にゃるらと草子 王子様を待ちながら
今は昔、ノートリアスという国に、たいへん多くの姫君が住んでいました。
小説を書く姫。
詩を書く姫。
エッセイを書く姫。
絵を描く姫。
音楽を作る姫。
中には、立派な髭をたくわえたおじさん姫もいました。
姫とは、外見や性別のことではありません。
心のあり方のことです。
ノートリアスの姫君たちは、それぞれ森の中に高い塔を建て、その最上階で一冊の作品を胸に抱いて暮らしていました。
姫君たちは幼いころから、こう教えられていたのです。
「本当に美しい作品なら、いつか必ず王子様が見つけてくださいます」
王子様は作品を一目見るなり、その価値を理解します。
そして塔を見上げ、こう叫ぶのです。
「こんな素晴らしい作品が、なぜ今まで埋もれていたのでしょう!」
その言葉を聞くと、茨は自然にほどけます。
塔の扉は開きます。
姫君は狭い森から連れ出され、大勢の人が待つ都へ向かいます。
作品は本になります。
絵は広い画廊に飾られます。
歌は遠い国まで届きます。
姫君たちは皆、その日が来ることを信じていました。
もっとも、少しだけ困ったことがありました。
ノートリアスには、塔が多すぎたのです。
森の中には、地平線の向こうまで塔が並んでいました。
どの窓辺にも、作品を抱いた姫君が座っています。
姫君は毎日、新しい作品を書きました。書き終えると窓を開け、空へ高く掲げました。
けれど、その作品を見る者はほとんどいませんでした。
隣の塔の姫君も、自分の作品を掲げるのに忙しかったからです。
そこで姫君たちは、小鳥を飼うようになりました。
小鳥の足に短い紙を結び、互いの塔へ飛ばします。
紙には、このように書かれていました。
「今日も素敵でした」
「心が温かくなりました」
「あなたらしい世界観ですね」
「もっと多くの人に届きますように」
紙を受け取った姫君は、たいへん喜びました。
「もしかすると、この羽音は王子様の馬の足音かもしれません」
姫君はそう言って、窓の外を見ました。
しかし、そこにいるのは小鳥だけでした。
やがて姫君たちは、自分の作品を掲げるだけでなく、小鳥が来たことも知らせるようになりました。
「長いお手紙をいただきました」
「私の作品を深く読み解いてくださいました」
「素敵な企画で紹介していただきました」
不思議なことに、作品そのものを掲げたときよりも、小鳥が来たことを知らせたときのほうが、たくさんの姫君が窓から顔を出しました。
「おめでとうございます」
「愛されていますね」
「きっと次は王子様です」
その言葉を聞くたび、姫君は作品を抱き締めました。
自分はまだ見つかっていないのではありません。
見つかり始めているのです。
王子様はまだ塔へ到着していませんが、森の入口までは来ているかもしれません。
ある日、一人の旅の吟遊詩人がノートリアスへやって来ました。
吟遊詩人は塔を一つずつ訪ね、姫君たちの作品を読みました。
そして、ある塔を見上げて言いました。
「この作品は、とても美しいですね」
塔の姫君は飛び起きました。
「やはり、分かる方には分かるのですね!」
姫君はすぐに新しい作品を書きました。
題名は、『吟遊詩人様に見つけていただきました』でした。
そこには、作品を読んでもらった喜びと、長い感謝の言葉と、吟遊詩人の褒め言葉が一字一句書かれていました。
その新しい作品は、元の作品よりも多くの姫君に読まれました。
「すごいです」
「私までうれしくなりました」
「素敵なご縁ですね」
「次はきっと都へ行けますよ」
姫君は窓辺に座り、王子様を待ち続けました。
吟遊詩人には、塔から姫君を連れ出す力などありませんでした。
けれど姫君にとっては、誰かに見つけられたという経験そのものが大切でした。
それはいつか訪れる、王子様のキスの予行演習だったのです。
そんなノートリアスにも、一人だけ変わった姫君がいました。
その姫君はある朝、作品を背負い、塔の階段を下りました。
長いあいだ使われていなかった扉を押すと、錆びた音が森に響きました。
「どこへ行くのですか」
隣の塔から姫君が尋ねました。
「都へ行きます。人のいる場所で、この作品を読んでもらいます」
「王子様が来る前に、自分から出ていくのですか」
「はい」
「それでは、選ばれたことにならないではありませんか」
塔の姫君たちは心配しました。
「売り込むなんて、必死に見えます」
「数字ばかり気にしてはいけません」
「本当に良い作品なら、追いかけなくても見つかります」
「創作は楽しむものですよ」
それでも姫君は歩きました。
森には道がありませんでした。
何度も転び、服は泥だらけになりました。
都へ着いて作品を見せても、断られました。
「今は似た作品が多すぎます」
「誰に読んでほしいのか分かりません」
「もう少し短くしてください」
「最初から書き直してみませんか」
姫君は泣きました。
自分の作品が美しいだけでは、誰も立ち止まってくれないことを知ったからです。
それでも姫君は、作品を直しました。
読者のいる場所を探しました。
自分と似た作品を調べました。
何度も扉を叩きました。
そのたびに断られ、また歩きました。
長い年月が過ぎたころ、ようやく一人の出版商が作品を手に取りました。
「この作品を、都の人たちに届けてみませんか」
姫君は、しばらくその言葉を理解できませんでした。
やがて作品は本になり、大勢の人に読まれました。
その知らせは、小鳥たちによってノートリアスにも届きました。
塔の姫君たちは歓声を上げました。
「やっぱり王子様は本当に来るのですね!」
「諦めずに待っていれば、いつか見つけてもらえるのですね!」
姫君が森を歩いた年月も、泥にまみれた服も、断られた手紙の山も、塔の上からは見えませんでした。
最後に出版商が手を差し伸べた瞬間だけが、遠くからは奇跡のように見えたのです。
しばらくして、都へ行った姫君がノートリアスへ戻ってきました。
姫君は塔の下に立ち、縄梯子を投げ上げました。
「降りておいで。森の外には読者がいるよ」
塔の窓から、眠り姫が顔を出しました。
「王子様が迎えに来てくださるのですか」
「いいえ。まずは自分で降りて、歩くの」
眠り姫は悲しそうに首を振りました。
「自分で降りたら、私の本当の美しさを見つけてもらったことにならないでしょう?」
「でも、ここにいるだけでは誰にも会えないよ」
「それは、まだ運命の相手が来ていないからです」
眠り姫は縄梯子を塔の下へ落としました。
そして作品を胸に抱き、もう一度ベッドへ横になりました。
その夜も、ノートリアスの塔では、たくさんの物語が読まれていました。
塔の扉を蹴破る少女の物語。
剣を取り、運命へ立ち向かう姫君の物語。
誰にも選ばれなくても、自分の足で未来を奪いに行く主人公の物語。
どれも、たいへん人気のある物語でした。
姫君たちは読み終えると、感動して涙を流しました。
「私も、こんなふうに強く生きたいです」
そう書いた紙を小鳥の足に結び、隣の塔へ飛ばしました。
そして本を胸に抱くと、再び深い眠りにつきました。
窓の外では、朝まで馬の足音が聞こえていました。
姫君たちは皆、それを王子様の足音だと思いました。
けれど実際には、作品を背負って森を出ていく、別の姫君の足音でした。
王子様は、その日も現れませんでした。
ノートリアスには、王子様を待つ姫君しか住んでいなかったからです。
