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にゃるらと草子 名もなき祭壇と、浴衣を着た司祭たち

大神殿と届かない祈り

今は昔、ノートリアスという国に、大きな神殿がありました。
その神殿には、年に一度、国中から祈りが集まります。

ある者は、長い物語を捧げました。
ある者は、自分の傷を捧げました。
ある者は、まだ誰にも読まれていない名前を捧げました。

神殿の門には毎日大勢の人々が詰めかけます。

「誰でも祈ってよい」

そう告げられていたからです。
貴族も、商人も、旅芸人も、名もなき書き手も、みな石板に言葉を刻みました。
自分の祈りが、神殿の奥へ届くことを願って。

けれど、結局神託が下る者は、ほんのわずかでした。
神殿の奥にいる神々は、すべての祈りを聞いているようで、ほとんどの祈りには答えません。

石畳には、届いたのか、届かなかったのかも分からない祈りが、幾万、幾十万と積もっていきました。
やがて人々は思い始めます。

「あの神は、私の声を聞いてくれないのではないか」
「そもそも、私の祈りは捧げられたことになっているのだろうか」
「誰か一人でいい。せめて、私の名を呼んでくれないだろうか」

大きな神殿は、あまりにも広すぎました。
広すぎる場所では、祈りはよく響きます。
けれど、響いた声がどこへ消えたのかは、誰にも分かりません。

小さな祭壇の登場

祈祷の許されている期間が終わりに近づく頃。
ノートリアスの各地に、小さな祭壇が建ち始めました。
最初は、道端に置かれた小さな机のようなものでした。

「ここなら、あなたの祈りが届きます」

そう書かれた札がありました。
別の町には、花で飾られた祭壇がありました。

「ここなら、あなたの傷を受け取ります」

また別の村では、夏祭りの灯りの下に、浴衣を着た司祭が立っていました。

「ここなら、あなたの選択に意味があります」

国の各所に現れた司祭たちは、神ではありません。

けれど、神より近くにいました。
大きな神殿では、祈りは石畳に置かれるだけです。
祈りが顧みられたかどうかさえわかりません。

しかし小さな祭壇では、司祭がその祈りを手に取り、名を読み上げます。

「あなたは、ここに来た」
「あなたは、書いた」
「あなたの祈りは、たしかにここにある」

その声を聞いた人々は、少しだけ救われました。
大きな神に選ばれなかったとしても、ここでは自分の名前が呼ばれる。
神託が下りなかったとしても、ここでは誰かが読んでくれる。
大きな神殿では名もなき群衆の一人にすぎなかった自分が、この小さな祭壇では一人の祈り手として扱われる。

それは、とてもあたたかいことでした。
だから人々は、小さな祭壇に集まり始めました。

ある者は、祈りを捧げました。
ある者は、他人の祈りに花を添えました。
ある者は、自分もいつか司祭になりたいと思いました。

こうして、それぞれの祭壇に集まる集団が形成されていきました。

司祭たちの時代

ノートリアスの国には、いつしか無数の祭壇が並ぶようになりました。

「こちらの祭壇では、あなたの物語を受け取ります」
「こちらでは、あなたの後悔を聞きます」
「こちらでは、あなたの怒りを歓迎します」
「こちらでは、あなたの優しさを花として飾ります」

どの司祭も、救いたい誰かのために祭壇を作りました。
少なくとも、最初はそうだったのでしょう。

けれど、祈りを受け取る者は、やがて場の中心になります。
名を呼ぶ者の名が、呼ばれるようになる。
祭壇を建てた者のもとに、人が集まる。
人が集まる場所には、序列が生まれる。
序列が生まれる場所には、小さな国ができます。
やがてノートリアスでは、司祭たちの時代が始まりました。

誰が一番多くの祈りを集めるのか。
誰の祭壇が一番あたたかいのか。
誰が一番多くの名を読み上げるのか。
誰の祭壇に捧げれば、自分の祈りもまた誰かに見つけてもらえるのか。

大きな神殿の神託を待つ者たちのかたわらで、どの祭壇がもっとも影響力があるかについて覇を競いあう、群雄割拠が始まりました。

ある司祭は、本当に人を救いました。
ある司祭は、救いながら自分の国を作りました。
ある司祭は、祈りを集めるうちに、自分が神に近づいたと錯覚しました。

それは世の中の必然です。
大きな神は、選ばれた者にしか神託を授けません。
預言者となれるのはほんの一握りです。 
ほとんどの祈りは、石畳の上で朽ち果てていきます。
たとえ預言者となっても、授けられるのはわずかばかりの金貨と、名を刻む権利だけであることもありました。

だから、小さな祭壇は必要とされるのでしょう。
そこで名前を呼ばれたから、もう一度書けた人がいる。
そこで花をもらえたから、石板を割らずに済んだ人がいる。
そこで誰かの祈りを読んだから、自分の祈りもまだ捨てなくていいと思えた人がいる。
小さな祭壇は、たしかに救いでした。

名の預言者と実の司祭

けれど、忘れてはいけないことがあります。
祭壇で名を呼ばれることと、神託が下ることは違います。
浴衣を着た司祭が、あなたの祈りに花を添えてくれる。
仲間たちが、あなたの石板の前で拍手をしてくれる。
「ここに来てよかった」と言ってくれる人がいる。
それは、とても尊いことです。

しかし国中に祈りを届かせたいのなら、やはり預言者になるしかありません。
大きな神は冷たい。
神殿の奥で、静かに祈りの形を見ています。
祈った熱量だけではなく、祈りそのものの強さを見ています。
祭壇でどれほど花をもらったかではなく、その石板が遠い町の見知らぬ者にも届くかを見ています。
小さな祭壇は、祈ったことを肯定してくれます。
けれど大きな神殿は、祈りが世界に耐えるかを問います。
この違いは、残酷です。

だからこそ、人は祭壇に集まるのかもしれません。
神殿の沈黙に耐えるより、司祭の声を聞いていたい。
神託を待つより、今ここで名を呼ばれたい。
選ばれなかった痛みを抱えるより、選び合える場所にいたい。
人々が神殿へ向かう道の途中で、司祭たちの声に耳を傾けるようになるのは必然なのかもしれません。

神託の行く末

ノートリアスの夏の始まりは、毎年にぎやかです。
大きな神殿には、今も祈りが集まります。
その周りには、無数の小さな祭壇が並びます。
浴衣を着た司祭たちが、灯りの下で名前を呼びます。
祈り手たちは、花を持ち寄り、拍手を交わし、互いの石板を覗き込みます。
それは、たぶん美しい光景です。
同時に、少し切ない光景でもあります。
なぜなら、そこには大きな神に届かなかったかもしれない祈りが集まっているからです。
神殿に向かう道の途中で、人々は祭壇を建てる。
神託が下る前に、司祭たちが名を呼ぶ。

神殿はそれに対し答えを出しません。
ただ年に一度、門を開きます。
そしてまた、国中から祈りが集まるのです。

さて、ニャルはノートリアス神話に描かれる小さな祭壇は救済装置であると同時に、神殿としての権威の獲得を目指していると推論します。

あなたが祈っている場所は、神殿ですか。
それとも、誰かの祭壇ですか。



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