【MVP満票新人王】①

 満票で新人王を受賞した選手たちは、デビュー直後からリーグの流れを変える存在感を示し、圧倒的な成績で評価を一気に引き寄せました。攻守の両面で安定したパフォーマンスを発揮し、特に勝負どころでの集中力と対応力は新人離れしたものがあります。満票という結果は、数字だけでなくプレーの質や影響力まで含めて認められた証しです。今後はリーグを代表する選手へと成長していくことが期待されていました。今回はそんな満票で新人王を受賞した選手を紹介します。


NL・1956年:フランク・ロビンソン

球団:シンシナティ・レッドレッグス
年齢:20歳
ポジション:左翼手
152試合/打率.290/166安打/38本塁打/83打点/8盗塁/OPS.936

 1956年、20歳でメジャーデビューすると、開幕から強烈な存在感を示しました。低迷が続いていたレッズが前半戦で首位に立つ原動力となり、シーズン半ばまでに18本塁打を放ってオールスター戦の先発左翼手に選出されました。新人としての先発は史上6人目の快挙でした。最終的に打率.290、83打点、そして当時の新人記録に並ぶ38本塁打を記録し、ナ・リーグ新人王を満票で受賞しました。若くして強打者としての資質を完全に証明した一年でした。

 その後のロビンソンは、歴史に名を刻む大打者として成長していきます。レッズでは10年間で7度の30本塁打、5度の打率3割を記録し、1961年にはチームをリーグ優勝へ導きMVPを受賞しました。1966年にオリオールズへ移籍すると、トレードを「老けた30歳」と評された怒りを力に変え、三冠王・MVP・WS MVPを同時に獲得する伝説的なシーズンを残しました。以降も高い打撃力を維持し、チームを4度の地区優勝と2度の世界一へ導きました。引退後は史上初のアフリカ系アメリカ人監督となり、17年間にわたり複数球団を率いるなど、選手としても指導者としても大きな足跡を残した人物です。


NL・1959年:ウィリー・マッコビー

球団:サンフランシスコ・ジャイアンツ
年齢:21歳
ポジション:一塁手
52試合/打率.354/13本塁打/38打点/2盗塁/OPS1.085/WAR3.1

 1959年7月30日のメジャーデビュー戦で、名投手ロビン・ロバーツから4打数4安打という鮮烈なスタートを切りました。メジャーの投手の方が制球が良く打ちやすいと語るほど順応は早く、52試合で打率.354、13本塁打を記録しました。8月には月間MVPを受賞し、22試合連続安打というジャイアンツ新人記録も樹立しました。圧倒的な打撃力を示したこの年、彼は満票でナ・リーグ新人王に選ばれ、若きスラッガーとしての地位を一気に確立しました。

 その後のマッコビーは、通算521本塁打を放つ歴史的強打者へと成長していきます。オーランド・セペダとの併用で出場機会が限られた時期もありましたが、1960年代後半には本領を発揮し、1969年にはOPS+209という驚異的成績でMVPを受賞しました。1978年には500号本塁打を達成し、選球眼にも優れ生涯出塁率.374を残しました。1980年の現役引退後は背番号44がジャイアンツの永久欠番となり、球団は「ウィリー・マック賞」を創設して彼の精神を称え続けています。1986年には殿堂入りを果たし、球史に残るスラッガーとしてその名は今も語り継がれています。


AL・1972年:カールトン・フィスク

球団:ボストン・レッドソックス
年齢:24歳
ポジション:捕手
131試合/打率.293/134安打/22本塁打/61打点/5盗塁/OPS.909/WAR7.3

 1972年、打率.293、22本塁打、OPS.909という圧倒的な成績を残し、リーグ最多の三塁打9本を記録した最後の捕手となりました。攻守両面で存在感を示し、ゴールドグラブ賞とア・リーグ新人王を満票で受賞した初の選手となりました。新人離れした打撃力と強肩、そして試合を支配する気迫が評価され、MVP投票でも4位に入るなど、デビュー年から捕手としての特別な資質を見せつけました。

 その後のフィスクは、怪我に苦しみながらも驚異的な長寿キャリアを築き、史上屈指の捕手として名を残していきます。1975年のワールドシリーズ第6戦で放った“フェンウェイの名場面”となるサヨナラ本塁打は、今も語り継がれる象徴的な瞬間です。1981年からはホワイトソックスでプレーし、40代でも本塁打を量産。捕手としての最多出場記録や40歳以降の本塁打記録など、多くの年齢別記録を塗り替えました。45歳まで現役を続け、2000年には殿堂入り。背番号はレッドソックスとホワイトソックスの両球団で永久欠番となり、球史に残るタフネスと存在感を示した捕手として、今も深く敬愛されています。


NL・1985年:ビンス・コールマン

球団:セントルイス・カーディナルス
年齢:23歳
ポジション:左翼手
151試合/打率.267/170安打/1本塁打/40打点/110盗塁/OPS.655/WAR2.5

 1985年、驚異的なスピードを武器にメジャーを席巻しました。新人ながら110盗塁という前代未聞の数字を叩き出し、当時の新人記録を大幅に更新しました。打撃面では突出した成績ではなかったものの、出塁すれば即得点圏に到達する圧倒的な脚力がチームの攻撃を活性化させ、ナ・リーグ新人王を受賞しました。シーズン中には22歳とは思えない積極性と走塁技術を見せ、相手バッテリーに常にプレッシャーを与える存在としてリーグ屈指のリードオフマンとなりました。

 その後のコールマンは、メジャー13年間で通算752盗塁を記録し、デビューから6年連続で盗塁王を獲得するなど、歴史的なスピードスターとして名を残しました。しかし、走塁以外の総合力には課題があり、守備や打撃の粗さ、さらには度重なるトラブルや不祥事がキャリアに影を落としました。特にメッツ移籍後は怪我や問題行動が続き、評価を大きく下げる結果となりました。それでも、100盗塁を3度達成した選手は極めて稀であり、走塁という一点においては唯一無二の存在でした。引退後は複数球団で走塁指導者を務め、卓越したスピードの技術を次世代へ伝える役割を担っています。


AL・1987年:マーク・マグワイア

球団:オークランド・アスレティックス
年齢:23歳
ポジション:一塁手
151試合/打率.289/161安打/49本塁打/118打点/1盗塁/OPS.987/WAR5.1

 1987年、ルーキーとして圧巻のパワーを見せつけました。4月に4本塁打と静かな滑り出しを見せたものの、5月に15本、6月に9本と量産し、前半戦だけで33本塁打を記録してオールスターに選出されました。8月にはア・リーグ新人記録の37本を更新し、続く3日後にはフランク・ロビンソンらが持っていたメジャー新人記録の38本をも突破しました。最終的に49本塁打、118打点、OPS.987という驚異的な成績を残し、満票でア・リーグ新人王を受賞しました。新人としての49本塁打は長く破られず、彼の名を一気にメジャー屈指のスラッガーとして知らしめました。

 その後のマグワイアは、怪我に悩まされながらも圧倒的な長打力で球史に残る強打者へと成長しました。1990年代半ばから再び本塁打を量産し、1996年には52本、1997年には58本を放ち、1998年にはついに70本塁打という当時のメジャー記録を樹立しました。四球の多さやOPSの高さからも分かるように、単なる長距離砲ではなく、選球眼と破壊力を兼ね備えた打者でした。一方で、後年のステロイド使用告白により評価は揺れ動き、殿堂入り投票では苦戦を強いられました。それでも通算583本塁打、史上最速での400・500本塁打到達など、純粋な打撃実績は今も際立っています。引退後は打撃コーチとして球界に復帰し、後進の育成にも力を注ぎました。


NL・1987年:ベニート・サンティアゴ

球団:サンディエゴ・パドレス
年齢:22歳
ポジション:捕手
146試合/打率.300/164安打/18本塁打/79打点/21盗塁/OPS.791/WAR3.4

 1987年、メジャー新人として34試合連続安打という前代未聞の記録を樹立し、捕手として史上最長の連続試合安打を達成しました。164安打、33二塁打、打率.300と攻撃面で大きく貢献し、満票でナ・リーグ新人王を受賞しました。守備では失策やパスボールが多かったものの、打撃力が評価されシルバースラッガー賞も獲得し、攻撃型捕手として鮮烈な存在感を示しました。

 その後のサンティアゴは、強肩を武器に守備面で大きく成長し、膝をついたまま盗塁を刺す独特のスタイルで知られるようになります。1988年から3年連続でゴールドグラブ賞を受賞し、オールスターにも選出されるなど、攻守両面でリーグを代表する捕手へと進化しました。1990年代以降は移籍を重ねながらも要所で復活を見せ、1996年にはフィリーズで自己最多の30本塁打を記録しました。2001年以降はジャイアンツで再び存在感を発揮し、2002年にはリーグ優勝決定シリーズMVPを受賞してワールドシリーズ進出に貢献しました。20年のキャリアで1830安打、217本塁打を積み上げ、5度のオールスター選出と高い守備評価を残した名捕手として記憶されています。


AL・1990:サンディ・アロマーJr.

球団:クリーブランド・インディアンス
年齢:24歳
ポジション:捕手
132試合/打率.290/129安打/9本塁打/66打点/4盗塁/OPS.744/WAR2.4

 1989年オフにインディアンスへ移籍すると、1990年に正捕手として一気に頭角を現しました。打率.290を記録し、史上初めて新人捕手としてオールスター戦に先発出場する快挙を達成しました。さらに新人王とゴールドグラブ賞を同時受賞した史上3人目の捕手となり、攻守に優れた新星として強烈な存在感を示しました。マイナー時代から高く評価されていた才能が一気に開花し、球界を代表する捕手への道を歩み始めた一年でした。

 その後は怪我に悩まされながらも復活を遂げ、1997年には打率.324、21本塁打、30試合連続安打とキャリア最高のシーズンを送ります。地元クリーブランド開催のオールスターではMVPを獲得し、ポストシーズンでもマリアーノ・リベラから同点弾を放つなど勝負強さを発揮しました。以降は移籍を重ねつつベテラン捕手として存在感を保ち、2007年に引退。引退後はインディアンスのコーチとして長くチームを支え、監督代行も務めるなど指導者としての評価も高めました。6度のオールスター選出を誇り、攻守に優れた捕手として球史に名を残しています。


AL・1993:ティム・サーモン

球団:カリフォルニア・エンジェルズ
年齢:24歳
ポジション:右翼手
142試合/打率.283/146安打/31本塁打/95打点/5盗塁/OPS.918/WAR5.1

 ルーキーイヤーを迎えると右翼のレギュラーとして起用され、シーズン序盤から長打力を発揮しました。8月時点で打率.279、23本塁打、71打点と新人離れした成績を残し、早くから新人王の最有力と目されました。最終的に打率.283、31本塁打、95打点を記録し、ア・リーグ新人王を満票で受賞しました。前年にAAAで打率.347・29本塁打を放った実力をそのままメジャーでも示し、強打の外野手として一気に頭角を現した一年でした。

 その後のサーモンは、エンジェルズ一筋で長く中軸を担い、1995年には打率.330、34本塁打、105打点とキャリア最高の成績を残しました。2002年には待望のポストシーズンに進出し、ワールドシリーズで打率.346、2本塁打と勝負強さを発揮して球団初の世界一に貢献しました。晩年は怪我に苦しみながらも2006年に復活し、15年のキャリアを通じて球団最多の299本塁打を記録しました。オールスター未選出ながら高い存在感を放ち、引退後は高校野球の指導者として後進育成に携わっています。エンジェルズ史に残る看板スラッガーとして今も愛される存在です。


NL・1993:マイク・ピアッツァ

球団:ロサンゼルス・ドジャース
年齢:24歳
ポジション:捕手
149試合/打率.318/174安打/35本塁打/112打点/3盗塁/OPS.932/WAR7.0

 1993年、149試合に出場して打率.318、35本塁打、112打点という圧倒的な成績を残し、ナ・リーグ新人王を満票で受賞しました。オールスターにも選出され、前半戦だけで18本塁打を放つなど、捕手とは思えない破壊力で一気にスター選手へと駆け上がりました。ドラフト62巡目という異例の出自ながら、卓越した打撃技術と勝負強さで評価を覆し、球界屈指の攻撃型捕手としての地位を確立した一年でした。

 その後のピアッツァは、史上最高クラスの打撃捕手として名声を高め続けました。ドジャースからメッツへ移籍するとチームの中心打者として活躍し、通算12度のオールスター選出、10度のシルバースラッガー賞を獲得。1997年には打率.362、40本塁打を記録し、捕手として異次元の成績を残しました。守備面では肩の弱さを指摘されつつも、投手からの信頼は厚く、ゲームメイク能力にも優れていました。晩年はパドレスやアスレチックスでDHとしてプレーし、2008年に引退。2016年には殿堂入りを果たし、ドラフト最下位指名から球史に名を刻んだ稀有な存在となりました。引退後はイタリア代表の指導やメッツの特別インストラクターとして野球界に貢献しています。

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