語られるだけの存在から、自分の人生を自分の言葉で語る存在になってきた。
選べるようになったのは、仕事や結婚だけではない。
一人で暮らす。同性の人と生きる。結婚という制度を使わずに家族になる。関係する人たちの合意のもとで、複数の人と親密な関係を築く。
誰と、どんな関係を、どのような約束のもとで築くのか。家族や愛の形まで、自分たちで考える人がいる。
どんな形を選んでも、合意が形だけになっていないか、誰かが我慢を強いられていないか、子どもを含めた関係者の安心が守られているかは大切だ。
自由とは、好き勝手に振る舞うことではない。
自分で選びながら、相手の自由と尊厳も守ることなのだと思う。
もちろん、女性の解放はまだ完成していない。
家事、育児、介護といった見えにくい負担は、今も女性に偏りやすい。法律の上では自由でも、安全や経済力、周囲の理解がなければ、実際には選べないこともある。
それでも、選べる範囲は確かに広がった。
では、その自由は男性にも同じように届いているだろうか。
男性は今も、稼ぎ、決断し、守り、責任を引き受ける側であることを期待されやすい。
恋愛では自分から声をかけ、楽しませ、頼もしさを示す。結婚すれば、家族を支えられる収入があるかを問われる。弱音を吐けば頼りないと言われ、競争から降りれば向上心がないと見なされる。
女性には、「仕事を選んでもいい」「家庭を選んでもいい」という言葉が広がった。
けれど男性に、「養われてもいい」「強くなくてもいい」「家事や育児を中心に生きてもいい」と、同じくらい自然に言える社会になっただろうか。
女性が選ぶ主体になったことが、問題なのではない。
誰にでも、相手や人生を選ぶ自由がある。
問題は、女性に認められる生き方が増えたあとも、男性が従来の役割から降りる自由は、それほど増えなかったことだ。
これは、女性が勝ち、男性が負けたという話ではない。
女性の自由を減らそうという話でもない。
女性が手に入れてきた自由の続きを、男性にも渡そうという話だ。
「女は家庭にいるものだ」という規範を壊してきたのなら、「男は家族を養うものだ」という規範も見直せる。
「女は弱く、守られるものだ」という前提を手放すなら、「男は強く、守る側であるべきだ」という前提も手放せる。
男性も、稼ぐ力だけで価値を測られなくていい。
支えてもいいし、支えられてもいい。
競争してもいいし、静かな暮らしを選んでもいい。
恋愛で誰かに選ばれなくても、人間としての価値が失われるわけではない。
男性もまた、自分の人生を自分の言葉で語っていい。
私たちは、選ぶ人と選ばれる人に分かれなくていい。
誰もが自分の人生を選び、迷い、ときには選び直しながら、誰かの選択も大切にできる。
女性が歩いてきた道は、男性を置き去りにするための道ではなかったはずだ。
誰もが性別に決められた役を降りて、一人の人間として生きられる場所へ向かう道だったのだと思う。
女性が選べるようになった。
それは終着点ではない。
次は、その自由をみんなのものにしていけばいい。
