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なろう小説が文章力を揶揄されながらも隆盛した理由——文章のうまさは七難隠す

「なろう小説は文章が下手だ」

この言葉は、長年あちこちで言われてきました。

文体が軽い。
描写が薄い。
説明が多い。
台詞が安直。
地の文が単調。

たしかに、そういった作品はあるでしょう。
けれど、それでもなろう系作品は一時代を作りました。書籍化され、コミカライズされ、アニメ化され、巨大な市場を形成しています。

美文を書くという点での文章技術がそれほど大切なのであれば、それを満たしていない作品は売れないはずです。
しかし実際に読めばわかりますが、平易でシンプルな文章なのに売れている作品がたくさんあります。
その大きな理由の一つが、ストーリーラインがしっかりしているからでしょう。
なろう系作品は、主人公が理不尽な目に合い、それを克服するという物語の基本が明確です。

しかし困ったことに、人は文章が整っているとストーリーがちゃんとしていると錯覚し、そのくせ翌日には文章がきれいなだけの作品は忘れます。
この厄介な習性が、議論をややこしくする原因なのです。

文章のうまさは七難隠す。


文章がうまいと、一見、作品が成立しているように見えます。

雰囲気がある。
描写が美しい。
余韻がある。
比喩が効いている。
登場人物が何か深いことを考えていそうに曖昧な会話を繰り返す。

すると読者も、そして書いている作者自身もすっかり騙されるのです。

この人物には奥行きがあるのではないか。
この物語には何か大きな謎が存在しているのではないか。

ですが、長編として読み進めていくと、だんだん明らかになってきます。

主人公は何をしたいのかわからない。
ヒロインがなぜ主人公に惹かれたのかわからない。
このキャラは何のために出てきたのかわからない。
真相を突然特定の誰かが一気に説明し始める。

文章がうまい作品は読んである間に引っかかることが少ないので、こうした欠陥が見えにくくなるケースがあります。

だからこそ危ない。
下手な文章は、欠陥がすぐ見えます。
うまい文章は、欠陥を隠してしまいます。
そして、隠された欠陥は治すのが難しい。
なぜなら書いている本人も文章がきれいなことで話が動いている、因果が成立していると錯覚してしまうからです。
本人が「ここは自分の強みだ」と思っているからです。

一方で、なろうは残酷な場所だった。

小説家になろうを代表とするWEB小説投稿サイトは大変過酷です。
そこに集う読者は美文を味わいに来ているわけではありません。

まず求めているのは、快感です。

主人公が不当に扱われる。
その主人公に隠された力がある。
馬鹿にした相手が後で後悔する。
ヒロインが主人公に惹かれる。
敵を倒すことで世界が少し変わる。

ここに因果と感情線が通っていなければ、読者は容赦なく離れます。

「で、何が面白いの?」
「この主人公、何してるの?」
「この展開、さっきと同じじゃない?」
「次を読む理由ある?」

これらのことが露骨に突きつけられるのです。

文章の美しさで読者を引き留めることは難しい。
雰囲気だけでページをめくらせることも難しい。
それっぽい謎を置いておけば読者が深読みしてくれる、という甘えも通用しにくい。

なろうでは物語の骨格が最大の評価対象なのです。

もちろん、なろう作品にも大量の欠点はあります。
説明過多。テンプレ依存。即時報酬への偏り。キャラの記号化。長期構成の弱さ。
けれど、それでも長らく大きな市場規模を保ちつづけました。
なぜなら、少なくとも読者の欲求を動かすための展開を意識していたからです。

文章がうまいだけの作品は、読者に「鑑賞」を求めます。
なろう系作品は、読者に「反応」を起こそうとします。

ここには大きな差があります。

主人公が虐げられたら、読者に怒ってほしい。
主人公が認められたら、読者に気持ちよくなってほしい。
ヒロインが近づいてきたら、読者に納得して喜んでほしい。
敵が破滅したら、読者にざまあと思ってほしい。

この感情の導線が太い。
洗練されているかどうかは別として、読者の感情を動かそうとする意志があります。

そして小説において、それはとても大事なことです。
文章がうまい人ほど、ここを軽視することがあります。

読者に気持ちよくなってもらうことを、どこか低俗だと思っている。
分かりやすい因果を、浅いと思っている。
主人公が能動的に選ぶことより、雰囲気のある傍観を好む。
その結果、文章はうまいのに、何も起こらない小説が生まれます。

事件は起きる。
怪異も出る。
謎の人物も現れる。
過去の因縁も語られる。
でも、主人公はお膳立てされた舞台の上を歩くだけ。
ヒロインが主人公に踏み込む理由がなく、単なる承認装置になっている。
後半に意味ありげに出てきた人物が、真相の解明に寄与せず背景キャラになる。
最後は主人公以外の誰かが全ての因果を解説して終わる。

しかしこういった作品でも、文章がうまいと「それっぽく」見えます。
逆に、洗練された表現力が読了の邪魔になりかねないなろう系は誤魔化しが効きません。

なろう系が市場で強かったのは、単に素人読者向けに文章が平易だったからだけではありません。
文章力の前に、物語の快感構造が問われ、そこを磨いていったからです。

文章がうまいと、読者も作者も「なんとなく良い」で済ませてしまう。
しかし、なろう系ではそれが通じにくい。
なんとなく良い、では次話を読まれない。
なんとなく雰囲気がある、ではブックマークされない。
なんとなく深そう、ではランキングに残らない。

必要なのは、次を押させる力なのです。
小説に必要なものを、かなり原始的な形で突きつけていたからです。
文章の美しさはあるに越したことはありません。
だが、それは骨格の上に乗って初めて武器になります。

なろうが白日のもとにさらしたのは、「文章が下手でも売れる」という事実ではありません。
美文や洒脱な比喩といった装飾的な文章力は、物語を売るうえで、あなたたちが思っていたほど大きな価値を持っていなかったという現実です。

さて、ニャルはなろう小説が売れたのは話が前に進むからではないかと推論します。
あなたは今日も厚化粧を頑張りますか?

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