第923話 「小難しいオタクアニメ」が国民的ブランドになった違和感 ~90年代高校生が観たエヴァの本質と、2026年「完全新作」への複雑な思い~

高校生だった1995-1996年、リアルタイムで『新世紀エヴァンゲリオン』を観ていた。

私の住んでいた地域は朝、放送していて観ていたら学校に遅刻してしまうので毎週、ビデオテープに録画して週末観ていた。

当時のロボットアニメの常識は、

  • 主人公が成長して敵を倒し、カタルシスを得る

  • 世界観は丁寧に説明される

  • 基本的に明るい娯楽

だった。でもエヴァは違った。

碇シンジは不安定で、逃げて、自己否定を繰り返す。

勝ってもスッキリしないどころか、どんどん精神が追い詰められる。

十字架、死海文書、アダム、リリス……宗教的・神秘主義的モチーフを説明なしにばら撒く。

後半はほぼ心理劇、最終回は抽象的な内面世界。

性的メタファーや暴力も容赦なく、明らかに「全年齢向け」じゃない。

だから放送当時、すぐに直感した。

「これは人を選ぶ。玄人向けの、かなり尖った作品だ」
「アニメオタク向け」「考察好きやSF・思想寄りの層が静かに観るもの」だと。

実際、周りの反応は「何これ?」「わけわからん」「最終回どういうこと?」が大半だった。

それでも「すごい作品だけど、これは流行らないだろうな」と思っていた。

いや、流行ってほしくなかったのかもしれない。

録画して、繰り返し観るための、閉じた神話だったから。

それが今、完全に変わった。

『シン・エヴァンゲリオン劇場版』で一旦「さようなら、全てのエヴァンゲリオン」と終わったはずが、
2026年2月23日の30周年フェスで発表された「完全新作シリーズ」。

シリーズ構成・脚本:ヨコオタロウ(NieRシリーズ)、
監督:鶴巻和哉・谷田部透湖、
音楽:岡部啓一、
制作:スタジオカラー×CloverWorks。

エヴァの本質は「内側へ沈む物語」だった。

シンジの存在不安、他者との関係性、補完という思想実験。

余白を残し、不完全さを含めて終わったからこそ、美しかった。

なのに今は「文化的資産」「世界市場で通用するブランド」として拡張され続ける。

ライト層向けコラボ、国民的コンテンツ扱い、
そして「始動」「別解釈」「新シリーズ」。

あれは、選ばれた少数がひっそり観る作品だったはず。

終わったから神話になった。

続けることで日常化し、薄まっていくんじゃないか?

そんな感覚が、どうしても拭えない。

これは懐古でも古参アピールでもない。

ただ、当時の空気を知っている者の、構造に対する素直な違和感だ。

新作がどうなるかはわからない。

また新しい「人を選ぶ」尖りが出るかもしれない。

でもエヴァは、永遠に90年代の、あの不完全で神話のまま。

suno融合曲

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