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【シャミ猫の談話室】他人の幸せが自分の幸せ。それは良くないことなのか。

こんにちは。シャミ猫です。

人は誰しも他人の目に晒されて生きています。
その中で、自分はどのように生きていくのか。
考え方は十人十色。

私の場合、家族・友人・職場の人など、他人が幸せを感じている、喜んでいることが何よりも重要なことになっています。
言い換えれば、自分が幸せと感じていようが、他者に不快感を少しでも与えていたら、それは幸せにはなり得ないのです。

ここまでなら、特に問題はなさそうにみえます。
実際、問題は感じていなかったと思います。
が、うつ病になると、周りから「自分」を大切にすることが求められているように感じます。

うつ病でない方も、こう言われて困っている方はいるのではないでしょうか。
「優柔不断」「流されやすい」
あまりいい意味では使われない言葉たちな気がします。
ですが、これは他人に対する思いやりが自分の天秤で重くなって、他人に合わせようとする結果なのではないでしょうか。

ただ、他人に対する思いやりだけで生きていこうとするならば、行き着く先は「依存」もしくは「執着」なのかなと思います。
誰かのために生きていきたい→自分では何も決められなくなる→誰かに決めてもらう→その人がいないと何もできなくなる。
ちなみに私は自分の服すら1人で買うのは怖いです。

さて、これは0か100かの問題ではありません。
おそらく、同じような問題で悩んでいる方は、他人の目を全く気にせず、自分のしたいことをして生きるようになりたい!と思っているのではないでしょうか。
少なくとも私はそう思いがちです。
しかし、完全にそういう考え方に自分の価値観を変えるのは無理だと、最近は感じています。
こうした価値観を持っている場合、たぶん必要なのは自分の中の優先順位を決めておくこと、もっと言えば、譲れないラインを先にしっかりと持っておくこと、なのかなと考えるようになりました。

完全に自分本位で生きてはいけない、でも最低ラインの自分の軸も持っている、それが感情に折り合いをつける第一歩になるのかもしれません。

そう考えたところで、何かしていると、ふと「家族が見たらなんていうかな」、「無駄なことしてると思われてないかな」と不安になります。
多分この気持ちがなくなることはないのでしょう。それでも、そう考えることが必ずしも悪いわけではない。
その不安を乗り越えてまでやりたいことか、それとも心の安寧を保つほうがいいのか、そのラインの見極めができるようになれば、少しは息がしやすくなるのではないか。

他人に否定されるのは怖い。他人に喜んでもらいたい。自分を肯定してもらえる環境に身を置きたい。
そういう感情を全て否定するのは、とても苦しいことです。
もし自分がしたいことがわからなくても、したくないことを見つけられれば、心の軋みは少し落ち着くのではないでしょうか。

珍しく長文な上に、まとまっていない思考を吐き出した自覚はあります。ここまで読んでいただいた方は本当にありがとうございます。
シャミ猫の勝手なる意見なので、これに無闇に心を乱されず、それぞれの落ち着く場所が見つかることを祈っています。

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