ベイトソンに試される 201 -『精神の生態学へ』第2篇 人類学研究における形式とパターン1 「文化接触と分裂生成」 1935-
1930年代に、人類学者グレゴリー・ベイトソンは「分裂生成(schismogenesis)」という造語によって、人は他者と自己を対立させながら自己を定義する傾向があることを説明した。こういう場面を想像してみよう。2人の人間がささいな政治的意見の相違から議論をはじめたとする。だんだん2人は頑なになっていって、1時間後には、イデオロギー的に完全に対立する立場になってしまった。たんに相手の立場を完膚なきまでに拒絶することを示すためにだけに、かれらはふだんだったらありえない極端な立場をとってしまったのである。かれらははじめはともに穏健な社会民主主義者であり、わずかに指向性がちがうだけだった。ところが数時間にわたり[議論の]熱気に煽られているうちに、ひとりはいつのまにかレーニン主義者になり、ひとりはミルトン・フリードマンの思想の信奉者になっていた。このようなことが議論のなかでは発生しがちであることはよく知られている。ベイトソンは、このような過程が文化的レベルでも制度化されることを示唆している。かれはこう問いを発している。パプアニューギニアの少年少女は、少年少女がどのようにふるまうべきかについて、だれからも明確な指示を受けていないにもかかわらず、いかにしてかくも異なるふるまいをするようになったのか? たんに年長者の真似をするだけではなく、少年少女がそれぞれ異性の行動を嫌悪し、できるだけ似ないようにすることを学ぶからである。最初はささいな学習されたちがいだったものが、だんだん誇張されていき、ついに女性はみずからを男性とは対立するものすべてとみなし、しだいに実際にそうなっていくにまでいたる。そしてもちろん、男性も女性に対しておなじことをするのである。
ベイトソンは社会内部での心理的過程に興味をもっていたが、複数の社会のあいだでも似たようなことが起こっていると考えることが妥当であろう。人は、近隣の人間たちに対立させてみずからを定義するようになるのである。都市住民はより都市的になり、野蛮人はより野蛮になる。もし「国民性」などというものが本当に存在するとすれば、それはこのような分裂生成過程の結果でしかありえない。イギリス人はできるかぎりフランス人のようにならないように、フランス人はできるかぎりドイツ人のようにならないように。なによりもかれらはみな、議論するさいにはたがいの差異を誇張するものなのである。
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今回から『精神の生態学へ』の人類学領域を扱う第2篇に入る。この篇の冒頭には、それ以前の第1篇「メタローグ」発表以前の1935年に発表された「文化接触と分裂生成」が置かれている。
第1篇「メタローグ」は、1948年から1969年にわたるベイトソンのいくつかのテーマがネットワークしていく過程が、父親と娘との対話形式で繰り広げられた。父親と娘の意見の食い違いや独特の帰謬法を用いた各メタローグの展開は、この書物を読む側に、ベイトソンの思考が試行錯誤しながら確率的な世界を多層的に捉え、各層をステップしていく「生きたシステム」(生態)へ接近する過程自体を垣間見せるかのようだった。
7つの「メタローグ」を読んで、人類学領域の論考を集めた第2篇に入ると、ベイトソンは、父親と娘が対話するように、人類学を相手に対話をすでに始めるように見える。
人類学は、18世紀以後帝国主義の先鋒として宣教師たちや博物学者たちが集めた支配地や植民地の資料から始まったとされる。20世紀になって自らのイデオロギー性を批判しつつ、学自身の姿勢を問う雰囲気は「文化接触と分裂生成」発表の1935年にもあったろう。
1933年にドイツにナチス政権が成立し、この論文掲載時にはイタリアのファシスト政権と提携していたという背景がある。出身地イギリスも含めたヨーロッパが戦争の予兆を示していたことは、論文後半に「いまヨーロッパ諸国は、対称型の分裂生成によって抜き差しならぬ緊張状態にある」とあることから、ベイトソンが執筆のモチーフとして危機化する現状への批判に留まらず、その鎮静の方法も模索したことは一読して明らかだろう。
第2篇冒頭の「文化接触と分裂生成」は、ナショナリズムやファシズムという国家レベルの集団を形成する元になるような、人間の集団形成とその持続のタイプを異なる集団の間、集団の内部、そして集団を構成する個々人が作り出す諸関係を扱う。その際のテーマは、「分裂生成」(schismogenesis)という破壊的なコミュニケーション過程である。
Schismogenesisという英語はベイトソンの造語だが、冒頭の引用でグレーバーとウェングロウが明快に説明するように、自己を他者との対立によって確立しようとする姿勢がエスカレートして歯止めが効かなくなると、自己も他者も崩壊を余儀なくされる、そんな破壊的なコミュニケーション過程を指す。
この論文が問うのは、「この破壊的過程をどうやったら抑制することができるか」である。
先回りすると、この破壊的な過程(分裂生成)は多国間の競い合い(対称型分裂生成)の緊張と独裁国内での支配-服従(相補型分裂生成)の緊張に分類され、それらの緊張を緩和する交換型の関係とは異なる、分断を促す=分裂生成させるコミュニケーションである。
後述するが、気になるのは「対称型」「相補型」「交換型」が数学用語から発想された点だ。順番に「線対称」「補数」「逆数」と数学言語に変換可能である。人間の行動パターンを抽象言語で記述しようとする発想がそれらパターンを暴走させる側も使えることは、ネット時代の超監視社会下にある私たちには他人事ではない。
ベイトソンはこの論考を書いた後にバリ島で人類学調査をし、その後渡米してアメリカのOffice of Strategic Services(略称OSS:戦略情報局)に大戦終結まで勤務したという。その間、「国民性」概念に関する論考(「国民の士気と国民性」1942(『精神の生態学へ』上巻))やナチスのプロパガンダ(『大衆プロパガンダ映画の誕生』1943)やを発表していた。
伊藤計劃『虐殺器官』(2006)の戦争広告代理業者ジョン・ポールは、これら「分裂生成」のパターンをコードに書いて「虐殺の文法」として用いたのかもしれない、などと妄想したくもなる。一方、私たち自身のポケットの中や机上のデバイスにこの「文法」に近いものが仕込まれ、分断を煽り続けていることは妄想などではない。
今回読んでいくこの論考は、初歩的なインテリジェンス分析として読むこともできそうである。
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この論は各センテンスに21の番号が当ててある。引用したセンテンスの冒頭の番号がそれにあたる。全体の流れは以下のように3つの部分からなる。
A. 1-6: 「意見書」の姿勢に対する批判であり「文化接触」を集団内外のコミュニケーション過程として捉え直すことの提案へとつながる。
B. 7-18: コミュニケーション過程を「分裂生成」過程から導出される3つのタイプとその消長についての検討になる。
C. 19-21: 「分裂生成」過程をどのようにして抑制するかという問いを立て、人種間のコミュニケーション過程を補足する。
この論文をざっと流し読みするとそんなところである。では1-6の部分から始めてみる。
タイトルには2つの難題が選ばれていた。人類学自身にある「文化接触」という姿勢に伴う権力と、その姿勢が形成される際に経たであろう「分裂生成」という破壊的なコミュニケーション過程が生み出す権力による差別化の問題である。その冒頭から、語調は人類学に対する批判的なトーンを帯びてはじまる。
米国社会科学研究評議会(SSRC)の専門委員会が学術誌『マン』(1935)に掲載した意見書(メモランダム)(「文化接触を論じるためのカテゴリー」 論文番号162)を拝読した。この問題についてわたしはかなり異なる見解を持つものであり、この機会にそれを発表させていただきたいと思う。本論は、批判の形で始まるけれども、筆者の真意は委員会の批判にあるのではないことをまずもって明確にしておきたい。文化接触の研究にとって、真剣なカテゴリーづくりの試みが大きな重要性を持つということは疑うべくもないだろう。加えて、意見書の内容には、「定義」の部分も含めて、筆者の理解が十分に及ばない部分が少なからずあるので、その批判としてこれを提示することには、ためらいが伴う。われわれ人類学者が陥りがちな誤り一般に対する批判として、以下の論をお読みいただければ幸いである。
ベイトソンが批判するのは、人類学が政府の要望に従う「政策的」な観点から、「文化接触」を捉えようとする点にある。その観点によれば、分析は研究する側の言語で二分法的にカテゴライズされ、異質な「制度」として細分化され、「経済的」、「宗教的」、「構造的」という領域での探究が進められようとしている点だ。
6 言い換えれば、われわれが「宗教的」「経済的」と呼ぶカテゴリーは、研究対象である文化そのものに実在するのでなく、諸々の文化を言葉で記述するためにわれわれが考案した抽象観念にすぎない。それらは文化のなかに現象として存在するのではなくて、われわれ研究者が文化を観察するさまざまな覗き窓につけたラベルなのだ。このような抽象者を操作するとき、何よりも避けたいのは、アルフレッド・N・ホワイトヘッドのいう「具象性の誤認」に陥らないようにすることだろう。マルクス主義の歴史家が、〝経済的な現象〟を語り、それこそが一次的重要性を持つのだと主張するとき、彼らはこの誤謬を犯しているのである。
文字言語を持つ社会に属する人類学者が、研究対象である無文字社会に対して、自らの言語でほしいままにして切り刻み、勝手にラベルを貼り付けて異文化のイメージを作り上げてしまう。ベイトソンが「米国社会科学研究評議会(SSRC)の専門委員会が学術誌『マン』(1935)に掲載した意見書(メモランダム)(「文化接触を論じるためのカテゴリー」)」を読んで感じた大きな不満とは、人類学者たちが属する文化の前提にある文字言語を用いるという壁に対して、人類学者自身が自省する姿勢が見られない点にある。
ベイトソンは文字を持つ社会が「文化接触」する姿勢として「政策的」とか「制度」という言葉を連ねる場面がある。この点を情報史に関するユヴァル・ノア・ハラリの著書『NEXUS』の考えを通すとわかりやすいかもしれない。つまり文字言語を使用する学問が存立可能な社会は、同時に文字記録する官僚制度を持ったトップダウン的な国家システムである。そのような政治的背景を通すと、無文字社会の権力分散型のシステムと対照的な人類学者自身が属する社会が浮かび上がるだろう。
この論考で、人類学の姿勢に対するベイトソンの批判はすでに問いとなってかれ自身の実践を促し始めている。文字言語自身が権力であることをどう自覚しながら無文字社会も含めた異なる文化同士の「接触」を考えるなら、どの側面から取りかかるべきなのか?
この問いには、ベイトソンなりの模擬的な解答が中盤で与えられる(7-18の部分)。それは、人間同士のコミュニケーション過程から集団の3つのタイプを導出し、その破壊性が集団の存続すら危ぶまれる方向に押しやることがシミュレートされる。
そして終盤(19-21)では、人類学者の属する社会にもこれらタイプを適用し、人類学的な問題を超えた拡張を試みがなされる。1930年代のヨーロッパの危機に面したベイトソンは、この論考の最後に、その破壊的なコミュニケーション過程をどうすれば抑制できるか、という問いを新たに立てるのである。
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「文化接触と分裂生成」を発表する1935年、ベイトソンは1932年に行なったパプア・ニューギニアのイアトムル族の人類学調査に関する書物をまとめていた。『ナヴェン』(1936刊行、未邦訳)とタイトルされるその本には、不可思議なNavenと呼ばれる儀式が観察され、書き記されることになる。そこで「分裂生成」というパターンが創出され、吟味されるのである。

『ナヴェン』の執筆の中で発表され、文字化されたこの論考には、ナヴェンと呼ばれる儀式から抽出される「分裂生成」というコミュニケーション・パターンが記されている。「文化接触と分裂生成」はこれらパターンを1930年代のヨーロッパ世界に重ねて検討するという試みである。『ナヴェン』でのパターンについて、『精神の生態学へ』上巻のあとがきに邦訳者佐藤良明氏の簡明な『ナヴェン』の概説があるので、以下に引用したい。
イアトムル族は「ナヴェン」という興味深い儀式を行う。若者が初めて敵を殺すなど、記念的な雄々しい行為をした後、親戚が集まってその行為を祝うとき、父方のオバたちは立派な男の格好をし、母方のオジたちは女の着物で登場する。そればかりかふざけて若者に尻を差し出したりする。「性」が彼らの社会を構造づけているのは明白だった。
イアトムル族の男女の気質の差に関してベイトソンの行き着いた説明は一見単純だが、「関係性」を分類するという意味で、非常に根本的(基底的)である。男が女に対して、Aの行為または作用をすると、女は男にBを持って反応する。それがA(たとえば「威張り」)を強めるものである場合、さらなるAを受けた女はさらなるB(「威張られの甘受」または「優しい屈従」)を返し、こうして両者は、それぞれの性格に分化されていくだろう。このように、互いの相互作用の中から、両者の特質が分化していく過程を彼は「分裂生成」schimosgenesisと呼んだ。この例の場合は、AとBとが相互にフィットする対照を見せるので、「相補的」な型に属する。この部族の男たちが、隣の部族の男たちとの間で、お互いに「威張り合い」をするなら、Aの応酬がエスカレートして、一宿即発の緊張をもたらすかもしれない。これが「対称的」な分裂生成である。緊張を強いられる点は、相補的な関係も同じだ。イアトムル族に、男女の役割交換を伴う儀式(ナヴェン)があるのは、それによって男女間のテンションが、一時的にも解放されるからである。
『Naven』原書では以上の記述はChap.ⅩⅢ ETHOLOGICAL CONTRAST, COMPETITION AND SCHISMOGENESISにある。この要約では、ナヴェンと呼ばれる儀式をベイトソンがどのように受け止めたのかが明示されている。
ベイトソンはこの儀式が若者の男性性を称揚する際に行われることに注目し、さらに参加者父方母方のオジオバが男女の役割を交代する異装の風習で性的な身振りをすることに注目する。
さらに女装したオジがA「威張り」に対してB「威張られの甘受」または「優しい屈従」で答える性的でふざけた振る舞いの奥に、この部族の厳格な男女の「支配-服従」関係を見てとるという深い洞察が加わる。ベイトソンはこれを「相補的」分裂生成と呼ぶ。
さらに応用として、男性間または他の部族との男性間ではA「威張り」がA’「威張り」を呼ぶ関係ができるだろうと予想し、これを「対称的」分裂生成と名付けて、部族間抗争の前兆的なコミュニケーションと位置付ける。
「相補的」または「対称的」分裂生成は、緊張を強いられる関係であり、その緊張が増幅を続ければ、敵対関係や主従関係のような固定化が生じて、過剰な増幅の応酬が続く場合は、関係そのものを破壊するような機会を生む可能性が出てくる、とベイトソン予想する。
そこで、儀式自体に戻ってみる。すると、この儀式は男が女装し女が男装することで、そのような立場の硬直化を避け、緊張の増幅を緩和することが目的のように見えてくるのである。
政治的コミュニケーションとして儀式を集団の関係から観察するベイトソンは、若者の雄々しさ(社会的な男性性)を称揚する場であるはずの「ナヴェン」という儀式が、そこから予想されるコミュニケーションを破壊的な方向に向かうことを避け、集団の情動の均衡を保とうとするガス抜き的時空を作り出している、とベイトソンは解釈したのである。
ここから一気にこの論考の20番目のセンテンスに飛んでみると、ベイトソンが「相補的」「対称的」分裂生成から1930年代のヨーロッパにおける危機的状況を見ていることが理解できるだろう。
20 分裂生成の抑制ファクター Restraining Factors しかしわれわれにとって何よりも重要なのは、2つの型の分裂生成に歯止めをかける要因を知ることだ。いまヨーロッパ諸国は、対称型の分裂生成によって抜き差しならぬ緊張状態にある。国内的にも、相補型の分裂生成が進展し、社会の各階層は互いに対する敵意を増大させている。さらに、新しく独裁制に移行した国々でも、独裁者と彼にへつらう取り巻きとの関係性において、独裁者のプライドと強圧的行動が次第に増大するという相補的分裂生成が生まれてきている。
本論の目的は、問題を提起し研究の方向を示すことであって、答えを出すことではないけれども、分裂生成を抑制するファクターにどのようなものがあるか、いまの段階で筆者に言えることを述べておきたいと思う。
ヨーロッパ諸国の関係が「対称的」分裂生成を示し、独裁制内部に「相補的」分裂生成における緊張状態の増幅を見るベイトソンの眼差しの先には、これら破壊的コミュニケーションの増幅の先にある破滅的状況が見えていたのかもしれない。
が、ベイトソンはその「答え」としての処方箋が、人類学的なモデルをそのまま適用すれば実現可能と確信していたかは、この論文だけではわからない。それらは、教えられることなく学ぶような社会的な学習段階によって身についた行動パターン、つまり習慣だからである。
(習慣形成をホワイトヘッド/ラッセルの論理階型論を用いて学習のステップとして捉えようとする試みは、この後のベイトソンの大きな課題となる。)
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『精神の生態学へ』の「序章」で述べているように、『ナヴェン』に描かれたパプア・ニューギニアの調査は、ベイトソンに「実践的帰謬法」の手順を意識する機会となったという。
ベイトソンは人類学で西洋側から対象として無文字社会の特徴を記す際に用いられる「エートス」という語を、違和感を持ちながら使ったことで、その外に出る自覚をするという意味で「帰謬法」という言葉を用いた。一方ベイトソンは、この調査で取り出された現代のヨーロッパ世界に見られない「動的均衡」をイアトムル族の儀式に見出し、その例外的事例からヨーロッパ世界を捉え直すきっかけになったのも確かである。
1936年、マーガレット・ミードと結婚したベイトソンは、インドネシアのバリ島で調査を開始し、大量に撮影した写真とそれらに関する文章で構成されたミードとの共著『バリ島人の性格』(1942)を出版する。その際、ナヴェンで出てきた破壊的なコミュニケーションに至らないような「動的均衡」が、母子関係から儀式に至るバリ島人の生活の様々な場面で見られることから、新たに「プラトー状態」と命名することになる。
この「動的均衡」状態については、政治人類学分野で活動していた『国家に抗する社会』(1974)を著したピエール・クラストルが、国家の拡大を予兆しながらそれに抗する戦いを繰り広げる北米原住民の社会にこの動的な均衡状態を見ようとした。
一方、国家は予兆としてあるのではなく、現に元国家(Urstaat)として存在したのではないか、と捉え直したジル・ドゥルーズとフェリックス・ガタリは、その著書のタイトルにベイトソンが「動的均衡」を表す「プラトー状態」を組み込んで『千のプラトー』(1980)と名付け、混淆状態としての社会としう考えを仮説する。
こうして、「分裂生成」を制御する社会という考えは、冒頭に引用したデヴィッド・グレーバー/デヴィッド・ウェングロウ『万物の黎明』(2021)では、季節ごとに体制を周期的に変える社会として出現することになる。
すでに、アラスカのエスキモーを調査したマルセル・モースは夏に核家族化して狩猟し、厳しい冬に集団生活をするエスキモー社会では、冬に宗教儀式を執り行なう傾向が強く、政治体制が季節のサイクルで変わる点に注目していた(『エスキモー社会 その季節的変異に関する社会形態学的研究』調査は1903頃から,出版はモース死後の1979刊)。クロード・レヴィ=ストロースも南米のナンビクワラ族社会の雨季に集団化し、乾季に分散化する季節性と政治体制の動的な変化に言及していた(1944)。
ここから、グレーバーとウェングロウは比較的温暖なバンクーバーに住むクワキウトル族の調査や、紀元9000-8500年前に建てられた現在のトルコにあるキョベクリ・テペの遺跡から、モースらが示した季節的変異による動的な社会体制という考えを世界規模に拡大して掘り出そうとする。言い換えれば、トーテミズムからシャーマニズムへ、権力分散体制から中央集権体制へという時系列での移行は存在せず、そもそもの社会は両者の混淆体であり、集団は離合集散しつつ両端の間を移動するという仮説を提示するのである。
純粋なトーテミズム社会も、純粋なシャーマニズム社会もない。それらが混在した社会が氷河期を経て、気候の季節性ができ、さらに地域ごとに安定していくともに、どちらかが優位の社会に徐々に分化していくという大胆な仮説は、ベイトソンの「分裂生成」を語った次の第3章「氷河期を解凍する」に出てくる。この点が興味深いのは、モースからグレーバーらの人類学的な社会観が「動的均衡」という考えに貫かれていることだろう。
ベイトソンは『ナヴェン』でこの均衡を女性の男装と男性の女装という役割の交代として捉えた。生物としての性別(セックス)と社会的な性差(ジェンダー)を切り離して両者を交換して演じるこの儀式に似た「交換的」な行動パターンを、ベイトソンはイギリスの格差社会にも見出している。
村の領主と村人との間に結ばれる判然とした相補的関係は、領主にとっても居心地のよいものではないだろう。その領主が、年1回だけでも村のクリケット大会に出場し、対称的なライバル関係に身を置くだけで、村人との関係は不思議なほど円滑になりうるのだ。
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ここで、「分化接触と分裂生成」に戻って、この点に関するベイトソンの思考の手順とその特徴を確認して、この落書きを終わることにしよう。というのも、『ナヴェン』での調査に則った記述より、この論考はある程度手順が抽象化されるぶん、ベイトソンの思考の特徴が見えやすいのである。
「分裂生成」的なコミュニケーションは、この論考では「対称型」と「相補型」と、前2者の緊張関係を緩和する「交換型」の3タイプに分けられている。『ナヴェン』同様の分類だが、この論考で強調されているのは、大文字のアルファベットで記される各集団(例:A,B)より、その行動パターン(例 a・b・c, x・y・z)である。
ベイトソンは、集団を対象と見なした上でその間の関係を観察するのではなく、行動と行動の間に起こる出来事をパターンとして取り出そうとするのである。競い合う集団だから「対称的」になるのではなく、行動が対称的になることで集団の競い合いがエスカレートするのである。関係が実体に先行するという「メタローグ」で何度も出会ったベイトソンの考えが垣間見える。
さらにこの3つのタイプの命名は数学の文脈からきていると考えと以下の引用がわかりやすくなると思う。対称型Symmetricは線対称のような対称性を表し、相補型Complementaryは補数、交換型Reciprocityは逆数という数学での意味を持つからである。
A.まずは「対称型の分化 Symmetrical differentiation」を見てみる。
16 対称型の分化 Symmetrical differentiation 同じ望みと同じ行動パターンを持っている2つの集団AとBが、その同型の行動をお互い同士に向け合っているケース。Aの成員は、集団内部ではa・b・c という行動諸パターンを示し、Bに対したときには x・y・z の行動諸パターンを示す。同様にBの成員も、仲間内では a・b・c を、Aに対しては x・y・z を示す。こうして両者は、x・y・z に対してはx・y・z で返すということが標準的な反応になるような構えで接するようになる。この「構え」には、相互の分化ないし分裂の一方的な進展----これを筆者は「分裂生成」 schismogenesis と呼ぶ----に通じる要因を内包している。たとえばパターン x・y・z の中に「自慢」の要素が含まれるとしよう。自慢とは自慢に対する反応なのだとすると、このとき、互いが互いを駆り立てるようにして、ますます強い自慢的な行動をとっていくというプロセスが進行しがちである。そうした「分裂生成」が始まると、何らかの歯止めがはたらかないかぎり、お互いへの敵意が一方的に高まってシステムはいずれ瓦解することにもなりうる。
記述が数学っぽいのは、関係を主として表現するためだろう。数学での対称性は要素を入れ替えても性質が変わらない関係を指すのだから、対称型は集団AもBも同じ行動パターンで特に違いがあるわけではないことがわかる。A、Bどちらの集団も、集団内では「a・b・c という行動諸パターン」をとり、集団外では「x・y・z の行動諸パターン」をとるからである。
重要なのは集団外、他の集団に対する行動パターンが同じ場合、それが「自慢」ならそれだけがエスカレートして、「敵意が一方的に高まって」、攻撃性を増して互いの争いに発展する可能性が出てくるという点だ。これが「対称型」の「分化」differentiationの仕方として示される。
B.次は「相補型の分化 Complementary differentiation」である。
この関係は足すと桁が繰り上がる数という補数Complementaryと同じ動きをする。
17 相補型の分化 Complementary differentiation. 2つの集団成員の望みと行動が根本的に異なるすべてのケースが、このカテゴリーに入る。集団Aに属するもの同士ではパターン l・m・n の行動を取り、集団Bに対するときは、パターン o・p・q で臨む。その o・p・q に対して集団Bに属するものは u・v・w を示すが、彼らはお互い同士だとパターン r・s・t の行動を取る。つまりここでは、Aの示す o・p・q とBの示す u・v・w が互いに互いを呼び込み合うことになる。このタイプの分化もまた、漸次増進的な進展を起こしうる。たとえば o・p・q という行動連続がその文化において「強圧的」 assertive と見なされるものを含み、u・v・w が「服従的」 submissiveと見なされるパターンを含むとすると、「服従」が「強圧」を促進し、それがまた跳ね返ってさらに「服従」の行動パターンを取ることになりやすい。この型の分裂生成も、抑制がはたらかなければ、双方の集団成員の性格をそれぞれの方向へ押しやっていき、両者間の緊張を強めて、ついには関係システムを崩壊に導くものである。
補数は補い合うことで桁が上がる。十進法で見てみると、10の補数は9と1である。1は9を補うことで10となり、9は1を補うことで10となる。この関係をベイトソンはまず、集団Aの中でのパターン「l・m・n」とBの中でのパターン「r・s・t」としてその違いを明示する(対称型はA、Bともに同じだったことを思い起こしてほしい)。
次にベイトソンはAが集団の外(B)に対して「o・p・q」のパターンをとり、Bは「u・v・w」をとるという。このままだとただ違いを表しているだけに見える。が、ベイトソンは両者が「呼び込み合う」という説明をつける。つまり補数の関係になるというのである。例えば1は9を「呼び込む」ことで10になり、9は1を「呼び込む」ことで10になる。2つで一つになるといってもいい。
「強圧的」と「服従的」というパターンは「支配-服従」関係になる2つの補数的要素なのだ。ベイトソンは集団AとBはこの補数的=相補的関係をエスカレートすることで階級差を作り出され、「分化」differentiationが激しくなるというのである。
C.最後に「交換型の関係 Reciprocity」である。
これは逆数の関係となる。つまり何かに何かをかけると1になるような関係だ。3に1/3をかけると1になるという場合(3×1/3=1)、と3と1/3は逆数の関係にあるという。
18 交換型の関係 Reciprocity 集団間の関係性が、対称型と相補型に大きく二分されることを見たわけだが、現実にはそれほどきれいに分類できるわけではない。もう1つ、相互交換的 reciprocalと呼びうる分化パターンを考えなくてはならない。2つの集団が互いに対して x および y という行動パターンを取るとしよう。このとき、x に対して x が、y に対して y が返ってくるというのが対称型の関係だった。交換型では x に対して y が、y に対して x が返ってくる。それも、Aが x を行ないBが y を行なう場合と、Bが x を行ないAが y を行なう場合とがあるために、個別レベルの行動はつねに非対称であっても、多数の行動例がまとまったレベルでは対称性が成立する。AがBにサゴ (ヤシから取れる澱粉) を売ることもあれば、BがAにサゴを売ることもあるという関係の形は、交換的と見ることができるだろう。しかしAはつねにBにサゴを売り、BはつねにAに対して魚を売るという関係のパターンは、筆者の見る限り相補的である。交換的(レシプロカル)なパターンでは、関係の内部で相互の埋め合わせがなされバランスが取られるために、分裂生成に向かわない。
ベイトソンは立場を変えることが交換的パターンとして考えられるという。「AはつねにBにサゴを売り、BはつねにAに対して魚を売るという関係のパターン」が「相補的」と呼ばれるのは、互いに補い合いながらも「つねに」自分の売るものを変えない、ひいては自分の立場を変えることをしないからである。
「交換」的というのは「AがBにサゴ (ヤシから取れる澱粉) を売ることもあれば、BがAにサゴを売ることもあるという関係の形」である。立場を相互に交換するというこの関係なら、階級差も起こらず抗争にも発展しない、つまりどんなにかけても1になるという逆数的な関係になるというのである。
ベイトソンは、領主と村人との相補的関係をなくし、年1回のクリケット大会で領主と村人が対称的なライバル関係を作ることで、両者の関係が円滑になるという例で、役割の相互交換の例を挙げたことはすでに述べた(前掲)。その際、立場を変えるという交換型コミュニケーションが、対称型・相補型の亢進がもたらす極端な関係の分化と関係自体の破壊を抑制するファクターと捉える。
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この論考は1930年代のヨーロッパの危機に面して、対称型、相補型、交換型のコミュニケーションを検証する必要や、交換型の導入によって現状の危機的な緊張状態を緩和するとしたらどんな方法が効果的かが検討される。のだが、その関係性は文化、政治、経済といくつか領域にまたがり、さらに3つのタイプも他のタイプに変容する場合も考慮されるにしたがって複雑になることが予想される。
喫緊の危機に対するベイトソンのこれらの提案は、近視眼的に見れば問題解決に至るような即効性はないだろう。が、21世紀の危機的状況に、グレーバー/ウェングロウが「分裂生成」概念を蘇らせ、その根本に交換型のコミュニケーションタイプを据えて、季節によって移動し政治体制を変える社会という仮説を作った点はとても興味深い。
分断はなぜ起こるのか。自分の立場に固執する思考習慣はなぜ、どのようにして作られたのか。放浪ではなく定住を良しとしてきたのはなぜか、というような問いが、読む者が自らが依って立つことを疑わない前提を揺さぶるとしたら、読者はベイトソンにその根本から試されている。
そして、このような数々の試しは、分断する世界から逃走を試みる私にとって、とても喜ばしいことに思える。
