日常の中で、物語の種がこびりつく
今日は、いつもと少し違う記事を書いてみようと思う。
わたしの創作について。
今日も仕事だった。
暑くて、忙しかった。
体力的にはなかなかきつい一日だったけれど、こういう時にふと湧いてくるものがある。
書きたい欲。
自分の中には、常に何かを書きたいという気持ちがある。
だから、日常の中で少しでも気になることがあると、そこから思考が動き出す。
これは何かに使えないかな。
そう思った瞬間、その出来事や感覚が頭の中にこびりつく。
仕事中に見た景色。
誰かの何気ない一言。
忙しい日の疲れ方。
帰り道の空気。
映画を観たあとの感情。
家族との会話。
そういうものが、すぐに物語になるわけではない。
でも、どこかで引っかかる。
「あれ、これ面白いかもしれない」
「この感情、何かのシーンに使えそうだな」
「この状況にキャラクターを置いたらどうなるだろう」
そんなふうに考え始める。
映画を観るときも同じだ。
ただ観て終わりではなく、観たあとに感じたことを反芻する。
なぜこの場面が刺さったのか。
どうしてこの会話が気持ちよかったのか。
なぜこの展開で鳥肌が立ったのか。
そうやって考えているうちに、いつの間にか自分の創作の方へ話がつながっていく。
こんなシチュエーションに持っていくためには、どう展開すればいいだろう。
この感情を出すには、どんなキャラクターが必要だろう。
この場面にたどり着くには、どこから物語を始めればいいだろう。
そんなことを考え出す。
思いついたことはノートに書く。
手元にノートがないときは、スマホのメモに残す。
スマホのメモは本当に便利だ。
ふと思いついた言葉。
タイトルになりそうな一文。
キャラクターの設定。
会話の断片。
作品の構成。
あとで使えるかもしれない違和感。
そういうものを、すぐに残せる。
実に便利な文明の利器である。
活用しない手はない。
もちろん、メモしたものがすべて作品になるわけではない。
むしろ、ほとんどはそのまま眠る。
でも、それでいいと思っている。
今すぐ使えなくても、あとで別のアイデアとくっつくことがある。
昔のメモを見返して、急に使い道が見えることもある。
そのときは何でもないと思っていた言葉が、あとになって作品の芯になることもある。
創作の種は、すぐに芽を出すとは限らない。
でも、残しておけば、いつか芽を出すかもしれない。
今日浮かんだアイデアも、いつか形になるだろう。
たぶん。
いや、形にしたい。
なぜなら、それは自分が読みたいものだからだ。
結局、自分が書きたいものというのは、自分が読みたいものでもある。
誰かに読んでもらいたい気持ちもある。
面白いと思ってもらえたらうれしい。
刺さる人に届いたら、もっといい。
でも、その前にまず、自分が読みたい。
自分が「こういう話があったらいいな」と思うものを書く。
そのために、日常の中で引っかかったものを拾う。
映画を観て、感情を反芻する。
仕事中に浮かんだことをメモする。
帰り道に思いついた一文をスマホに打ち込む。
家事をしながら、物語の展開を考える。
そうやって少しずつ、自分の中に物語の材料が増えていく。
創作は、机の前だけでしているわけではない。
働いているときも。
歩いているときも。
映画を観ているときも。
コーヒーを淹れているときも。
洗い物をしているときも。
頭のどこかで、ずっと物語のことを考えている。
今日も暑くて忙しい一日だった。
でも、その中でひとつ、創作の種を拾った。
それだけで、少しうれしい。
いつか形になるといい。
そしてそのとき、自分が一番最初の読者として、ちゃんと面白がれたらいい。
木村ユキムラ
